第五話 複雑な再会 後編
茶番……彼女はそう言った。
俺は質問の意味が理解できず、困惑して金色の長い髪を持つ小柄な少女……アリスを見つめる。だが、彼女は押し黙ったまま何も答えない。
助けを求めるように他の面々の方を向いたが、クルスは興味が無さそうにしているし、シーリアは意味がわからないのか首を傾げている。
ホルスも首を横に振って苦笑しているし、兄もよくわからないらしく、ぽかんとしていた。
仕方がないので、彼女に発言の意図を聞いてみることにする。
「ごめん、茶番って何のことかな?」
苦笑いしながら、なるべく丁寧に聞き返すとアリスはしばらく考えるような仕草を見せ、ふむ……と、感心するように呟いて、答えた。
「お前とカイルは兄弟ではない」
「普通に血の繋がった兄弟だけど?」
容姿もそっくり……とは言わないまでも似ているはずだ。
髪の色、瞳の色、顔立ち……明らかな血の繋がりを感じる。
「そういう意味ではない」
だが、彼女は静かな……それでいて、多少苛立ちを感じさせる口調で否定した。
「お前は『呪い付き』だろう?」
「俺が『呪い付き』だから兄弟じゃないと?」
アリスは小さく頷く。どうやらそういうことらしい。
なるほど……と、思う。確かにその問題は昔、考えたことはあった。
この発想は……兄とホルスが湖の怪物を倒せると考えていることを併せると……。
「君も俺と同じ『呪い付き』なんだね」
「……半端者ではない……か。信じ難い」
「おいおい、頭が悪い俺にもわかるように説明しろよ」
兄が呆れるような表情で俺の方を向く。
俺は一度アリスの方を見てから、小さく笑って兄に答える。
「彼女の勘違いだよ。カイル兄さんと兄弟じゃないわけがない」
「そうだね。女好きなところもそっくりだし」
タイミングよく茶化してきたのはホルスだ。
こいつはアリスの言いたいことがわかっていて言っているのだろう。
だが、今は有り難い。
「それもそうだな。女二人と冒険なんて……流石は俺の弟だぜ」
兄もそう言って明るく笑う。
俺も確かに昔は悩んだ。だけど、今はもう悩んでいない。
クルト村での穏やかな生活……助け合い、色々なものを乗り越えていく中で、そのことについては俺の中で答えは出ている。
「俺は『ケイト・アルティア』だよ。他の何でもない」
「そう、お前は捨てたのね」
「どうだろう。俺はただ、正面を向いて歩いているつもりだけど」
軽蔑するような彼女の言葉を否定はしなかった。
この問題に関してはどちらが正しいというのもないだろう。
アリスにもかつての記憶が残っているとすれば……その過去が大事であれば大事であるほど、今を認めることは出来ないのかもしれない。
思えばあのサイラルも……か。
元の世界に戻るのだと……そう叫んでいた。
「それにしても『呪い付き』ってお互いわかるものなんだね」
「さてね」
ホルスの探るような問い掛けにはそう短く答える。
今回のように向こうがヒントを出して来れば、わかるかもしれないが……隠す気が相手にあれば普通は気が付くことはないだろう。
俺の場合は名前さえわかれば『ステータス閲覧』があるが、それを話す気はない。
「もう、用は済んだ」
アリスはそう呟き、立ち上がろうとしたが兄が腕を掴んで引き止める。
「待った。まだだ。座れ」
「お前の命令を聞く謂われはない」
小柄な彼女は立ち上がっても座っている兄と背丈が変わらないが、強く命令するように声を掛けた兄にまるで怯むことなく、睨みつけていた。
兄は怖い怖いとおどけながらも彼女を強引に座らせる。
「短気だな。アリスちゃんは……まったく。仕事の話終わってないぜ?」
「こいつは必要ない」
「君がそう思っても僕達には必要なんだよ」
仕事の話……それをするためにアリスを残さなければならない……と、いうことは……兄とホルスの言っている仕事の話というのは……。
「ごたごたして悪いな。実はお前らに頼みたいことがあるんだ」
「湖の魔物……『クラストディール』討伐に俺達も協力しろと?」
「はは、話が早いな。そうだ」
すぐには応えず、俺は兄をじっと見つめる。冗談を言っている様子はない。
ウルクの話によると相当危険な相手のはず……。
「カイル兄さん、断ると言ったら?」
クルスやシーリアの安全にも関わる。
いくら勝機があろうと、会って生還した者がいないような魔物の相手をするなどという無謀な行為に、安易に付き合うわけにはいかない。
「困る……が、俺達だけでも行く」
「強制じゃないんだね」
「当たり前だろ。俺を何だと思ってんだ」
兄は呆れるように笑う。嘘ではない……嘘を付けばすぐに顔に出るから。
ちらりとホルスの様子を伺うと、落ち着いた様子で座っている。
もう一つ確認しなければいけないことがある。
「僕達は冒険者としては駆け出し。役に立つとは思えないけど」
この街だけに限定しても、俺達より強い冒険者はいるだろう。
迷宮に潜ることで腕をかなり上げてはいるが……戦い慣れない湖の上で、戦ったこともない強敵を相手にまともに戦えると思うほど、俺は自惚れていない。
「あーそれはな。アリスちゃんの能力と関わってるんだ」
上手く説明しようと暫く兄は呻いていたが、ホルスが助け舟を出し、代わりに説明を始める。
「僕から説明するよ。『クラストディール』は湖の中で自由自在に動き回る魔物。まず、普通に戦えば勝負にもならない。それはわかるね?」
「相手の大きさにもよるだろうけど……話を聞く限りそうだね」
ホルスは頷いて続ける。
「倒すにはまず、動きを封じないといけない。そのための能力をアリスが持っているんだ」
彼の説明を聞き、アリスの能力を初めて確認する。
一般技能は理論魔術特化……そして、特殊技能『心の蔓』。
名前からはどのような能力なのか想像もできないが……。
しばらく、アリスの方を不自然に見てしまったからか、不思議そうに彼女が俺を見た。
俺は慌てて自分の不躾さを誤魔化すのも兼ねて、彼女に能力のことを訊ねる。
アリスは嫌そうに口を引き結んでいたが、仕方なさそうに答えた。
「……能力のことは話たくないのだけど……仕方無いか……お前は目がいいらしいわね。度量衡は通じるはずね? 何mくらい視えるの?」
「大体100m。視界の善し悪しは関係ない」
「なるほど。確かに使えるわね……」
そう言って彼女は考え込む。
「私の能力は30m。視線を相手のいる方向に向け続けなくてはいけない」
「それって、厳しくない?」
視界の良くない水中の敵に使うにはあまりにも発動条件が厳しく、リスクが高い気がする。
だが、彼女は薄らと笑みを浮かべていた。先程のような小馬鹿にする笑みではない。
自分に自嘲しているようなそんな雰囲気があった。
「リスクは承知。いつ死んでもいいから構わないわ」
「おいおい、やめてくれよアリスちゃん。美少女が美女になる前に……とか世界の損失だぜ。ま、そういうわけだ。今のままだと、かなりの博打になってしまう」
兄もホルスもアリスの能力を知った上で……博打と知っていてもなお、それでも行こうとしているということか……何故そこまで……。
「カイル兄さんは、何故そこまで危険なのに戦うの?」
俺の心からの疑問に、兄は朗らかに笑う。
自分の正しさを少しも疑っていないやんちゃな悪餓鬼のような顔。無謀で何も考えてなくて、とんでもないことを言っているのに何故か憎めない……そんな表情で。
「決まってら。俺が頑張れば困ってる奴が助かる。冒険者が命を賭けるには十分な理由だろ! 助けられる方法があるのに怖いからやんねーってのは格好悪いからな」
リスクを常に考え、慎重に生きている俺には持てない笑顔だと思った。
悔しさもあるが、仕方がない気もする。
俺と兄では生き方の根底が違うのかもしれない。
「カイルは運を持っているんだ」
「……ホルスの口から運なんて言葉が聞けるなんてね」
「理解不能なんだ。でも、生き延びている僕が言うから間違いないよ」
そう言ってホルスは肩を竦める。
兄はずっとこんな風に命を賭けながら生きてきたのかもしれない。
まるで、物語の中の冒険者達のように。
俺は覚悟を決めて、顔を上げる。
「アリスさん。相手の方向がわかれば、見えなくても大丈夫なんだよね?」
「そうよ……まさか、命を捨てに来る気?」
俺は首を横に振る。命を捨てるわけじゃない。
「『クラストディール』を倒すよ。ホルス……どうせ考えてあるんだろ?」
「ああ。君が来た場合の勝ち方は考えているよ。心配はいらない」
ホルスが口の端を持ち上げて笑みを浮かべて頷く。
クルスやシーリアを危険に巻き込むことになるが……俺は溜息を吐く。
「二人とも、協力してもらうよ」
俺はシーリアとクルスに来るかどうかの確認はしなかった。
答えはわかりきっているからだ。
「ケイトの選択は正しい。カイルより私の方が強いし」
「当たり前よ。相手が強いから逃げるなんて……私には無いわ」
二人とも驚くこともなく、彼らへの協力を当たり前のように受け入れた。
クルスもシーリアも他人を見捨てて逃げるなど、考えもしていないだろう。
彼女達は先程の話で、俺がいなければ失敗の可能性が高いということは判断出来たはずだ。
もし、兄の申し出を俺が断れば、クルスとシーリアのために断ったということは直ぐに二人にはばれるに違いない。彼女達にとってそれは間違いなく、侮辱だ。
だから、俺は彼女達の好意に甘え、危険な戦いを選ぶ。
そして、誰も欠けずに勝利できるように考え、全力を尽くす。
「……意外ね。別に死にたがってるわけでもなさそうなのに」
アリスは不思議そうに俺の方を見る。
彼女の瞳には少しだけ興味の光が見えた。
「僕はカイル兄さんと違って、堅実に生きたいと思っているんだけどね」
苦笑しながら俺はアリスに答える。
だが、城塞都市カイラルといい、この貿易都市エールといい……どうもトラブルに好かれてしまっているようだ。
「堅実、堅実か……」
その言葉を聞いて、懐かしいものを思い出すような遠い目をしながら、続ける。
「そういう生き方も悪くはない」
「……そうかな」
穏やかな微笑みと共に呟かれた意外な答えに、俺は頭を掻いて生返事を返した。