第十話 戻れる場所
次の日、なんとか風邪を引くことはなかったが一日おとなしく寝るように申し付けられた。
薬師のジンさんの見立てでは、無理をしなければ大丈夫だそうである。治療の腕は間違いないので信じるしかない。
説教は耳が痛い内容だった。尤もな説教だったので黙って聞くしかなかった。
子供の身で無茶をしすぎだったのは間違いない。違和感は感じていたのに誰とも相談していないし、飛び出るときも勢いだけで非常にまずい対処だった。怪我人が他に出なかったのは奇跡だ。
人を頼る事も覚えなければならないかもしれない。
それからジンさんたちがそうだったからかもしれないが、自分が村を出ようと考えていることはばればれで、そのせいで友人を作ってないのではないかと指摘された。
村を出るつもりなのは確かだったが友人に関しては、実際は同世代相手にどう接すればいいのかわからなかっただけで、そこまでは考えてなかったが……。
ジンさんは暗に自分のためだけじゃなく他の人のためにも作っておけと言っていた。
筋肉痛と怪我でばきばきに痛む体をもぞもぞ動かしてベッドに寝転がりながら、これから先どうするべきかということを考える。昨日の出来事で頭がごちゃごちゃでいい考えは浮かばない。
とんとん、と控えめな軽い音を立てて扉がノックされる。家族ではなさそうだ。両親や兄や姉ならもっと元気のいい音がなる。
「どうぞー」
中々入ってこないのでこちらから声を掛けると、姉のお古を着た見知らぬ少女が入ってきた。
黒髪はショートに整えられてさらさらに櫛が通されていて、若干黒い瞳不安そうに揺れている。日本にいた頃を思わせるような……。黒い瞳に黒い髪?
「もしかして、クルス?」
「……うん」
照れているのか不安なのか少しだけ瞳が揺れている彼……彼女は頷く。
そういや誰も男だなんて一言も言ってなかった気がする。ぼさぼさの髪の毛で服装も動きやすい格好だったし……あんなに長い間一緒にいたのになんで気づかなかったのか。
今考えればカイル兄さんはわかってたんだろう。他の人も当然に。
左手で頭をわしゃわしゃと掻く。
「おはよう、クルス」
「おはよ。ケイト」
何故ここにとかどうしてそんな格好を……とか、流石にそこまで馬鹿なことは聞かなかった。
当然見舞いに来てくれたのだろう。格好の方は母と姉の仕業に違いない。
しばらく二人して沈黙し、先に自分が沈黙に負けた。
「来てくれて有難う。でも、びっくりしたよ」
「……どうせ似合わない」
クルスの方は少しだけ不満だったようだ。
「似合いすぎてびっくりしたんだ」
「……本当に?」
「うん」
俺がそう続けると彼女はそう…と小さく呟いた。
実際に似合っている。ぼさぼさだった髪はすっきりして、前よりも遥かに明るい雰囲気を出しているし、服も清潔で華美ではないものの、少しだけ細工も入ったお洒落な服は彼女を可愛らしく見せていた。
初めて見る丈の長いスカート姿も似合っている。
よほど親しくないと同一人物とは思えない程の変貌だった。無論いい意味で。
また沈黙する。クルスは饒舌ではない。彼女は言葉をいつも選んで話す癖があるから無理に急かさない。
表情を見るといろいろ考えているらしい。
暫く待つと話すことは決まったらしく、口を開く。
「悪いことしてごめんなさい」
「うん。悪いことだった。あんなことはしたら駄目だ」
悪いことは悪い。変に否定はしなかった。クルスも頷く。
彼女の言いたいことは続きがあるのだろう。
「お母さんにもガイおじさんにも怒られた。……初めて」
「そか……。まあ俺も怒られたけどな。ジンさんに」
一緒だな、と笑った。
しかし、メリーさんのことはよく知らないけどガイさんは今頃後悔で泣いてそうだな……。あの人は甘やかしそうなタイプだし。
頭を抱えてごろごろ転がっている髭もじゃの大男を想像して少しだけ苦笑する。
「……お父さんがいなくなってから夢をよく見る」
「そういえば言っていたね」
「夢では別の人になってて……よくわからないけどすごく何かに怒っていて……そして最後は後悔する。苦しむ……その気持ちが起きても胸に残る。自分のことのように」
そう言いながら辛そうに胸を抱える。
それがどんな夢なのかは解らない。理解は出来なかったが、その胸に残る感情は彼女が初めて会ったときの絶望を映した目をするほどのものだったのだろう。
初めて自分のことを話した彼女は、少しだけ息を吐いた。
「辛かったんだね?」
「……うん。でも……」
彼女はこちらの眼をまっすぐに見る。初めに見た昏さは完全に消えていて、表情は乏しいが少女らしい明るい眼になっていた。強い意思も感じられる。
「昨日……夢でその人に会えた。だから言ってやった」
「何を?」
「私はあなたじゃない。強くなるし誰にも負けない。ケイトやみんなと頑張る。だから消えてって。そしたら、初めてその人笑って消えた」
そういってクルスは微笑んだ。
慣れていないせいか無理したように不器用でお世辞にもかわいい笑みではなかったが、自分にとっては忘れられない笑みになりそうだと思った。
話の内容は理解出来ないが、何かしら吹っ切れたのだろう。
「それから……次はケイトを助けるって約束したのに……助けてくれてありがとう」
「どういたしまして。何だか元気出たみたいだし本当によかったよ」
俺も笑顔で返した。だが、続けた言葉には驚いた。
「……ガイおじさんとジンおじさんに、ケイトと一緒にって頼んだから。明日からよろしく」
「は……?」
「私も……強くなる。ケイトを守る」
そういいながら小さい手で拳を作っていた。眼が本気だ。
いいのかそれは。そんな無理しなくても……
「本気?」
「……うん」
なんだか意思は堅そうだ。
二人もすでに認めているようだし、一人でやるより賑やかにもなる。それにクルスは一度決めたら絶対に動かない。
説得を放棄すると右手を差し出した。
「よろしく頼むよ」
「……うん。直ぐに守れるように頑張る」
「直ぐに追いつかれたら立場がないなぁ」
彼女は苦笑しながら差出している俺の手を自分の手でしっかりと掴んだ。
暫くゆっくりと彼女と会話をしていたが、別の来客が訪れた。
今度は三人だ。その姿を見て俺は驚いた。
「よ、よう。元気か?」
「あーうん」
太った少年が気まずそうに声をかけてくる。自分もどう対応していいものか悩んで、曖昧な返事を返した。
三人ともクルスにも軽く挨拶する。少女がクルスとは気づいていないようだ。
「えーっと。何……?」
「あー。そういえば名前もいってなかったな。俺はマイスってんだ。後の細いのがヘイン。もう一人がホルス」
後のヘインはなんだかばつが悪そうにしている。まあ、当然だろう。こないだ喧嘩したばかりだし。一方ホルスは苦笑いしていた。
「怪我したって聞いてな。お、俺が勝つまでいなくなられると困る」
と、また反応に困るようなことを言ってくる。クルスは何も言わずにこちらを見てるだけだ。
なんだか、そうじゃないでしょと後の二人に突っ込みを受けていた。
太った少年、マイスの代わりに細い少し気弱そうな少年…ヘインが代わりに出てきた。
「なんか怪我したらしいって聞いてお見舞に……と、頼みがあって」
「どいてろ!ったく。ちゃんと自分で言う。こんなこと頼むのもどうかと思うんだが、クルスに会わせて欲しいんだ」
「何故?」
意地悪な問い返しだ。先日ホルスに頼まれて知っているのだから。ホルスの顔を見ると、目で頼むよと訴えかけてきていた。小さく頷いて先を促す。
「……あの後、三人で話したんだ。いくらなんでもあんな年下殴ったのは悪かったって。だから、謝ろうってな。ずっと一人だからほっとけなくて……その……ついきついし嫌な言い方もしちまったし……あ、でもお前には謝らないからな!男同士の一対一だかんな!次は絶対勝つ!!」
なるほど…と、笑ってしまった。
ホルスの話通り案外悪いやつらでもなかったらしい。
「ぷっ、くく。そうだなあ。うん。僕はいつでも相手になるよ」
「何がおかしいんだ。ったく……で、会わせてくれるか?」
「……そういうことらしいよ?」
と、クルスの方を向く。彼女は口を少しだけ開けて驚いていたようだ。
「「「……は?」」」
三人がクルスの方を向きその動きが固まる。
気付かないのも無理はない。自分も気づくのに遅れたのだから。
目の前の可憐といった形容が似合う少女がクルスとは夢にも思ってなかったに違いない。
「「「………はあああああ!!!!」」」
三人とも気づくと大声で叫んだ。煩い。
「ちょ、ええ?」
「嘘ですよね……」
「マイス……」
三者三様困惑した様子でクルスの方を向く。
彼女は彼女で居心地が悪そうにこちらを見ていた。仕方ないので助け舟を出す。
「……で、クルスは許す?」
彼女は暫く考えたあとこくりと頷いた。
「三人も私を探してくれてた。迷惑かけて御免なさい」
そして、マイスの方を向く。初めて俺以外に目を合わせて頭を下げていた。
マイスは顔を真っ赤にして狼狽えつつも勢い良く頭を下げた。
「あー。えー。あー。とにかくあのときは本当にすまなかった。ごめん!」
「それじゃ仲直りだね。よかった」
なんだかおかしくて、俺は声を上げて笑った。クルスにも友人が自分以外にもできそうで安心した。クルスも小さくくすくすと釣られたように笑った。
それを見てマイスはまた顔を赤くして不機嫌なような顔でそっぽを向き、残る二人はその様子を見て笑っていた。
俺が強くなった方法を三人が知ると彼らも遊ぶ時間を返上してでも参加すると言い出した。
よっぽど負けたのが悔しかったらしい。
こうして、一人で続けていた訓練は5人でするようになり、ガイさんは上機嫌で教え、子供が苦手だというジンさんは顔をしかめつつも協力してくれるようになったのである。
俺にも同世代の友人が出来た。幼年期に出会った彼らの存在もクルスと共にこの異郷での生活を楽しいものにしてくれたのである。
将来成人した時に、今日という日はある意味で初めてこの村が本当の意味でいつでも戻れる場所……故郷と呼べるようになった日と思い出せる記念の一日になった。