第三話 ディラス帝国の妥協案
翌日、床の上で俺は目を覚ました。
痛む体を伸ばして欠伸をし、寝ぼけながらも天井を見て、現状を思い出す。
身体を起こして床に座り、頭をがしがしと掻いて二つあるベッドを見ると、まだクルスとシーリアが小さな寝息を立てていた。
一緒の部屋に泊まっていたのは二人部屋しか『水龍亭』には空きがなかったのもあるが、他の客の不満がどう働くかを予測出来なかったためでもある。
そうでなくとも、冒険中は俺達はこうして宿を取るときには三人一緒に泊まるか、クルスとシーリアが二人で一部屋を取るように前もって相談して決めていた。
クルスもシーリアも俺と一緒に寝ることは気にしていないが、女性の旅というのは大変なものだと思う。
そんな彼女達が平気なのだ。俺も慣れなければならないのだろう。
身体と一緒に心も思春期になっているようで、少々辛くはあるが……。
ちらっと彼女達の寝顔を覗くと、クルスは本当に静かに眠っており、シーリアは毛布を跳ね飛ばし何かいい夢を見ているのか寝言を言いながら幸せそうな顔をしていた。
二人ともよく眠れているようだ。
クルスはともかく、シーリアは旅慣れていない。
……はずだが、慣れない野宿でも気持ちよさそうにしっかりと眠っていた。
彼女の図太さ……いや、強さは誰に似たのだろうか。
まあ、しかし疲れは残っているはずだ。
久々のベッドだし、ゆっくり休んだほうがいいだろう。
「ほんと、目のやり場に困るなぁ」
寝相が悪いせいでただでさえ薄い寝間着が乱れていた。スタイルがいいため、直視するだけで気恥しくなってしまう。俺はなるべく彼女から視線を離して毛布を掛け直した。
俺達はある程度の日数、滞在することに必要な古着や日用品を購入していた。
その数日の間に大回りの陸路を使うか、湖の交通再開を待つかを判断する。
出来れば兄やホルスとも会い、話を聞きたいが……。
とりあえずは二人が起きる前に……と俺は立ち上がって身体を伸ばし、身嗜みを整えるために髭を剃る小さなナイフを服のポケットに入れて部屋を出た。
楽しそうに去っていった昨日とは正反対の、どんよりとした表情のウルクがふらふらと『水龍亭』に現れたのはクルスとシーリアも目を醒まし、遅い朝食を終えた頃だった。
どことなく手入れされている様子だった長い髪もあちこち跳ねており、肩もがっくりと落としているため、五年は老けて見える。実年齢は知らないが。
わかりやすい青年だ。恐らく昨日の交渉は不調に終わったに違いない。
「あ、いたっすね……皆さんおはようございます」
「おはよう。大丈夫?」
俺は苦笑いしながら心配しつつ、ウルクに椅子を勧める。
彼は「ども……」と、小さく礼を良い、俺達のテーブルの席に着いた。
「あまりいい結果じゃなかった……かな?」
「いや、進展はあったんす」
クルスが立ち上がって宿の主人から水を貰ってウルクの前に置き、静かに席に座る。
昨日のことをどう説明しようかウルクは悩んでいるようだったが、木製のコップの水で口を濡らすと、ゆっくりと語りだした。
「ディラス帝国は『湖の民』の真珠を全て帝国に納品しろって言ってきたらしいんすよ」
「真珠……って何?」
「宝石すね。うちの特産品で、税金差し引いても結構いい値で売れるんす」
不思議そうに聞いたクルスにウルクが答える。
城塞都市カイラルでも真珠は売られてはいたが、かなりの高級品だった。
俺の知識では真珠は海で取れる物……という常識があったのだが、淡水である湖でも取ることは出来るらしい。元の時代でも知らないだけであったのかもしれないが……。
宝石の売買が行われているなら、動く金は大きそうだ。
ディラス帝国の目的はそこにあるのだろうか。
それにしては、やり方がまずい気がするのだが……もし、真珠が『湖の民』だけの技術だとしても、俺のように現代から流れてきた、『呪い付き』が何人かいれば真珠の製法の想像が付くものもいるだろう。
実際に採算に載せるには時間は掛かるだろうが今回のようなディラス帝国にこのような博打を打つ必要性があるとは思えない。むしろ、物流が止まることによる自国への打撃を考えれば……。
国は俺達のような『呪い付き』を把握していないのだろうか。
「ケイト?」
不思議そうな表情のシーリアが声を掛けてくれたお陰で、はっ……と、俺は思考を現実に戻す。
国同士の関わりのことは後回しだ。
「ごめんごめん。ウルク、続きを」
「はい。で、昨日言ってたケイトのお兄さんすね。彼等が何とか他の条件を取ってくれたんすけど、それがまた、不可能な案って奴で」
「不可能?」
ウルクは涙目で頷く。女性より女性っぽい気がして、俺は眉をひそめる。
彼はいろんな意味で大丈夫なんだろうか……いや、今はどうでもいいことか。
重要なのは、その不可能な案の内容だ。
「うちらの住んでいる島は中央付近にあるんすけど、湖のほんと中央じゃないかなってところに何かの遺跡があるらしいんす」
「なんで疑問形なの?」
シーリアの疑問に対して、ウルクは苦笑いしながら答える。
「『湖の民』でも、その島に入れないからっすよ。船は問答無用で沈められるし……建物らしきものは見えるんすけどね」
「何かいるのね?」
「そう。エーリディ湖の悪魔……水魔『クラストディール』ってのが。俺は見たことないんすけど……というか、見た奴はみんな死んでると思うんすけど……相当でかい上、水の中だと無敵らしいんすよ」
俺はシーリアの方を向いて知っているか聞いてみたが、彼女も知らないらしい。
ウルクはそんなやり取りをみて、「仕方ないすよ」とシーリアを弁護する。
「近づかなきゃ襲って来ませんしね。一年に被害は数件っていったところっす」
「じゃあ、今回カイル兄さんが持ってきた案って……」
ウルクは俺の考えを肯定するように悲痛な表情で頷く。
「カイルさんが持ってきたのは、『クラストディール』の討伐す。『湖賊』の正体をそこそこ有名なそいつに押し付けて……ディラス帝国の言い分を無くそうって話なんすよ」
「ディラス帝国は納得するのかな。それは」
はっきり言って疑わしい。
そもそもが、難癖を付けるような言い分だったのだから。
「何故か納得したらしいんすよ……いや、そんなのはどうでもいいんすよっ!」
どんっ! とウルクは立ち上がってテーブルを叩く。
流石に二回目だからか、シーリアも驚いてはいなかった。
納得したということは遺跡に価値があるとの考えからだろうか。
それとも、不可能だと考えているからか……。
また思考の海に潜りそうになったが、慌てて振り払う。
そして、ウルクの激怒(?)の理由を聞こうと思ったのだが、俺より先にクルスがウルクを無表情のまま見つめて、ぼそっと呟いた。
「煩い。興奮しすぎ」
「う……だって……だって……」
立ち上がったままウルクは眼鏡を外して目元を拭い、力無く席に座る。
そして、テーブルに突っ伏すと、声を上げて泣き始めた。
「『湖の民』代表として討伐隊に付いて行くことになったんすよ~っ! まだ死にたくないんす……まだ、恋人も出来たことないのにぃ~! あそこの生存者0すよ。0っ!」
「……ご愁傷さま?」
「哀れに思うなら恋人になって欲しいす! クルスさん是非!」
「嫌」
クルスも流石に気の利いたことを言えないらしく、苦笑している。
まぁ、ウルクには冗談を言う余裕もあるようだし、心配はいらないだろう。
「ケイト、眉間にしわが寄ってるわよ」
じと目のシーリアに指摘され……冗談だと思うが……何と無く眉間に触れる。
「討伐隊ってことは他にも行く人がいるんだろうけど、勝算はあるのかな」
「それが……カイルさん達が行くって言ってるんすよ。自信満々だったすけど……湖の怖さを知らなさそうな人だし……」
「兄さんが討伐を?」
何と無く、カイル兄さんの様子は想像が出来る。
きっと何の迷いもなく、危険を承知で笑いながら引き受けたのだろう。
カイル兄さんだけなら心配だが……。
「カイル兄さんの側にホルスって男はいた?」
「ホルス……あ、あのお人好しそうな糸目の人っすかね? 知り合いなんすか?」
俺はクルスと顔を見合わせる。どうやら、本当にホルスも来ているらしい。
カイル兄さんだけならノリで引き受けそうだが、ホルスも付いているなら確実に勝算があっての行動に違いない。
城塞都市カイラルにいた頃、俺はカイル兄さんやホルスの話も聞いていた。
カイル兄さんに対しての印象は好意的なものが多かったが……。
ホルスは違う。あいつは他の冒険者から嫌われていた……『狐』……そう呼ばれて。
成人もしていなかったのに……だ。
別れる時に言っていたように『大人の思惑』を喰い破った結果なのかもしれない。
数年経った今、どんな風に成長しているのだろうか。
「心配ないよ。ホルスもいるなら勝つ方法は考えているはず」
「ま、まじっすかっ! はぁ……ちょっとだけ、気が楽になったっす……」
顔色はまだ悪いが、ウルクはなんとか微笑む。
「カイル兄さんは俺の事は何か言ってた?」
「あ、すみません。命の危険で伝言忘れてた……そいや、カイルさんが会いたいって言ってたすよ。一応本人に確認するって言って置いたんすけど……どうします?」
同姓同名の別人……ではないらしい。
向こうが会っても大丈夫と判断しているなら断る理由はない。
忙しいのは確実にカイル兄さん達の方だと思うし。
「会うよ。伝言をよろしく」
「何で伝えたらいいすか?」
「そうだな……」
俺は少しだけ考え、答える。
「『頼れそう?』……と。それで通じるはず」
「わかったっす。早速行ってきますね!」
元気が出たのかウルクは明るい表情で水を飲み干し、びしっと立ち上がると法衣を翻し、走るような早足で『水龍亭』から出て行った。
忙しい人だ。ほんと。
「頼れそうってどういう意味?」
俺はウルクを見送っていたが、クルスはこちらをじっと見ていたようだ。
言葉の意味に疑問に思ったのだろう。
シーリアもわけがわからないといったように首を傾げている。
二人にはわかるわけがない。俺とカイル兄さんにしかわからない。
子供の頃の兄との会話……思い出だから。
この言葉には色々な想いがあるが……俺は苦笑して答える。
「そうだね。皮肉……かな?」
あの明るい兄に会うことには懐かしさもある。嬉しさも……。
ホルスに会うことにも。
だけど、一言文句を言わずにはいられない。
何故、故郷を襲った組織にいるのか。
俺達と命懸けで戦った敵のいる組織にいるのか。
裏では何をやっているのかわからない組織にいるのか……。
「会って判断しよう。とりあえず一発殴りたいけど」
「私は締める」
「……私も殴りたいかも」
こんな国が関わる大事件に携わる地位にいるらしい兄やホルスが、俺達が襲われたことを知らないとは思えない。
特に故郷での襲撃では俺が狙われていたことも考えると……考えたくはないが兄かホルスから情報が流れた可能性すらある。
直接カイル兄さん達が関係しているわけではない。だが、簡単に納得は出来ない。
俺達三人は納得出来る説明がなければ殴ることを誓い合いながら頷きあっていた。