第十六話 エルーシドの神官
木材を中心とした暖かな雰囲気の客間に通された俺達はカリフに椅子を勧められ、対面の席に座る。同時に若い女性の神官が飲み物を用意し、頭を下げて部屋から出て行った。
部屋の内装は華美ではないものの、職人が手間暇を掛けた家具が置かれている。
念のため飲み物を探知してみたが、大丈夫のようだ。穿ちすぎか。
「遠慮せずに飲んでくれ」
「有難う御座います」
少しだけ飲むと柑橘系の甘さが口に広がっていく。ウルクから俺の好みまで話を聞いたのだとすると、彼はよく見ているのかもしれない。
「さて、先程説明したとおり、君達の手続きの件は特に問題はない。だが、君達の出国はもう少し先になる。何故かわかるかね?」
「何故でしょうか」
答えずに聞き返した俺にカリフは、まるで出来の悪い生徒に対するような穏やかな表情で首を横に振る。
「いかん、いかんな。何事も聞けばいいというものではない。間違ってもいい。考えなければ。周囲で何が起こっているのかを」
「三国の問題が解決していない……ということでしょうか」
楽しそうな表情のカリフに悪意の色は見えない。どちらかというと困っている生徒を肴に楽しむ意地悪な教師……そんな雰囲気だ。
彼はシーリアの方にも顔を向ける。
「え、私? ケイトの答え以外に何かあるの?」
「それ以外に考えてみなさい」
「うーん……湖族のせいで通行出来ない……とか? ああでも、それならぶっ飛ばせばいいか……悪人だし。なんだろ」
質問の意図がわからないのか、シーリアは首を傾げる。
相当悩んだのか困惑の色が濃い。
「まあ、君達の答えも一つだ。だがそれだけではない」
カリフは巨体に見合った大きなコップに入れられた自分の飲み物をぐっと飲む。
彼の飲み物は酒のようだ。強いアルコールの匂いが漂ってくる。
「それを理解していないと考えたから今日は来てもらったのだ。若人を正しい道に導くのは聖職者の仕事だからな……ま、わしも朝から酒を飲んでおる不良坊主だが」
他にも理由がある。しかも、俺が気付いていない理由が。
豪快に笑う彼の口振りから、それに気付かなくてはおかしいというところか。
遺跡のことか……?
あれのことで命の危険があるなら、シーリアを守らなければならない。
動揺を表情に出さないよう注意しながら、カリフが話すのを待ち続ける。
「ケイト君。君は鋭いし、知識も知性も年の割には素晴らしいものがある。それでいて自分の力に驕らず、功を誇ることもない。『他人』に対する警戒心も持っている。だが……」
静かに飲み物を置き、カリフは微笑む。
「身内への信頼と己への過小評価が過ぎるようだな。それは時として欠点となる」
「過小評価……?」
思わず聞き返すと、カリフは鷹揚に頷く。
「水魔『クラストディール』。この地方の伝説に残るような魔物を退治した弱冠十五歳の若い冒険者。ウルクは君が偉業を成し遂げても変わらないと手放しで褒めていたが、それは違う……わかったようだね」
「俺の行動は国から警戒されている……ということですか」
「君は若く、喜び勇んでも不思議ではないのに普段通りだから、さぞかし不気味に見えているだろう。人は自分の信じる物差しでみるからな。わしも話したことがなければ、警戒したはずだ」
つまりはそういうことだ。
城塞都市カイラルで警戒されたのと同じように、俺はこの街でも警戒され始めた……そして、それに気付くのに遅れた。致命的な程に。
今、目の前の聖職者は俺にその事実を突きつけている。
難しい表情で見つめ合う俺達の空気を崩すかのようにシーリアは不思議そうに口を開く。
「え、ああいうの倒すのが冒険者じゃないの?」
「…………君はラキシス殿に似過ぎているな」
「ええー、本当っ?」
顔を真っ赤にしてシーリアは照れているが……カリフの表情は今までに無いほど苦悩に満ちている気がする。本当に褒めているのだろうか。
「まあ、彼女の話は置いておこう。重大な問題はそこではない。何者かが君の性格をよく理解した上で利用している。恐らくは君の兄かホルス・アーネルスだろうが」
「利用……?」
「偶然かもしれないがね。『クラストディール』を仕留めた一人であり、カイル・アルティアの弟である君が『リブレイス』の拠点に行き来している。これを他人はどう見るかね?」
つまり、俺達にその気は無くとも周りからは『リブレイス』の一員として見られている……ということか。そして、あの組織はカイラル周辺で問題を起こしている。
根の深い厄介な組織……そこに現れた、実際の実力はさておき、事実として『クラストディール』を倒している若い冒険者。国からは歓迎されるわけがない。
「俺は『リブレイス』とは無関係です……が、理解はしました」
「やはりな……説教臭くてすまんな。わしの唯一の楽しみなんだ」
声を上げて笑うカリフに俺は頭を下げ、同時に自分の考えの足らなさに歯軋りする。
兄ではない……この考え方はホルスだ。
あいつは倒すだけでなく、後のことも考えていたのだろう。
如何に『リブレイス』の名声を上げるか……この件がどういう顛末を辿るにしろ、あの組織が一番得をしているのは間違いない。
国には組織とは無関係である俺達を警戒させ、ホルスは裏で悠々と自由に行動する。
頼み事自体はホルスでは無く、兄にさせることにより、単に女性を守るため……といった単純なことしか俺に考えさせずに引き受けさせた。
言い訳のしようもない。俺が甘かったのだ。
「君の目的は何なのかね。無目的で旅をしているわけではあるまい」
「世界を回り、見聞を広げることです」
ふむふむ……と、カリフは大きく頷く。
「それは『呪い付き』と関係していることを調べているのかね?」
「……ウルクは口が軽すぎるようですね」
これは『精霊石』の話も伝わっていると考えた方がいいだろう。
神殿の立場としてどうなのか……カリフは追求してこないが……。
「はっはっは! そう言わないでやってくれ。あいつも仕事だ。わしが命令した」
「俺を『呪い付き』と知って、貴方はどうされますか?」
「どうもせんよ。君達をどうこうすると、後が怖いからな」
苦笑いしながらカリフは立ち上がると、ノックをして入室してきた神官から数枚の書類を受け取り、俺の前に置く。
その書類には細かい字で色々と書かれており、最後にサインで締めくくられていた。
「正式なヴェイス商国入国許可証だ。だが、出国はピアース王国側から許可が降りるまでは自重して欲しい。わしもなるべく尽力しよう」
「ありがとうございます」
「命懸けの仕事の正当な報酬だ。気にすることではない」
立ち上がって頭を下げる俺に、カリフは穏やかな笑みを浮かべて何度も頷く。
彼の目的は見えないが……敵対的ではなさそうだ。内心の考えまではわからないが。
話もこれで終わりなのだろう。書類を受け取ると俺達も謝辞を述べ、退出しようとして……呼び止められる。
「我が神の神殿に伝わる大昔のある聖人の口伝の一節だ。『異能者が呪われたのは、神の御心を全ての者が等しく理解出来なかったからである』……解釈は様々だが、君の旅の目的から考えれば、いいエール土産になるだろう」
「何よりの土産です」
どういう意味かはわからない。だが、このような口伝を集めることで、『呪い付き』に対する真実も見えてくるかもしれない。俺は素直な気持ちでカリフに感謝の言葉を告げた。
「難航はするだろうが三国の問題は解決させる。だが、目的のわからないきな臭い動きも見え隠れしている。わしも君達も否応なしに巻き込まれるだろう。注意することだ」
別れ際にカリフは厳しい表情でそう俺に告げた。
どのような情報を持っているのかはわからないが想像以上に状況はよくないのかもしれない。それとも『精霊石』を持つ、俺に対する警告なのだろうか。
自分と仲間の身の安全を守るために、どう対処していくか。
今、一人でアリスの護衛をしているクルスも心配だ。まずは合流しなければならない。
新しい情報を下に、取ることが出来る方法を考えていく必要がある……俺はそう考えながら、水の神官の神殿を後にしていた。