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第三十話 アリコルドの協定




 大昔に結ばれた三国協定をなぞるための会議……形式的な会議ではあるが、正式に調印を行う場でもあるため、最後まで護衛である俺達は気を抜くことは出来ない。


 会議中は俺だけが護衛に付き、代表であるエール伯と随員の役人の側に控えている。

 ディラス帝国は兄が護衛に付いていた。この場合、外のクルスとシーリアにはホルスを監視するように頼んである……が、恐らくは何もする気はないだろう。


 ヴェイス商国は俺に絡んできた傭兵、ハルトを会議中の護衛に選んだらしく、似合わない豪華な服を着て退屈そうに立っていた。


 会議には緊迫した雰囲気はない。

 三国の協定書を各国の代表と専門の随員が淡々と確認し、署名するだけだ。


 一時間もしないうちに、代表三名による署名が行われ、エーリディ湖使用に関する協定は再締結された。


 内容は話を聞く限りピアース王国、ヴェイス商国にやや有利……と言ったところだ。

 三国の間に住む『湖の民』はどさくさに紛れて権益を縮小されているが、はたして彼等は納得をしているのだろうか。


 新たな火種にならないことを祈りたい。



「水神エルーシドの名の下に、新たな三国協定を承認する。平和を望む三国の英断は長く称えられることになるだろう」



 司会を務めていたカリフは重々しく、宣言を行う。

 旧い三国協定の中心に立っていたのは『湖の民』だった。その代わりを中立である水の神の神殿が務めることで、新しい三国協定は守られていくことになる。


 カリフは政治に関わるべきではない。そう言っていたが、立場は変わらざるを得ないのではないか……そう思う。俺にはどんな影響をもたらすのか想像も付かないが。


 だが、今は平時の状態が戻ったことを素直に喜んでおきたいところだ。



 宣言と共に代表と随員達にグラスが配られる。

 この世界では珍しいガラス製だ。高価な物なのかもしれない。


 最後に全員で乾杯を行うことで、会議は終了する。


 護衛である俺の側を給仕が通った瞬間、濃厚なワインの匂いに混じって嗅いだことのある……僅かながらの違和感を覚え、俺は念のため目を瞑って能力を発動させた。


 油断していた。最初の襲撃は囮……ウルクも囮だったのかもしれない。



「カリフ様。少々宜しいでしょうか」



 護衛である俺にこの場での発言権はない。

 だが、それでも敢えて声を掛けた俺を訝しげにカリフは見る。



「なんだ?」

「私は薬師としての訓練を受けております」

「それで?」

「匂いから毒薬、アリコルドの癖のある香りを僅かに感じました。調べさせて頂きたい」



 いつのまに毒を持ち込んでいたのか。少なくとも襲撃の前まではなかったのに。

 襲撃を凌ぎきって安心したところを毒殺……企んだ相手は性格が悪すぎる。


 ふむ……と、カリフは困惑したように俺を見た。

 彼の立場としては当然だろう。


 俺自身も予想外だった。たまたま匂いに気付き、念の為に能力で確認を取らなければ……油断の代償を支払うことになったに違いない。


 珍しい薬だが以前、村を干ばつが襲った際に異常繁殖したため、幼馴染のヘインを中心に調べたことがある。おそらくホルスもクルスも覚えているだろう。

 特にホルスにとっては村にいた最後の年だ。


 考え込み、黙ったカリフに変わってエール伯が俺の方を向く。



「どんな毒だ?」

「ある薬草から作られる神経毒です。時間を空けて症状が現れ、量によっては……死に至ります。毒見役の者も急ぎ、解毒しなくては危険です」

「本当に混ざっているのか?」



 疑わしげなエール伯に、俺は慌てずに答える。



「匂いだけでは確実に……とは。ですが、護衛としてはエール伯をあらゆる危険から、お守りする義務があります。確かめるのは簡単です」

「わかった。やれ」



 俺は随員のグラスを受け取り、持っていた白いハンカチの上に掛ける。

 赤いワインなのに、ハンカチは鮮やかな水色に染まっていた。


 アリコルドの特徴だ。液体に混ざると刺激臭を放ち、見た目の色に左右されず、白い物を青く染める。ここまで鮮やかに染まるということは、致死量は軽く超えているはず。


 適量であれば……もしくは、調合をきちんと行えば薬にもなるのだが……。



「なるほどな……こうなるわけか……良くわかったな」

「恐縮です。師の教えが良かったのだと思います」



 周囲を見回すと、殆どの者が顔を青醒めさせていた。

 平静を保っているのはヴェイス商国の代表、エルドスくらいだ。



「カリフ殿っ! これはどういうことだ!」



 神経質そうなディラス帝国のライルート伯が席を立ち、怒りで顔を歪め唾を飛ばしながらカリフに詰め寄る。先日のこともあるため、カリフを疑っているのだろう。


 だが、彼にはこんなことをするメリットはない。

 最悪のタイミングと言える。三段構えの手口からはどんな手段を用いてでも三国の関係を叩き壊す……そんな執念を俺は感じていた。


 流石にカリフも予想外だったのか、表情は暗い。


 しかし、意外なことにカリフに助け舟を出したのはエルドスだった。

 異国の服を着た、まだ青年と呼べる歳の男は、落ち着いた様子でライルート伯に声を掛ける。



「食事や酒の準備は我が国の管轄。我が国の落ち度です。和平を崩そうとする者は三国それぞれに潜んでいた……そういうことでしょう。まずは、犯人を。ハルト」

「了解したぜ」

「ライルート伯。ここは陰謀に屈さず、我々が協力することが各国の国益となるのでは?」

「む……むう、そうだな」



 落ち度は自分にあるといいながらも、悪びれている様子はまるでない。

 自信に満ち溢れた笑みを浮かべている。


 激昂していたライルート伯も冷静に戻ったのか、忌々しそうに頷いて席へと戻った。



「調査結果は後程お伝えします。では、カリフ殿。残念ながら飲めませんがグラスはあります。気にせず掲げましょう」

「む……」

「毒杯でも平和を望む我等を止められなかった。美談ではありませんか」



 愉快そうに口を歪めているエルドスの真意は見えない。単純ではないのだろう。

 あまり知りたくも無かった。



「三国の恒久的な平和を祈って!」



 大声でカリフは宣言する。

 そして、各国の者達も立ち上がり、毒杯を掲げて唱和した。


 今回の騒動を思えば、恒久的な平和など誰もが茶番だと考えているだろう。

 俺には毒杯によるこの乾杯は、三国の未来を暗示しているように思えて仕方がなかった。



 会議が終わるとエール伯は一時もこの島にはいたくないと、帰り支度を指示した。

 俺も全く同感である。


 ヴェイス商国が雇っていた酒の準備を行った者は既に毒殺されていたらしい。

 国が準備した物資以外の代物だったらしく、事件は単独犯とされ、うやむやにされた。


 当然に他の者も取り調べられるだろうが……後はヴェイス商国内の問題という立場を残る二国は取っている。


 大事にするのはまずいというのが三国の共通認識だったからだろう。

 戦争になれば、一領主、一評議員である彼等の立場は極めて悪くなるはずだからだ。


 直接エール伯の所へ説明のために訪れた褐色の肌の若い評議員、エルドスは自国の船に戻る前に、何故か俺に握手を求めた。


 完璧な作り笑顔だ……顔は笑っているのに眼はぎらついて見える。

 まるで野心の炎が燃え盛っているように。


 関われば面倒な相手な気がする。



「ケイト殿は命の恩人です。ヴェイス商国に来られた時には是非恩を返したい」

「仕事ですから、お気にせずに」

「はは、そういうわけにはいきませんよ。お美しい二人と共に私を訪ねてください」



 それでは。と、身を翻して護衛達と共に去っていくエルドスの背中を眺めながら、俺は本当に気にせずに忘れてくれたら嬉しいのにな……と、考えていた。



 エルドスと別れた後、荷物を簡単にまとめて船倉に放り込んで出航を待っていると、エール伯が自分の護衛を他の者に任せ、兄に挨拶をしてくるように命令した。


 お互い仕事で来ているため、そのまま別れようと考えていたのだが、配慮してくれたらしい。目付のエール伯の随員付きだが。


 帰り支度を進めているライルート伯の船の近くに立っていた兄は俺に気が付くと、光が差すように嬉しそうな表情に変わり、走り寄ってくる。

 人を殺し、命の危険を乗り越えたのに、全く暗さはない……相変わらずだ。



「別れを言いに来たよ。カイル兄さん」

「そうか、残念だな。だがよ……本当……本当っ、立派になりやがってっ!」



 兄は笑いながら俺の頭に片腕を回すと、もう片方の手で頭をぐりぐりと擦った。

 頭だけでなく、折れている肋骨に激痛が……っ!



「痛い痛いっ!」

「はははっ! もう一人前だな。手助けする必要なんてありゃしねぇ」

「カイル兄さん……」



 明るく……でも、どこか寂しそうに兄は笑う。

 俺も少しだけ寂しさを感じていた。


 次はいつ会えるかわからない。

 今生の別れにならないとも限らない。


 兄は俺以上に危険な道を歩いているだろうから。



「死んだら絶交だよ」

「……そうだったな。よーく、覚えてるぜ。お前も元気でな」



 俺は側にいるエールの役人に、もう構わないと告げる。



「カイル兄さんも元気で。心配なさそうだけど」

「くくっ! よくわかってるじゃないか」

「ホルスにもよろしく」

「おう! お前もクルスとシーリアによろしくな」



 こうして俺は兄に別れを告げた。

 次は敵に……そうならないことを祈りながら。







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