荒いような繊細なような
いつもの放課後。僕は三年生の居る階へと向かった。
流石に二年以上も見なれた顔と一緒にいるためなのか、僕がすれ違うたびに眉間にしわを寄せてくる。
二年生がここに来ると違和感を覚えるようだ。
「何よ。確かあなたー…篠原の手先ね!」
「小宮山です」
僕はそんな見方をされていたのか。
僕のクラスより一つ上の階が三年生だ。
正直、何クラス編成とかも知らなかったから、今初めて知った。5クラス編成らしい。
孝介は1組、高濱志織は5組であるため、日々日常交戦されることはないようだ。
今日はこの何クラスで成り立っているかもわからないこの三年生の階に何用なのか。
それは、一応孝介の悪事を謝っておこうという高濱志恩に似た思想の為にだ。
「昨日は孝介が変なことをしてしまってすいませんでした」
「…何でアンタが謝ってんのよ?」
ぽかんとした顔で見つめてくる。
「いやもうホント何でなんですか?」
「私に訊かないでよ」
それはそうか。
僕が高濱志織に謝りに来たというのもココへ来た一つの理由だ。
しかし、もう一つ気になったことがあってここへやってきた。
「あのー、少し時間いいですか?」
「えー志恩のとこ行かないと」
この人、本当に妹のことしか頭に無いのか。
「妹さんも関係する話です」
「…っ!!志恩はあげないわよ!!」
「……」
…あー面倒くさい…。
約まるところ。姉の方は妹と違いとても面倒で、とても説得に時間がかかった。
「高濱さん。…甘いもの好きですか?」
「好きよ!めっちゃ好きよ!愛してるわ!」
甘味処で奢るという約束をして、ようやく連れ出すことができたのだ。
僕がここまでして話がしたかった理由。
それはあの手紙と、妹、志恩の表情に引っ掛かったからだ。
今思い出すだけでも鳥肌が立ってきてしまう。
恐怖さえ感じる無の表情だった。
あの手紙が本当だとしたらまず訳を知りたい。ただの冗談で入れたのか。
でも冗談だとしても氏名まで書く必要があるのか。
…いや、この人なら書きそうだけど…。
「あの高濱さん」
対面の席では、僕の野口が一人いなくなるほどのチョコパフェを目の前にし満悦していた。
「んあぃ?」
美味しそうに頬張りながらそう一言。
当然、何言ってるか分からない。
「ちゃんと聞いてもらえますか」
「ん」
真剣な顔を察してくれたのか、スプーンをテーブルに置いてくれた。こういうことは空気の読める人らしい。
店内は外との気温差が激しく、寒いくらいに感じる。
お陰でチョコパフェは中々溶けそうにないな。とか取りとめもないことを考えてみた。
「えっとー、高濱さんはあの意味不明な箱に手紙書きました?」
「あーええ、書いたわよ」
これはやっぱり事実だったのか。
それより筆触まで分かる孝介って一体…。
「その紙なんですけど、…真剣に書きました?」
「もちろんよ!だって私の妹は可愛いでしょ?」
そんなことじゃないはずだ。そんなことだけで忌み嫌っている孝介の怪しげな箱に手紙を書くのか。
「わざわざ何故そんなことを?」
「何でって…そりゃあ」
「そりゃあ?」
「うぅ…な、何よ」
これは何かあるのかな。
僕の感がそう言っている、感じがする。感じがするだけ。
「ホントは孝介にでも相談したいくらいのことがあるんじゃないんですか?」
「そ、そんなこと…」
もう視線があちこちいっている。偶に僕と目が合ったかと思うとチョコパフェに目をやり、口をぱくぱくさせる。
この人は相当嘘をつくのが下手らしい。すぐ顔に出る。
こういう面は可愛いなと素直に思った。
「今なら、僕が聞いてあげますけど」
「…ふんっ!て、手先の…くせに…」
最後の方は消えかかっていて何を言っているのか分からないくらいだった。
「だから小宮山です」
さて。一体どんな相談なのか。もう大体どんなことなのかは予想できる。
高濱志恩のことなのだろう。
「で、どんな悩みですか?」
出来る限り優しい語りかけで尋ねてみた。
「志恩がね…」
「…やっぱり」
小声で言ったはずが聞こえてしまったのかは分からないけど、すがる様な目で睨みつけられる。
「う、うぇぇー!!」
そんな奇声を発したかと思うと、僕の隣までやってきて。
「志織が振り向いてくれないのよぉ!」
泣きながら抱きついてきた。
勿論、夕方にもなっていない時刻の甘味処にはお客様がいらっしゃる。
物凄い痛い視線を浴びせられることになってしまった。
「な、なな、なななにしててんでで」
そして僕動揺。
その時の呂律の回らなさには自分でも驚いた。こんなにも舌が回らないものなのかと。
「さっきはその…取り乱してごめん」
「い、いいですよ」
思わず相手に判るくらいの作り笑顔をしてしまう。
結局、野口を犠牲にしてまで出てきたチョコパフェまで食べきれることが出来なかった。
あの後すぐに飛び出してしまったのだ。
せめて半分くらい食べてもらってから話を切り出すべきだったと今頃後悔している。
「あの、高濱さん」
「高濱と高濱でややこしいでしょ? 私は志織でいいわよ」
言われてみれば高濱のことを高濱と呼んでいるし、高濱さんのことは高濱さんと呼んでいて――って言ってたら訳分からなくなったぞ。
「志織さん、ですか」
「何よ、不服なの?」
「学校で呼びにくいです」
あの違和感の空気の中で『志織さーん!』と呼びだしている僕を想像する。
すると何故か学園が終わってしまうような気がしてきた。
「それじゃ、今風に『オリシー』でいいわ」
「本当にいいんですね?」
「…っ…ごめん」
少し呼ばれる姿を考えたのだろうか、即答だった。
「まぁ…志織さんで頑張ってみます」
僕が慣れていかないと駄目だな。
「それで志織さん」
「何?」
「一応、連絡兼相談用としてメールアドレスを」
直接話せないようなことも携帯では話せてしまう。携帯と言うものは不思議な機械だ。
後になって考えてみて、『何であんま内容のメールを送ったのだろう』と後悔した人も少なくは無いだろう。
「そうね」
送られてきたメールアドレスを拝見してみた。
その中には『1105-s-0921-s』とあった。
恐らく志織か志恩の誕生日が、11月5日か9月21日なのだろう。
とても判りやすい。
それより、自分のメールアドレスまで妹のことを考えるなんて…。
結構重度なやつなのかもしれない。
少し身震いすら覚えた。
「携帯は肌身離さずに持ってるからいつでも相談してきなさい」
「一文字も変えずにそのままお返しします」
物理という授業は一種の恐怖だ。
次から次へと公式が出てくる。
一輝はもう必然的であるかのように目を閉じていた。
僕はまだ諦めきれないのか、何のために目を開けているのか自問自答したくなる。
しかしやってはいけないのだろう。
何故かって?
勿論。卒業が危ないからです。
「明人。高濱志織が好きなのか?」
「あれ、何かのデジャヴ?」
愛理が教室でそんなことを言い始めたのだから驚く。
しかしよく聴くと『志恩』ではなく『志織』に変わっていた。
「って、何でお姉さんの方?」
「惚けなくったっていい。証拠だってあるんだぞ」
教室では携帯電話の電源をOFFにないといけないにも拘らず、明るいバックライトが点いているスマートフォンの画面を見せつけられた。
そこには硬直している僕に抱きついている志織さんの……ってええぇぇぇ!!
「な、なな、なななにしててんでで」
「舌回って無いぞ。因みにこの写真は写真部のある方から拝領させて頂いた」
ウチの学校の写真部には幽霊部員が1人いる。篠原孝介だ。
因みに写真部の部員数は全部で73人。
高校野球の強豪校にも匹敵するほどの数の裏には一人の男の影があるから。
孝介が幽霊部員になるもんだから、その73人の内の70人が幽霊部員になったって噂だ。
「全くもって…迷惑な話だ」
「なあ、好きなのか?」
「いや全然」
自分でもびっくりするくらいの即答だった。
「新聞部に売りつけるぞ」
「別にいいよ」
新聞部が新聞の発行、校内に貼り付ける為には生徒会の許可が必要だ。
僕の恋愛スクープなんて許可されるはずがない。
「うぅぅー、つまんないぞ…」
それを分かっていたのか、僕がつまらなく感じていた。
少し頬を膨らませて拗ねる姿は可愛すぎて堪らなかった。…って何言ってるんだ僕は。
「たまに見せる魅力は一体何なの?」
しまった!間違えたー!!
「は?」
また心の声が出てしまった。
「何だ何だ、愛理、何持ってんだよ」
「高濱姉と明人のいちゃいちゃシーン」
「僕のこの姿を見てそう答えられる愛理が羨ましいよ」
僕たちが会話しているとほいほいやってきた一輝は、こっちに来るなり愛理の携帯を覗き込んだ。
「おうおう、年上好きはわからないでもねぇけど、年上と言ってもコレはないだろ」
「確かにコレは無いな」
気づいたら翔平も集まっていた。どうやらみんなして志織さんは無理らしい。
「ほら、年上好き評論家の篠原翔平さんもそう仰ってるぞ」
「誰がそんなこと言った」
「俺が年上好きってこと話したら食いついていたじゃねぇか」
性格がどうとか髪型がどうとか色々と話が僕の目の前で飛び交っていた。
10分間の休み時間は孝介以外はこうやって集まっている、自然と僕の席に。
「一輝は年上好きなの?」
「だ、誰が、んなこと言ったってんだよ!」
数秒前に言ったことも覚えていないのか…。
「明人。それはないぞ」
ちっちっちと人差し指を振る翔平。
「どういうこと?」
「ほら、あそこを見るんだ」
翔平が指差す先には、ちっこい女子が立っていた。例の『さざなみ』だ。
「あ゛ぁ!さざなみ!」
何故か『しまった』という表情の一輝。
「軍曹ー!」
今日の一輝の呼ばれ方は軍曹らしい。
小さな手をぶんぶんと勢いよく振り回し、小さいながら元気よさげな少女だ。
一輝は僕たちに一言残さずに、さざなみの方へ向って言った。
「あいつはロリコンなんだよ」
奇妙な笑みを浮かべる翔平。
僕の周りには普通の笑みをする人はいないのか!
「にしても…すごい身長差だね」
一輝の身長は確か、いまいち信用できないけど本人曰く185cmだとか。
遠目で見る限り50cmくらい身長差がありそうにも見える。
「明人もロリコンなのか?」
「なぁっ!?」
愛理の規格外の究極の質問で吹いてしまった。
水分を口に含んでいなくて良かったと思いました。
「って、いきなり何!?」
「小さい子が好きなのか?」
確かに小さい子は嫌いでは無い、かといって大きい人が嫌いかと言うとそうではない。
「明人が好きなのはあれだぞ。愛理みたいな輩だ」
翔平がこんな時に余計な一言を…!
「あ、明人は、私なんか…」
愛理もちょっと赤くならないで欲しい。
「そんなこと無いぞ?なぁ、明人」
そして今シーズン最大の難関であろう、翔平からの強烈なフリ。
「へぇ!?ぼ、僕は…」
僕はどうなんだ?愛理が好きなのか?
確かに翌々考えてみれば最近の愛理の魅力は何か相当なものがある。
あの電車の件も思わず手を出しかけてしまったし…あの時は永本君がいなければ多分…。
「明人くーん!」
「うわあぁぁぁ!!」
誰だ!?僕のことを明人くんと呼ぶ人は!!
「わっ!びっくりした…」
よくよく考えてみるとこうやって僕を呼ぶ人は一人しかいない。
少し冷静に判断が出来た。
声のする方へ顔を向けると、そこには高濱志恩がいた。
廊下から見覚えのある本を掲げている。
「あ、あれ僕の辞書だ」
救いの神様現る。
「か、返してもらわないとなー!さて!つ次は移動教室かぁ!」
この短い文章の間で二回声が裏返ったことから、相当な危機に直面していたことを解ってほしい。
次の科目である数学の用意を持ち、一目散に高濱の所へ向かう。
「…ちっ…」
途中、翔平の舌打ちが背後から聴こえた。
振り向いてはいけない。何か駄目なものを見てしまう。そんな気がした。
「明人くん、そんなに慌ててどうしました?」
「危うくどうにかなりそうだったよ」
僕が愛理を好き?考えたことも無かった。
愛理は小学校からの付き合いで、孝介らとずっと一緒に行動してきた。
そりゃ、たまにドキっとすることもあるけど…。
「大変でしたね…」
苦笑いをしてくれる高濱。
あの面子ということから、大方のことを想像してくれたのだろう。ありがたい。
「あ、そういえば明人くん」
「うん?」
「…あ、明人くんは、お姉ちゃんの彼氏なんですか?」
「…わー」
もうどうでもよくなってきた。みんなとんでもないことばかり言うから感覚が麻痺してきたじゃないか。
「そうなんですか…」
「違うからね」
優しく冷静に対応してはみたけど、信じてくれているのかは定かではない。
ずっと明後日の方向を向いていた。
僕らが通っているこの学校は県内でも有数の進学校であり、過去の実績も難関大学へ合格した生徒が何人もいるとか。
中学校の頃の僕を考えると到底受かるなんて幻想は想像していなかった。一輝の場合なんかもっと酷いのに。
因みに僕と一輝と愛理の三人は同じ中学校だったが、孝介と翔平はぎりぎりの校区外だったために別の中学校だ。
中の下にすら近かった僕と一輝に声をかけたのは孝介だった。
『敢えてこそ上を目指すんだよ!』とか何とか。
その言葉のお陰でそれはもう猛勉強だった。
結局、校内ベスト5にランクインしていた愛理は除き、僕と一輝は必至のペンダコを作る羽目になってしまった。
何が言いたいかというと。
勉強についていけない。数学が絶望的だ、ということ。
『小宮山です。確認のために送りました』
メールするための口実としてはこれがいいなと思った。
ベットに寝転がり、現実逃避する前に志織さんの悩みを探ることにした。もっと具体的に知ることが必要だ。
『志織が振り向いてくれないのよぉ!』
振り向いてくれない。
これはどういうことなのか。少しずつでいいから問い正していった方が良いと判断した。
「それにしても数学難しいなぁ…」
今日の授業の復習を脳内でやってみたけど、全く思い出せないし理解出来なかった。
大体何なんだあのSを細長くしたやつは。上と下に数字が書いてあって…。
…ってか何で二年生なのに数Ⅲをやらないといけないのさ…!
最初の方は良かったよ…。
公式覚えるだけですらすら出来ていたのに、いつの間にか応用まで重要になってきている。
何だよ三次関数って!何だよ無限等比級数って!何だよ微分積分って!
もう訳わかんない!僕だって好きでこの学校やってないよ!しかも理系に!
…そういや何で理系になったんだったっけ…。
これじゃ俗に言う『なんちゃって理系』じゃないか!
くそ…。でもそもそも、理系=成績優秀という習慣・偏見・風習が間違ってるよ!
恐らくこの世の中には、頭が良くないのに理系だから頭いいと思われちゃうと言って悩んでいる人だって少なくないはずだ。
もう文系へ転向してやろうかと考えちゃうよ!数学このやろー!
「ってか返事遅くない!?」
か、考えすぎか…。
数学のことを考えていたらつい時間を忘れていた。
携帯の画面端に映る時間を見てみたけど、活発的でない高校生ですらまだまだ起きているであろう時間帯だ。
活発過ぎるあの人を考えると、後4時間は寝ないだろうという予想だ。
…いやでも意外と健康に気を使っていて早寝なのかな。
志織さんも案外そういう素敵な面があるのか?
高校生はお肌とか気になる年頃っていうことを孝介から聞いたことがある。
確かに肌が綺麗な女性は麗しき何かを秘めているような気もしない。
はっ!そう言えば愛理は昔っから早寝早起きをしているぞ…!
だから肌が綺麗で可愛いのか…。
あぁもうまた何言ってるんだよ僕は!でも最近の愛理はおかしいんだよ!綺麗なんだよ!
「ってだから遅くない!?」
あれやこれやと考えている内にもうかれこれ15分以上もかかっている。
「そうだ、お風呂なんだよ」
お風呂に入っているのなら納得だ。そうだよ、待てばいいだけじゃないか。
こういうとこは前から待てないんだよね。
短気な所は直していかないと駄目だ。
そうやって納得しようとしていた僕に着信音が鳴った。
「お風呂じゃないの!?」
いやいや、待て待て。15分でお風呂を済ます女性なんてこの広いご時世にはたくさんいらっしゃるじゃないか。
「そうだよ。志織さんはお風呂を10分で済ます人なんだよ」
気にしちゃダメだ。
肌身離さず携帯を持っているんだ。お風呂だお風呂。
『うん。メールはちゃんトトドいたよー宇』
…。
メール、初心者…?