第二十六話 操り人形
通路に等間隔に置かれているランプの灯りだけが頼りな薄暗い闇の中、静かに佇むウルクを問い詰めようとするカリフを制し、俺は油断なく剣を構えて距離を取る。
ウルクから滲み出る強烈な違和感。
能力を把握することで彼の身に降りかかっている異変は理解しているつもりだったが、こうして対峙すると考えていた以上に不自然であることがわかる。
「誰だ……これは……」
背後でカリフが困惑するように呻く。
彼がそう思うのも当然だろう。
普段の彼は底抜けに明るく、嘆くときも全力で嘆く、無邪気で性格に裏を感じさせない青年だ。だが、今の彼は冷ややかな笑みを浮かべ、瞳には光がない。
同一人物にはとても思えない。
兄弟とでも説明された方がまだ納得が行くほどに。
俺以上に付き合いの長いカリフは俺が感じている以上の違和感を覚えているはずだ。
「何でケイトさん、ここにいるんすか?」
抑揚がなく、ぎこちない口調。
同じ喋り方のようで違う。わざとらしい。
そんな彼に俺は油断なく構えながら笑みを向ける。
「エール伯に依頼されてね。いやー偶然だよね」
「そんな物騒なの向けてないで退いて下さいよ。僕はカリフ様に報告しなきゃいけないんす」
彼はこの後に及んでまだ演技を続ける。
俺の能力を未だに目が良いだけだと誤解しているのかもしれない。好都合だ。
俺が護衛していることを知らなかったのは先程の発言からわかった。それは『聖輝石』が目的ではないことを示している。と、なれば彼等の目的は俺の予想に近いはず。
俺の能力の範囲が広いことを彼は知っている。
護衛していることを知っていれば、また違った方法を取ったに違いない。
だが、今、陽動に対しては迅速に対応し、本命であると思われるウルクも俺が足止め出来ている。
エールに来てからというもの流されるままだったが、ようやく先手が取れたようだ。
「物騒なのはお互い様だろ。その服に隠している二本の短槍は何?」
「……そこまでわかるのか」
静かに近付いていたウルクの歩みが剣の直前で止まる。
動揺はない。考えてみれば当然だ。
彼は覚悟をする必要はないのだから。
別人のような彼に平静を取り戻したカリフは、重さを感じる低い声で問い掛ける。
「ウルク……何のつもりだ。お前は平和を誰より願っていたはず……何故だ」
「世の中、何にでも答えがあると思うのは間違い……すよ。カリフ様」
答えを言う気は無い……か。
物語の悪役のように、ぺらぺら悪事を話してくれたら俺としては楽だったのだが。
「答えは簡単です。カリフ様」
揺らめくランプの炎が、女性のように整ったウルクの姿を淡く照らす。
俺の言葉に彼は興味深そうにこちらを見た。
覚悟をする必要がない……何故なら命の危険はないから。
『彼』が死んでも痛くも痒くもないのだ。
それでも目的は達成出来る。やり方次第で。
むしろ派手に死ぬことを狙っている可能性すらある。
「彼がウルクではないからです。身体は彼の物ですが」
「ははっ! 何言ってんすか。頭は大丈夫すか? 僕じゃないなら誰だって言うんすか」
挑発するように口の端を上げてウルクは笑う。
間違っているなら確かにどうかしていると言われてもおかしくはない。
だが、この点に関しては確信がある。
能力表示に映る名前は確かにウルクだが……特殊技能名が表示され、薄い光の紐が彼の全身を絡めているように俺には見えていた。
特殊技能『心の蔓』……その持ち主は誰か。
「茶番はそろそろいいんじゃないか? アリス」
「……」
一時の沈黙……これが俺の答えの正しさを証明していた。
間違っていれば即座に反応しただろう。
彼が自身が言ったように明らかにおかしな指摘なのだから。
「どうしてわかった?」
「さてね。世の中、何にでも答えがあるわけじゃないから」
苦々しげな彼の疑問に俺は彼自身の言葉を引用して答えると、彼から張り付くような薄笑いが消え、どことなくアリスを想像させる沈んだ無表情に変わる。
そして、鬱陶しそうに長い前髪を払うと服の中から二本の短槍を取り出した。
「あの女二人も来ているわけね。本当に惜しいことをしたわ……」
「惜しい?」
ウルク……いや、アリスは俯き、くぐもった笑い声を上げる。
短槍を両手に構え、隙を見せないように遠目の距離を取りながら。
「折角、貴方が私を見つけてくれたのだもの。余計なものは消さないと」
深い闇……心の底から笑っているように感じるのに、その笑顔は歪み、狂気を孕んでいるように見える。『呪い付き』とはこういう存在になってしまうのだろうか。
かつて俺が殺したサイラルもどこか狂っていた。
俺と同じような過去を持っていれば、倫理的に犯すことはないであろう罪を平気で犯している。今、目の前にいる彼女もそうだ。
クルスも昔、苦しんだ。
俺は……?
『呪い付き』とは本当に何なんだろう。
そんな俺の苦悩に構わず、アリスは淡々と続ける。
「今回は貴方に用はないの。退いて欲しいのだけど」
見た目だけでなく声もウルクそのものなのだが、元々声が高いこともあり、女言葉でも違和感はない。彼には悪いが……少しだけ俺は苦笑する。
「こんなことはやめてウルクを返してくれないか?」
「どうして?」
「君がテロを起こせば、戦争が起きる。大勢が命を落とすことになる」
恐らくは無益な説得になる。
そのことを理解しつつも言わずにはいられない。
だが、彼女は意外にも肯定するように頷いた。
「いいわ。条件があるけど」
「聞こう」
光明が少しだけ見える……もしかすれば……。
「貴方の手でクルスとシーリアを殺しなさい……あら、どうしたの?」
「正気でそれは言っているのか?」
「たった二人の犠牲で戦争は起こらず、大勢が助かる。合理的ね」
彼女の言葉が脳裏に浸透するまでは、時間を必要とした。
理解を拒否したのかもしれない。
同時に湧き上がったのは、激しい怒りの感情だった。
俺は歯を食いしばって必死でそれを抑える。
「嫌なの? 貴方の望み通り、人はあまり死なないわよ?」
不思議そうな表情で彼女は首を傾げている。心底理解出来ないというように。
綺麗事を理由とした俺への彼女なりの答え。
彼女としては俺の言葉を素直に受け取り、返したのかもしれない。
「ケイト・アルティア! しっかりしろ。悪魔に耳を貸すな!」
「悪魔とは随分な話ね。いい取引だと思うのだけど」
「そんなやり方で人が助かっても協定の精神は死ぬ。意味がない!」
背後から背中を押すようなカリフの力強い叱咤が聞こえる。
どんな時でも彼は人を教え、諭す聖職者なのだろう。
結局のところ、他人を理由にした俺が間違っていたのだ。
俺は目を瞑って苦笑いすると、アリスを真っ直ぐに睨む。
「悪いな。俺にとってクルスとシーリアは戦争より優先順位は上なんだ」
「……そう。残念ね」
「誰も死なずに済む方法もあるしね」
交渉は決裂だ。もう少し上手い方法もあったのかもしれない。
しかし、ここまで来てしまえば後は実力行使する他ない。
彼女は他人の命を賭け、俺は自分の命を賭けて闘う。
不公平この上ないが……覚悟を決める。
「俺がウルクの身体を殺さずに抑えればいい」
「……出来るのかしら? それに抑えてどうするの?」
「さあ、その時考えるさ」
「行き当たりばったりね。まあいいわ。貴方が死んでも『聖輝石』がある」
会話での説得を諦め、俺達はお互いに有利な間合いを取り合う。
三国の護衛達と力を併せ、華々しく闘う兄達の裏で、決して表に出来ない『呪い付き』同士の死闘が始まろうとしていた。