第二十八話 力の源泉
相手の突きをかい潜り、槍を持つ右腕を集中的に狙う。
どれほどの力があろうと、痛みがなかろうと、右腕そのものを動かす機能が無くなればどうしようもないはずだ。最悪切り飛ばせれば……。
俺が負った重症の火傷を短時間で癒したゼムドよりもカリフは実力がある。
多少深く斬ったところで、治療は可能……だと信じたい。
相手の攻撃は一撃が致命的な重さを持つ。
集中しなくては反応できないスピードも相手は持っている。
受け止める事は難しい。
無理に前に出れば力任せに吹き飛ばされ、今度こそ殺される。
まずはこれを何とかしなければ、彼女の能力に『核』がもし、あったとしても探す余裕がない。『相手を殺さない』というのはそれだけでも大きなハンデなのだ。
そこからさらに、相手の弱点を見つけるのは無茶と言っていい。
いや、余裕があったとしても……彼女の動きが止まっても俺の能力では、蔓の『核』を探すのは不可能かもしれない。
それ程に光の蔓は複雑に絡まり合っている。
焦燥感が心に広がりそうになるのを、必死に抑えながら彼女を睨む。
「甘いわね。上司が殺せって言っているのに」
「何と言われようが俺は自分の意思を貫く」
「責任もないのに……馬鹿な男」
俺を殺さんと槍を振るいながらアリスは饒舌に話し続ける。
これまで必要な事しか話そうとしなかったにも関わらず、今、殺しあっているこの時に。
「妥協も覚えなさい。生きてたら」
「事によっては妥協もするさ」
出来の悪い生徒を言い聞かせるように優しげな声で俺を諭し、苦笑を浮かべながらアリスは攻撃し、それを回避し、受け流しながら俺は彼女に応える。
彼女の言うように危険な事に対して妥協をすれば楽なのかもしれない。
だが、それには後悔や罪悪感が伴うのではないか。
ならば、大変でも誰かに力を借りてでも地道に道を切り開き、真っ直ぐに進みたい。
不器用だし、賢くないということは自分でもわかるが……既に考えて決断したことだ。
「ぐっ……! まだまだ!」
「よく防ぐわね」
真横に振るわれた槍を同じ方向にに軽く飛びながら受け、着地した瞬間に再び切りかかる。攻撃を先読みすることで、俺は相手の力を受け流し、攻撃を防いでいた。
だが、相手は反射速度も速い。
こちらの選択肢は狭いこともあり、俺もアリスに上手く防がれてしまっている。
持久戦に持ち込まれる……それは半分負けを意味している。
ウルクの肉体が何処まで無茶な利用に耐えうるかわからないのだ。
打つ手は無い? いや……状況打開の鍵はある。
俺の能力を利用して、『核』を見つける。
戦いながらでも見つけられほどの短時間で。
今の俺にはそれは出来ない……だが……。
俺はまだカイラルにいた頃に、クルスと交わした会話を思い出す。
かつてクルスが強敵を相手に危機に陥ったとき、『もう一人の自分』が力を貸してくれたという。だけど、クルスはそれを危険で駄目な力だったとも言っている。
彼女は口下手だから言葉は少ないが、余程まずいものであることは端々から伝わっていた。
そして、彼女はその結果『狂化』という用途不明の能力を習得している。
話の流れから、まず、確実に『呪い付き』と関係がある能力だろう。
他の技能と同じように『呪い付き』の特殊技能も上手く使うことで、もしかすれば成長……もしくは進化するのではないか。
問題はそれを試すための時間を稼げるか……!
「掠ったわね。次は串刺し……寂しいけど」
俺は彼女の言葉を無視し、意識を集中させる。
能力でウルクを視ると、身体に光の蔓が複雑に巻きついているのがわかる。
それをもっと『深く』視る事は出来ないか?
物と動物を切り替えるように。
今見える物と違う物を見たい……そう、心で念じる。
よく考えれば俺は自分の能力を知っているようで、何処まで出来るのか限界を試したことはない。必要な時以外、この能力を使うことをなるべく避けていた。
努力で得たものではない。
生まれがたまたま特殊だっただけだ。
目に見えては何もないが能力には『代償』があることも考えられる。
それ故、便利だが人には過ぎたこの能力に俺は忌避感を覚えていた。
だが、これを利用することで人は助かることもあるのだ。
子供の頃のクルス然り、城塞都市でのシーリア然り……そして、今、ウルクも。
能力に善悪はない。使い方だ。
躊躇をするな。
自分の正しさを主張するなら、全力で示せ。
出来ることは全てやり尽せ。
出来ないならば……身に付ければいい。
失敗しても何も不都合はないのだから。
やるだけやればいい。
「……っ!」
何かが頭に引っ掛かる。
それを意識した瞬間に鋭い頭痛が走り、槍の横殴りに対する回避のタイミングが狂う。
俺の体は軽々と吹き飛ばされ、地面を転がった。
「くう……っ! まず……!」
「残念ね。ケイト」
ようやく重い一撃を当てたアリスが、愉悦に顔を歪める。
かろうじで剣を楯にしたものに、肋骨が……恐らく折れた。
目が眩むような激痛で一瞬判断が遅れる。
流石に今の態勢ではかわしきれない。もう一つの切り札も間に合わない。
「いかんっ!」
武器を持たないカリフがアリスを止めるべく動き、俺が致命傷だけは避けるべく、身体を動かそうとしたその時、
ヒュッ!
空を切る軽い音と共に、アリスの足を矢が貫抜いた。
信じられない物をみるように彼女は足を見て、それが飛んできた方を向く。
俺もその隙に痛みを堪えて立ち上がり、薄暗い通路を不機嫌そうに歩いてきた頼りになる少女を、苦笑いしながら見つめていた。
「ケイト。後で説教」
「うっ……はい」
「シーリアからもね」
空の矢筒と弓を無造作に床に捨て、クルスは剣を抜いて俺の前に出る。
ウルクを前にしても全く戸惑う様子はない。
「どうして此処に……」
「五人射抜いた。余裕出来たからシーリアが行けって」
俺達を見つけるまでは余程慌てて走ったのだろう。
クルスは小さく短い呼吸を繰り返していたし、髪は汗で肌に張り付いている。
俺は左手で髪の毛を掻き乱す。二人に俺の考えていることは筒抜けだったようだ。
アリスは刺さった矢の羽を折り、突き抜けた矢を強引に引き抜くと静かに剣を構えるクルスに微笑み掛ける。
俺に向けるものとは違う、心の奥底からの激しい憎悪をそこには感じた。
「運が良いわね。獲物が自分から来るなんて」
「……ウルクじゃない。この気持ち悪い感じ……知ってる」
油断なく対峙しながら、クルスは顔をしかめる。
勘がいい。だが、伝えなくては……。
「クルス、それはアリスだ。巨人並の力を持ってるぞ! 気をつけろ!」
「了解。私はどうすればいい?」
「すまん、時間を稼いでくれ。相手は右手の短槍がメインだ」
無言で頷くとクルスは間合いに注意しながら斬り掛かる。
危なげの無い様子に、俺は安堵の息を吐き、能力の集中を再開した。
「……くぅ……っ!」
引っ掛かりを辿ると頭が……眼が万力で締め付けられるように痛む。
だが、それは俺のやり方が間違いではないからだろう……そして、何かを掴んだ。
これがクルスの言っていた『危険な何か』か?
不思議な感覚……半分意識が暗転し、宙を漂っているような……。
微かに舞う雪が意識の隅を通り過ぎていく。
この世界では聞くはずのない車のエンジンの音が耳元で聞こえる。
俺は横たわっている。
土ではない……ごつごつしたアスファルトだ。
家族の事、後輩のこと……走馬灯のように巡っていく。
大事な物、焼き尽くすような怒り、友情、冷たい感情、愛情……。
様々な思い出から強い感情が沸き上がり、走馬灯が過ぎていくたびに消えていく。
紅く染まる地面に横たわりながら最後に強く……強く想う。
何を?
『知りたい』
こんなことになった原因を『知りたい』と。ただそれだけを。
強く……強く……それだけが心に残る。
全てを呑み込む闇……そして……消えて……。
「ケイト殿っ! しっかりしろ!」
荒々しくカリフに背中を叩かれ、俺は正気に帰る。
あのままだとどうなっていたのか……冷や汗が止まらない。
「カリフ様、有難う御座います。わかりました」
「……ケイト殿……眼が……」
「呪いの『核』を見つけました」
眼がおかしくなっているらしい。
だが、考え事は後だ。全ては終わってから考えればいい。
「クルス! 一瞬でいい。隙を作れ!」
「了解」
俺の声を受けたクルスはこれまで以上に鋭い斬撃を加えて行く。
その間、俺は左手に魔力を込めた。
「なぜ私が押されるっ!」
「借物で私に勝とうなんて……無様」
信じられない事にクルスが強引な攻めを行い、力でもアリスと五分に戦っている。
何が起こっているのか……だが、十分の時間は得た。
予め落としておいた石を狙う場所に蹴り、俺はアリスの側面に位置取り、解放する。
「石の精霊、ストラスよ。足を掴め!」
「こんなもの!」
膝くらいの小さな石の人形が落としておいた石を基点にして現れ、一番近くにいるアリスの足を掴もうと後ろから迫り、蹴り潰される。
それでも構わない。意識を一瞬逸すのが目的。
正面からクルスは右の短槍を剣で跳ね上げて手放させ、
「終わりだ! アリスっ!」
折れた骨から走る激痛を歯を食いしばって耐えながら、大きく踏み込んで低い姿勢から左手首を切り飛ばす。
彼女が左の槍を牽制と防御にしか使わず、それがバレても同じように戦い続けた理由。
使いこなせていないのもあるが、彼女の能力に深く関係しているからなのだろう。
自然と槍を手放して落ちてくるそれを、俺はカリフに向かって蹴り飛ばす。
「カリフ様! 神術を! もしかすればそれで!」
「わかった。エルーシド様の力をお借りしよう」
俺の能力がどう変わっているのか、今はまだわからない。
だが、今の俺には光の蔓は複雑に絡み合い、左の人差し指にその全ての根が集まり、強い光を放っているように見えていた。明らかに前とは見え方が違うのは確かだ。
カリフが左手を掴んで目を閉じ、集中するとアリスの身体が大きく震えて止まり、錆び付いた人形のようにぎこちない動きで床に座り込んだ。
「抵抗が強くなったか。その女だけは仕留めたかったのだけど、無理そうね」
「何故それほど……」
「ふふ……おかしな話ね。貴方は私以上に彼女を憎まなければならない筈なのに」
感情の抜け落ちた虚ろな笑みに見えるのは、アリスがウルクの身体が支配出来なくなっているからだろうか。
しかし、何故俺がクルスを憎む必要があるのか。
「どういうことだ?」
俺の疑問に答える間も無く、アリスは目を閉じる。
光の蔓が消え、後に残されたのは苦悶の表情を浮かべながら眠っているウルクだった。