第九話 異変と雷雨
「また明日……川に」
「あ、ああ」
ホルスと会った翌日、いつもの修行を終えて俺はクルスと二人並んで帰っていた。
この日の彼の様子はいつもと違った。彼からこちらに約束を求める。それだけでも初めてのことなのに、さらに何度も念を押してくるのである。
「絶対」
「それはいいけどどうしたんだ?」
「……何も」
二人で遊ぶのは何時ものことではあるので特別に問題は無い。だが、いつもと違う切羽詰った様子の反応を見ると何かあったのかと思うのは当然のことだと思う。
心当たりも特になく、クルスも話してくれない。
違和感は感じていたもののどうすることも出来なかった。
翌日、俺は家の窓から空を恨みがましく睨んでいた。
ザーザーと叩きつけるような音が家の中まで響く。ここのところはなかった雷を伴う大雨だった。時折思い出したようにゴロゴロと腹の底まで響そうな低い音が鳴る。
流石にこんな天気では外に出ることは出来ない。家の本は読み尽くしているし本を借りてきてもいないため、退屈な一日になりそうだと憂鬱になっていた。
雨が降ったときは休みというのが俺たちの決まりで、いつもそういう日は一人で過ごしていたのである。
チェスか将棋でも作っておけば良かったと思う。何かしらテーブルゲームでも作っておけば兄姉もいることだし、楽しめたかもしれない。今度作るとしようと決意する。
いま作ってもいいのだが紙は高級なため使えない。木材がいいのだが使える木材が今のところ家には無かった。
そんな風に何か暇を潰せることはないかなと考えていたとき、大きな音を立てて家のドアが開き大声が家中に響きわたった。
何事かと家族全員が玄関まで出てくる。
「ケイトいるか!!」
「僕?」
全員を見渡して雨にずぶ濡れになった大男はこちらを向いた。必死に走ってきたのだろう。雨に濡れるのも構わず。何故それ程急いだのか。
「クルスが……クルスがいねえんだ。こっちには来てないか!」
「え…うちには来たことないよ」
「……くそ、ハズレか。すまん、邪魔したな。見つけたらメリーんとこ教えてやってくれ!!」
そのまま、大雨の中をガイさんは慌てたように駆けていく。嫌な予感がした。
ガイさんが出て行った後を苦々しく見送った俺に声を掛けたのは母だった。悪い予感に緊張している俺に対して、母親が目線を合わせて穏やかに声を掛ける。
「ケイト。クルスちゃんの知り合いなの?」
「うん。友達なんだ」
「じゃあ、あの子の行きそうな場所に心当たりはない?」
言われてみれば心当たりはある。昨日のあいつは明白に変だった。
そんなあいつと昨日約束した場所。そこは俺なら雨が降った後には危険だから暫く近づかないような場所で……まさかあいつ!!
「あ、ケイト!」
俺は母を呼び止めるのを振り切り、豪雨の中を走り出していた。
そうじゃなければいいと思いつつも、約束した場所へと。
息が切れる。
体力はある方だといってもまだあまりにも幼い自分の身体に文句をいいながらそれでも駆ける。
もっと……もっと早く!
予想通り北の川はいつもの穏やかな姿を一変させて荒れ狂っていた。
こんなときの川は危険だ。いつ鉄砲水が襲ってくるか解らない。川にとってゴミのようなものでも俺たちにとっては致命傷な岩や木が飛んでくることもある。
勿論川に飲み込まれれば助かる術はない。
自然の脅威。自然を甘く見たものは必ずその報いが与えられるのだ。
比較的安全な場所を選んで走りながらいつもの場所へと近づいていく。視界が悪く、いつもの姿とも違うため、場所があっているのか心もとないがそれでも走る。
クルスを見る。ステータス探知を起動させながら。これである程度の距離はカバーできる。
……いた!!
やべ……と思わず呟く。荒れ狂う川の近くにクルスはいつものように三角座りで座っていた。
流されていないのは奇蹟としか言いようがない。
「クルス。馬鹿なにやってんだ!!」
「ケイト……約束の場所にいけない……」
ぼやっとした感じでこちらを振り向く。言われたことがわからないかのように首をかしげる。立ち話をしていては危ない。川は荒れ狂って轟音を立てている。声も聞こえ辛い。
「危ないっ!!」
クルスがこちらを見つけて立ち上がった瞬間、彼を流木が襲いかかる。ぎりぎりで近づけた俺はクルスの腰に手を回して全力で後ろに飛んだ。
「ぐ……痛……」
岩がごろごろしているところに受けみも取らずに背中から突っ込んだせいで息も出来ないような痛みが体に走った。
それでも歯を食いしばって立ち上がる。ここはまだ安全な場所じゃない。
クルスの手を引き、なんとか川から離れた場所へと移動する。その間も豪雨が体を打ちつけ、疲労もある上に背中は怪我をしたらしく、ずきずきと痛み、俺の体力をさらに奪っていく。
それでも、間にあったことにほっと安堵の溜息を吐いた。
「クルス!この馬鹿野郎!死んだらどうすんだ!!」
雨が口の中に入るのも構わず叫びながら胸ぐらを掴んでぐらぐらと揺らす。
クルスの表情は変わらない。
「約束……守らないと…捨てられる」
「なんでそんな…!」
「ケイトは友達いる。……私なんて忘れられる。夢見たいに忘れられる!」
初めて聞く強い否定の叫びにぐっと息が詰まる。わけがわからない。友人というのはホルスのことか?
今の叫びも彼のようになった一つの原因なのだろう。一体どのような夢なのか……。
否定はしない。有耶無耶にもできない。だけど、どうすればいいのかは思いつかなかった。
「……一人は寂しい。ケイトも忙しい……寂しい」
「そうか」
「もう一人は嫌」
はっきりした口調でクルスが言った。無感情に見えて色々感じていたのだろう。
俺は他に友人がいないが……ホルスはまだ友人とは呼べないだろう……家族はにぎやかだし気のおけない相手であるガイさんやジンさんと一日訓練してる。だけどこいつはそうじゃない。
メリーさんも独り身だからクルスばかりに構う余裕もないはずだ。
それに俺は精神そのものは大人だ。これだけの条件が揃っている自分の一人とクルスの一人では質が違ったのかもしれない。
それをわかってやれなかったのは鈍いとしか言い様がない。
「ガイさんはお前を今、必死で探してる」
「……うん」
「ジンさんもメリーさんも心配してるはずだ。俺も心配した。一人じゃない」
「……うん」
「約束を破られるより死なれる方が俺は辛い。次からちゃんと俺に相談してからにしてくれ」
「……」
その言葉には返事をせず、泣きそうな顔でこちらを真剣に見つめる。
「頼む。お前がいなくなったら……俺は……ああもうくそっ!!」
全くうまく意味のある言葉を出すことができない。こういうとき自分は頭が悪いんじゃないかと思う。
とにかくそう叫んで前から首に腕を回して抱きしめる。
「生きててほんとよかった」
「……ケイト。泣いてるの?」
子供だから涙腺が緩んでるのか。感情が高ぶってまともに頭がまわらない。
クルスは抱きしめられるのを拒まずに、ただ、こちらを心配そうに見つめていた。
「馬鹿!泣くか。帰るぞ。帰ったらみんなから説教だ。覚悟しとけ」
「……ごめんなさい」
俺はクルスの頭を痛くない程度にぽかっと軽くたたくと、家に向けて歩きだそうとした……が。
「あ、あれ」
体に力が入らない。思いのほか川までの全力疾走と豪雨のせいで体力が無くなっていたらしい。こけてしまうかと思ったが崩れ落ちる前に体を力強い腕に支えられる。
「迷った迷った……なんとか追いついたな。足早いなお前は。しっかし、よくやったケイト!」
走り去った自分を濡れるのも構わずすぐに追いかけてきたのだろう。ずぶ濡れになりながらにっと笑ったカイル兄さんが俺を支えてくれていた。そのまま背中におぶさる。
「最後にかっこつかないなぁ」
「やー十分だろ。いい弟を持って鼻が高いぜ。さ、帰るか。クルスちゃんも行くぞ。歩けるな?」
「……大丈夫」
そのまま背中に担がれたまま豪雨の中、家路に付いた。
余程体力を失っていたのか安心したせいなのか徐々に俺の意識は遠のいて行った。
眠っているとき綺麗な少女が心配そうにこちらを泣きそうな顔をしながら覗き込んでいる。
そんな夢を見た。
後で治療してくれていたジンさんに聞いた話だが、泣いて喜んでいるメリーさんとガイさんを母さんは叱りつけ、クルスをちゃんとしからせたそうである。
悪いことをしたら叱る。子供には大切なことだ。うんうん。
「お前への説教は私の仕事だ。この大馬鹿者が」
ちょ、え……?