第二十四話 晩餐の余興
開始の声と同時に剣を激しく打ち合わせる音が広間に響きわたる。
兄は速攻を行うことで俺の思考を走らせる余裕を無くすつもりだろう。
俺と兄の間に技術の差は実のところあまりない。
あるのは年齢とレベルの差による身体能力の差だ。もっともこの差のせいで狭く、足場の悪い船上での戦闘練習ではあっさりと押し切られてしまったのだが……。
「流石に上手いな」
気迫の篭もった視線を俺に向け、兄は獰猛な笑みを浮かべる。
俺は兄の連続攻撃を最小の動きで受け流していた。
一撃一撃が重く、剣を握る手に衝撃が伝わるが防げない程ではない。
兄の膂力に比して剣が軽すぎるのだ。
「カイル兄さんこそ、どこでそんな強くなったのさ」
時折牽制を入れて距離を取り、相手からの攻撃を誘って回避し続ける。
技は俺と同じものであるはずなのに、兄の剣はまるで野獣のように荒く、力強い。周りで見ている者は師匠が同じ人物だとは思わないだろう。
大型の魔物を命懸けで狩り続けることで身に付けた動き。実戦向けの強さ。
だからこそ、付け入る隙はある。
それまでは無理な攻撃は出来ない。
不容易な攻撃を加えれば即座に負けるだろう。俺以上の剣の使い手であるクルスの攻撃すら反射的に防ぐのだから。
「エール伯、どうですか。一方的ではありませんか」
「さてどうかね。弟も良く防いでおるが」
ワインを片手に観戦している者の無責任な話が聞こえてくる。
見世物にしてくれた文句の一つも言いたいところだが……。
「よそ見か? 隙だらけだぜ!」
気を一瞬逸らした隙に兄が声と共に距離を詰め、剣を上段から振るう。
空気を裂き、高速で迫ってくる斬撃を防げないと判断した俺は思い切って後ろに飛んだ。
切れた髪の毛が何本か宙を舞い、周囲からどよめきが上がる。
兄は何故か追撃を掛けずに舌打ちして距離を取った。
(まだだ……もう少し。まだ警戒をしている)
全く勘のいい兄だ。野生の勘だろうか。
俺も欲しいものである。クルスは持っていそうだが……いや、怒られそうだ。
「……なあに狙ってやがる?」
「さてね」
「これだからケイトは……出来が良すぎる弟も考え物だな」
照れくさそうに笑う兄の後ろでホルスが呆れるように右手を頭に載せている。
きっと兄馬鹿とでも言いたいのだろう。
警戒を始め、不用意に動かなくなった兄に今度は俺の方から切り込んでいく。
中段から隙を作らないよう注意しながら、横に薙ぎ、突きを入れ、腕を狙う。
防御は攻撃ほど修練を積んでいないのか、やりにくそうに兄はそれを防ぐ。
兄にとって俺は苦手なタイプのはずだ。
防御が主体の俺と攻撃が主体な兄。
訓練を共にしているであろうホルスも防御が主体だが、俺のものとは性格が違う。
相手が焦れるまで我慢して耐え続け、相手のミスを誘う。
それが俺の戦い方だった。
「はぁぁぁっ!」
「ちぃっ! 埒がいかないな」
攻めに転じた俺は、小さく細かい攻撃を繰り返す。
必死だ。僅かのミスも許されない。
俺の攻撃は防ぐことは出来るが、反撃はやりにくい。
攻撃はそう組み立ている。
兄の焦りを感じる。俺が積極的攻勢に出るとは予想外だったのだろう。
だが、これも……。
「いいぜ。乗ってやる」
自信に満ちた言葉にざわっと肌が粟立つ。
俺の突きに併せて、兄は全力で剣を打ち付ける。
有り余る膂力で俺の剣を跳ね除けるのがその狙い。
剣を落とすことは無かったが僅かに俺の態勢が揺らいだ。
「甘いなっ! 何度も見せられれば!」
兄が勝ち誇るように叫ぶが、それは俺の狙い通り!
瞬間、俺は剣を弾かれた力をそのまま受け流して左足を前に出し、剣を振り上げようとした兄の懐に流れるように入る。
「なっ!」
肘鉄は相手を押す程度。今の態勢ではそれが限界。
追撃の右ハイキックも兄は背中を反らせて回避した。俺は歯を食いしばる。
反射神経が良すぎる。あと一撃……本命!
「これで終わりっ!」
前に置いた右足を送って勢いを付け、全力の横蹴りを放つ。
最後の一撃はさすがの兄も回避しきれずに、後方に吹き飛ばされた。
辺りが、し……ん……と静まり返る。
俺は左手で頭を掻いて、溜息を吐いた。
「効いてないでしょ。起きなよ。カイル兄さん」
「やれやれ、あんな隠し球があるとはなぁ。かっけー」
「打ち止めだよ」
埃を叩いて兄はゆっくりと立ち上がる。
蹴ったときの感触が軽すぎた。
恐らくはあの崩れた態勢から後ろに飛んで勢いを殺したのだ。
常軌を逸している。どんな経験を積めば完全に不意を付いた連続攻撃を受けきれるのか。
俺が兄に対して遥かに勝っている技術……徒手格闘術。
不意を付くために使ったが、二度は使わせてくれそうにない。
「今はカイル兄さんの方が強そうだね」
「今は……か、負けず嫌いは相変わらずだな」
後の二つの手札は切ることは出来ない……詰んだか……そう俺が考えた時、兄の背後で異変が起こっていた。距離にして100m……これは……。
「どうした? ケイト」
訝しげな兄を無視し、俺はホルスの方を見る。彼は不思議そうに俺を見返してきた。
彼ではないのか……となれば。
「カイル兄さん。遊びは終わりだよ」
「ん、これからが本気か?」
「いや、言い方を間違えた。仕事」
楽しくてたまらないのか満面の笑顔の兄に俺は苦笑を向けて剣を納め、放置してエール伯に近付き、膝を付く。
「顔に似合わず荒っぽい戦いだったな。どうした?」
「南に配置していた精霊に反応がありました。もしも三国の打ち合わせにないことであれば……敵襲かもしれません。集団のようです」
「何っ!」
精霊の配置……これは俺の能力の不自然さを感じ取られないよう考えた嘘だった。
精霊魔法の特異性……アバウトさがなせる苦しい言い訳である。
俺の言葉に半信半疑のエール伯は慌ててディラス帝国の代表であるライルート伯に視線を向けた。
「……? ど、どうしたエール伯」
ライルート伯は急に向けられた怒りの篭もった視線に驚きながらも、その理由がわからないといった風にエール伯に言葉を返す。
ヴェイス商国の代表も同じだ。急に止まった戦いと、エール伯の様子に困惑している。
その間にも襲撃者は集まり、こちらの様子を伺いながら待機していた。
数にして20人程。装備を確認する限り、軍人ではなさそうだ。
仲間が集まるのを待っているのだろう……人数は増えてきている。
日は既に落ちているが、どうやって侵入したのか。
警備の軍を掻い潜ったか、そもそも仕事をしていないのか……いや、それは後だ。
「エール伯。迷っている時間はありません」
「そうだな。ライルート伯、エルドス評議員、敵襲らしい」
広間に集まっている者達の表情が引き攣る。無理もない。
この島の正確な場所を知っている者は少ない。
ヴェイス商国の代表である三十代くらいの細身の男、エルドスと呼ばれた男は薄ら笑いを浮かべる余裕があるようだったが、ライルート伯は震えながら憤りの声を上げていた。
今のタイミングの敵襲……真っ先に思い浮かぶのは、不利なディラス帝国による襲撃だ。
「な、なな! なぜ私だけがこんな目に……くそっ! 軍は何をしておるかっ! このままでは私はっ!」
だが、そのライルート伯は明らかに関与していないように見える。
と、なれば……。
「ライルート伯、ご安心を。調印は必ず成功します。我等に迎撃のご命令を」
静かにゆっくりと……微笑みながらライルート伯に膝を付いたのはホルスだった。
彼の表情からは動揺は伺えない。
そんなホルスに疑いの視線を向けていた俺の背中を兄が思い切り叩いた。
「ま、要するに倒してしまえば逃げないでも良いし、調印も問題ないわけだ」
「カイル兄さん……」
敵襲があったと知っても兄は軽い調子で笑っている。
この程度は何でもないことだと言うかのように。
そして、耳元で小声で囁く。
「言っとくが俺達じゃないぞ……で、どっちだ」
俺は頷いて、敵のいる正確な方向を指差す。
「よしっ! 各国の護衛達も手伝ってくれ! 腕を披露するチャンスだぜ!」
豪快に兄は各国の代表もいる中で宣言し……さすがにまずいと思ったのか「いけねぇ」と呟いて、ライルート伯に深々と頭を下げた。
「う、うむ。お前達の強さ、他の国にも見せてやれ」
「お任せを」
兄とホルスは一礼し、他の国の代表者の方を見る。
安全を考えれば代表を護衛し、船のあるところまで逃げるのが正しいと思うのだが……軍人が近くにいるのだから、それが確実のはずなのだ。
兄達やライルート伯が迎撃を主張しているのは調印が失敗すれば困る事情があるための行動だろう。だが、調印出来ずに困るのは他の二国も同じではないだろうか。
ここで調印出来なければこの襲撃の理由を巡って三国は疑心暗鬼となり、協定を結ぶことはもはや不可能になるのではないか。
命の危険と国としての危険……それをどう考えるのか。
俺は自分達の国の代表である、エール伯の方に確認を取る。
彼はじっと悩むように顔を俯けていたが、顔を上げ、苦渋の表情で俺達に命じた。
「仕方がない。迎撃だ。ケイト・アルティア。お前が我が国の護衛全員の指示を出せ」
「……了解です。よろしいのですか?」
「構わん」
命令を受け、俺は深々とエール伯に一礼する。
襲撃者は30名程まで増え、此方に向かって近付き始めていた。




