第二十九話 事後処理
血を流して倒れているウルクをカリフに任せ、俺は外で戦っている護衛達の戦況も確認する。どうやら向こうもそろそろ終わりそうだ。援護に向かう必要は無いだろう。
俺は安堵の息を漏らして、静かに立っているクルスに近付く。
危険な時に駆けつけてくれた彼女には感謝してもし足りない。
すっかり助ける方と助けられる方が逆になったなぁ……と、内心苦笑する。
「助かったよ。ありがとう、クルス」
「ん……良かった」
クルスは微かに微笑む……が、その笑みに俺は違和感を覚える。
何か無理をしているような。
はっ……と、すぐに気が付き、俺は慌ててクルスの腕を掴み、服の袖を捲る。
彼女はばつが悪そうに明後日の方を向いていたが、観念したように呟いた。
「ばれた?」
「無茶したね。俺のせいだから怒りにくいなぁ」
「加減したから、すぐに治る。問題無い」
腕を掴んだ瞬間、クルスは顔をしかめていた。
相当痛んでいるはずだ。白い肌が真っ赤に腫れ上がり、熱を持っている。
恐らく制御を外したウルクと同じくらいの力を出したせいだろう。彼女の剣はそのせいで大きく歪み、鞘に引っかかって上手く中に入らないようだ。
これが彼女が得た力だというなら、『駄目な力』と言ったのも頷ける。
「私よりケイトは大丈夫?」
「肋骨が折れてる。身体をあんまり動かしたくないね」
「治療しないと。後、眼は?」
そういえば戦闘中にカリフも何か言っていた。
眼がどうのこうの……特に痛みとかはないのだが。
「痛みは無いけど、どうなってる?」
「今は戻ってるけど、さっき銀色になってた」
「……」
黙って能力を発動させる。
「あ、また銀色になった……あ、戻った。格好いい。面白い」
「これは嬉しくないね」
新しい玩具を見つけたみたいな好奇心に溢れた様子のクルスに苦笑を返す。
これも代償なんだろうか。目立つことこの上ない。
正直、邪魔な変化だ。
能力を発動させるときは目を瞑った方が無難そうか。
性能に関しては、ゆっくり調べることにしよう。
それより、ウルクだ。
「カリフ様。治りそうですか?」
「うむ。切口が鋭かったお陰で腕は繋ぐことが出来た。身体の方も数日は苦しむだろうが……死ぬことはないだろう。完全には癒し切れなかった」
目を閉じ、祝詞を捧げていたカリフが顔を上げるのを見計らって俺は声を掛ける。
少しだけしか限界以上の力を使っていないクルスですら、あの腕の酷い状態だ。
長い時間酷使していたウルクは相当だったのだろう。
しかし、治療が上手くいったからか脂汗も浮かんでいた彼の寝顔は少し穏やかなものに変わっている。
だが、問題はまだ残っている。
「ウルクは……誤魔化しますか?」
正直に苦しい。弁護のしようがない。
ここに襲撃者が現れたのも、ウルクが操られて情報を奪われたからだろう。
カリフは俺の質問にウルクを担いで苦笑しながら答える。
「いや、誤魔化さない」
「ではどうしますか?」
俺には彼を助ける方法がそれ以外に思い浮かばない。
だが、カリフは重々しく首を横に振った。
「隠しても漏れるものだ。今回は三国に借りを作ることで解決を図る」
「そんなことが出来るのですか?」
「不可能ではない。わしらは協定を巡って三国に貸しを作り過ぎている。立場の調整を行う丁度いい機会かもしれん。彼等貴族には一人の命など軽いものだからな……案外、嬉々として乗ってくれるかもな」
具体的には……と、彼は考えるように時間を置いてゆっくりと続ける。
「何処からか情報が漏れたが、それを察した若い神官が危機を知らせるために来た。まあ、そんなとこだな……お主等の手柄には出来んが……すまない」
「俺は構いません。しかし、納得しますかね?」
さてな。と、カリフは肩を竦める。
「元々わしらが政治に関わるのは好ましくない。出来れば今回の事件を利用して、水の神殿の政治的な力を削げれば最善だな。逆に三国は陰謀に負けず、協定を結んだと国内に宣伝することが出来る」
協定を結び、かつ、ウルクは助けることは彼の利益に沿う……ということだろうか。
カリフは落ち着いた様子で続ける。
「恐らくは大丈夫だ。向こうにも痛い腹はある……任せておけ」
「水の神殿としてはそれで良いのですか?」
「まあ、間違いなくわしは降格だな。だが、それでいい」
部屋にウルクを運ぶために通路を歩きながら、カリフは穏やかな微笑みを浮かべる。
落ち着いた、安心するような笑みを。
「聖職者の仕事は政治ではなく、人を導くことだ。非常の時が終われば本来の役目へと戻る……それで良い。いや、そうなるべきだ」
本当に大丈夫なのだろうか……そして、彼の説明は何処までが本音なのか……そう考えていた俺に、カリフは笑い声を上げる。
「はっはっは。ま、人生なるようにしかならん」
「気楽ですね。失敗したら水の泡なのに」
「お主の母親や、シーリア殿の母親に鍛えられたからな」
にやりとカリフは人を食うような笑みを浮かべ、背中を叩く。
それが折れた肋骨に思い切り響き、俺は蹲りそうになった。
「おお、すまんすまん。お主の治療はウルクが起きたらやらせよう」
「ごほっ……ほんと、痛いんですから、勘弁してください……」
涙目になりながら睨むと、カリフは小さく頭を下げる。
そして、部屋の前に付くと表情を引き締めた。
「ケイト殿、クルス殿。本当に……わしの弟子、ウルクを助けてくれて有難う。この恩は必ず何時か返させてもらう。感謝するっ!」
今度は深々とカリフは俺達に頭を下げる。
そんな彼に俺はどう返せばいいかわからず、左手で頭を掻き、クルスは「問題無い」と薄い胸を張って頷いていた。
ウルクを休めた後、俺達は広間へと戻り、エール伯にはカリフから説明を受けてもらえるように頼んだ。とてもではないが俺が報告できるような内容ではない。
エール伯はカリフから説明を受けると、苦々しい表情で頷く。
カリフの表情を見る限り、説得は上手くいっているようだ。
どんな痛い腹なのかは、聞かないほうがいいのだろう。
しばらくすると、話合いを終えたエール伯がこちらへと歩いてくる。
カリフはそのままディラス帝国のライルート伯の方へと向かって行った。
「迎撃、ご苦労だったな。よくやった」
「恐縮です」
脇が痛むのを我慢し、軽く頭を下げる。
そんな俺に倣うように隣にいるクルスも小さくぺこりと頭を下げた。
「お前達の働きは表には出来ない」
「承知しております」
「どうでもいい」
「しかし、約束の褒賞の方は払おう。外の戦況はどうだ?」
エール伯からそう尋ねられた俺はクルスの方を見る。
ここに来る前に彼女に状況は説明してある。俺が答えるよりは外で戦っていた彼女が説明をするのが自然だろう。
「私が弓で五人仕留め、シーリアとホルスの援護を受けながらカイルを先頭に他の護衛が突撃。相手が弱いから私はケイトの援護に。多分、向こうもそろそろ終わってる」
無表情なクルスの平坦な口調の説明に、エール伯はほっとしたように頷く。
今頃、兄は明るく元気に勝鬨を上げているだろう。
なんだか容易に想像が付いて笑いそうになる。
「優秀な働きをしているのにお前達には名誉を与えられん。本当にすまぬな」
エール伯は軍人のように姿勢よく直立しながら、すまなそうに言う。
もしかすると、名誉とは貴族にとって至上の物なのかもしれない。
そうでもなければ彼のような上位の貴族が俺のような冒険者に謝罪することなどないのではないか。俺とは違う価値観を持っていると考えた方がいいだろう。
彼に対して失礼にならないよう、俺は考えながら返答する。
「有難う御座います。ですが、このような重大な会議の護衛をさせて頂けるだけでも、私には余りある名誉です」
「ふふ……本当に歳に似合わぬな」
半分呆れるようにエール伯は笑い声を上げた。
それから半時間も立たないうちに外に戦いに出ていた兄達は、得意満面の笑顔をしながら広間に戻り、それぞれの代表に戦果を報告する。
緊迫した空気は事態の劇的な解決を経て、和やかなものへと戻り、協定のための会議は明日の形式的な会議と調印を残すだけとなった。
この日の夜、俺はシーリアと二人でクルスの腕を冷やすために、寝ずに水に浸けた布を変え続け、見張りの時間も彼女と同じ時間帯にしてもらい冷やし続けた。
燃えるように熱を持っている腕は相当痛むはずなのに、クルスは力になれたと幸せそうに笑う。
可愛いし、頼りになるけど危なかっしい。
本当に困ったものだと思いながら、俺は激しい戦いのせいで乱れたままになっていたクルスの髪を、綺麗に直して上げた。




