母とシャープペンシル
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俺の母さんはとっても元気だ。
いつも元気で頑固なパワフル母さんは、近所の人達とも仲が良かった。
そんな母さんは、俺を女一人で育ててくれた。
「お前は男なんだ!泣くなんて許さないよ!」
こんな感じだ。
収入源は母親からしか無いわけで、必然的に貧相な生活を送っていた。
しばらくしてから俺自身もバイトし、二人三脚で暮らしを支えていった。
「社会において、学歴は最大の武器だ。望!勉強だ!」
「えぇー」
「えぇー、じゃないよ!さぁ勉強だ!」
そんな母さんの熱い熱い気持ちに呑まれて、俺は勉強を始めた。
特に趣味も無かった俺だし、勉強はいい暇つぶしになった。
「すごいぞ!望!学年で一番じゃないか!」
俺が学年で一番を取った教科は地理だった。
数学や英語では必ず『常連』と呼ばれる、それはそれは天才な奴がいたために、全く一番にはなれなかった。
だが、そんな中、その天才でも不得意と呼ばれる科目があり、それが地理だった。
学年で一番を取ったことで嬉しかったのではなく、母さんに褒められたことが一番嬉しかった。
『お前は私の助け無しじゃ、全く駄目だからねぇ』
母さんに、一度そんなことが言われたことがある。
その時までは言い返せなかったのだが、地理で学年一を取ったことで、少し自信にも繋がった。
そんなある日。
母さんは勉強している時に俺に話しかけてきてくれた。
「望。お前にはコレをやろう」
そう言い、俺に与えてくれたのは、一つのシャープペンシルだった。
だが、只のシャーペンかと思いきや、色々と機能が付いていた。
「ほらほら見ろ!振ったら芯が出てくるんだぞ!?」
振りシャーと呼ばれる機能だった。相当母さんは気に入っているらしい。
目を輝かせていた。
他にも、グリップ部分は柔らかく、指への負担が全く無かった。
しかし、気になったことが一つある。
「母さん。コレ、いくらしたの?」
「芯も合わせて1000円越え…はっ!」
『しまった』と言わんばかりの表情。
その当時の我が家にとって1000円とでも貴重なものだった。
収入源が俺と母さんの二人がいるとは言っても、母さんは殆どパートに近いくらいの給料しかないし、俺はバイトだ、大した収入は望めない。
だが、買ってしまったものは仕方がなかった。
俺はこのシャーペンを肌身離さず持っていくことを決めた。
学業にとことん打ち込み、ついには学年一の天才を上回った。どの教科でも。
その度に母さんは俺を褒めてくれた。俺も嬉しかった、母さんに褒められることが。
そんな幸せの中、不幸というものは訪れた。
中学校が終わりに迫っていき、進路の相談が始まった時だった。
「今日、進路の相談だよ」
「そうかい。行ってらっしゃい」
その日もいつも通り、母さんは送り出してきた。
学校では、先生に『どこへでも行ける』と太鼓判を押され、母にもこのことを連絡しようと思っていた。
どんな顔をして喜ぶだろうか。
飛び跳ねるか?手を叩くか?俺の頭を撫でてくれるか?
俺は胸を張って帰宅した。
「ただいまー」
声が狭い家に響く、だが、いつもなら山彦のように帰ってくる母さんの声がしなかった。
一瞬帰っていなかったのかと思ったら、母さんは横たわっていた。
「母さん起きて。高校、どこでも行けるって」
そう言っても返事は無かった。
流石に様子がおかしいと感じ、母さんに近づいた。
そこには、口から血を流しながら目を瞑る母親がいた。
「母さん!!」
母さんは昏睡状態のまま入院していった。
今になって思うが、あの日の母さんの『行ってらっしゃい』はいつもと違ったように思う。
優しさはあったが、元気が無かった。悲しみが強いようにも感じた。
そして俺は唯一の母親を失った。
それは入院して間もないことだった。
いつものように学校帰りに病院へ見舞いに行こうとしたとき、病院から電話が掛かってきたのだ。
お母さんが危ない、と。
俺は息を切らし、急いで病院へと走った。
結局、母さんは入院してから一度も目を覚ます事はなかった。
俺を置いていき、一人、この世から去っていった。
医者に怒りを露わにしたりした。
だが、母さんの目は開くことがない。
家に帰ると、当然ながら一人孤独になってしまっていた。
その時、俺は気づいた。
母さんの助け無しでは、全く駄目だということを。
勉強していれば自信にはなっていった。
が、それは確かなものではなかった。
それはあくまで幻想、幻覚だったわけだ。
俺はこれから一人でどうしていけばいいんだ。
______
「永本望。成績劣等、遅刻常連犯、目立った処分は無し」
「そんな情報、どっから仕入れてくるの?」
孝助が急に永本君の話をするもんだから、それは驚いた。
「どうせあの女子群からだろ?」
「おお、勘がいいな、一輝」
『やっぱりな』と一輝。
まぁ、他にどう仕入れるんだって話にはなるか。
それにしても、あの一枚の依頼。シャーペンを探してください、ね。
「何でシャーペンなんだ?新しいの買えばいいじゃないか」
愛理が口を挟む。
まぁ、最もと言えば最もな話だけど。あんなBOXに入れるほどだ。
「永本君にとっては大切なシャーペンじゃないのかな」
「おぉ、明人…成長したな…」
大層、孝助に驚かれる。ということは、合ってるのかな?
「孝助、知ってるの?」
「いや知らん」
「っ…なんだよ…」
思わずコケそうになった。
知っているわけ無いか、流石の孝助でも。
永本君は確か、一年生の時に同じクラスだった。
一回、地理で一緒に欠点を取ったことから、少し仲良くなった覚えがある。
そんなことで仲良くなるのもどうかと思うけど。
「追加情報」
永本君がいるクラスに入ろうとしたところで孝助が立ち止まる。
「中学校の時は成績優秀、英才だったそうだ」
「へぇ」
なのに、何で高校になって欠点を取るようにまでなったのか。
「ということは、高校に入る前に何かあったんだろうね」
僕がこんなことを言うと、孝助たちが固まった。愛理はずっと疑問符を浮かべているけど。
「えーっと…その根拠は?」
「え、まぁ、何となく、だけど」
孝助にいざそう聞かれると、どうなんだろう。よく分からない。
だけど、そんな気がする、なんかそういう感覚があった。
「永本望」
「何だ?」
「お前か。俺は篠原孝助だ」
「あぁ、篠原さんっすか、あの紙見たんすか?」
永本君は前と全く変わっていなかった。
変わり者といえば変わり者かもしれない。けど、穏やかな人柄で、いつも周りに合わせる、出世型の人だ。
人との付き合いは恐らく、他の誰よりも良いだろう。
「そうだ。そこで色々と聞きたいことがあるから、放課後に2-1に来てくれ」
「ん。分かりました」
少し話しただけで孝助は、ささっと立ち去ってしまった。
詳しいことは、放課後に聞くんだろう。
何もないままは気が引けたから、一応、挨拶だけはするようにした。
「永本君、久しぶり」
「おぉ、小宮山か。久しぶり」
一年ぶりに会った彼は、いつもと変わらなかった。
「変な部員が多いから気を付けてね」
「ああ」
小声で、忠告をしておくことにした。何が起きるか分からないからね。傘部は。
「おい永本」
心配した矢先に、愛理から永本君に話しかけた。
愛理から話を持ちかけることは、僕を含めた、孝助、一輝、翔平の4人以外には殆ど無い。
あるとすれば、本当に心の底から気になっていることを聞くことくらいだ。
今は、愛理自身に気になっていることがあるんだろう。
「お前、シャーペン持ってるじゃないか」
机に置いてあった筆箱には、シャーペンが2、3本あった。
「何でシャーペンがいるんだ?お前はシャーペンマニアなのか?」
愛理!さっきの僕とのやり取りを聞いていなかったのか!
永本君にとっては大切なシャーペンなんだよ!
「ふふ、まぁ、そんな感じだ」
だけど、永本君は特に何も言うわけでもなく、流した。
「ふーん。変わってるな」
「よく言われるよ」
相手を間違えたら一触即発もあるので、愛理には注意して見守っておく必要があるようだ。
「昼休み恒例!どんな四文字熟語が出来るでしょうか!?ゲーム!どんどんどん、ぱふぱふー!」
「いや、恒例とか、今初めて聞かされたぞそれ」
「それ以前に此奴、自分で効果音を発しているぞ」
「いやっほーぅ!」
昼休み。いつも通り食堂へ行くと、みんながご飯を食べ終えたところを見計らって、孝助が立ち上がった。
勿論、意味が解らなかったし、初耳だったし、そのことに関しては愛理と翔平でさえツッコミを入れていた。
一輝一人はノリノリのようだけど。
「ルールは簡単だ。まずこの紙切れに、好きな四文字熟語の前半の二文字と、別の好きな四文字熟語の後半の二文字を書く」
孝助はみんなに紙切れを二枚ずつ配る。
「そして、前半は前半で混ぜて、後半は後半で混ぜる。そしてそれを組み合わせるってわけだ」
それで異色な四文字熟語が完成すると。
「うっひょー!考えただけでゾクゾクするぜ」
何でゾクゾクなのかは、敢えて突っ込まないでおく。
「おい明人」
不意に翔平に耳打ちされる。
因みに、翔平は傘部に入部はしていないが、昼は僕たちと一緒にいてくれている。
「今の傘部はこんなことばかりするのか?」
「うーん…どうだろ…そうなるのかも…」
「救いようがないな。同情するぞ」
同情された。
こんなどうでもいい遊びでも、翔平や愛理は当たり前のように参加してくれる。
まぁ、慣れっこということもあるかもしれないけど。
最後に僕が書き終えた時点で回収され、シャッフルが始まった。
「ちゃらーらーらーらーら~ん♪」
マジックをするわけでもないのに、マジックっぽい歌を歌う孝助。
相当楽しいらしい。
「よし…、まずはこの二枚だ」
シャッフルが終わると、上の紙から捲られていった。
『一日 千金』
「おぉ…こいつは、まるでビルゲ●ツのことか…?」
孝助が感動する。
変に上手いこといったな。これは。
「毎日多額の利益を得ること、的なやつだな」
冷静に解説する翔平。
「よし。次行くぞ」
『全身 相愛』
「うわ…これはエロいな」
孝助が照れる。って照れるな、気持ちが悪い。
何かこっちまで照れてくる。
「体の全部が…愛し合ってるのか」
冷静に解説しないで翔平。
「言うなぁー!」
愛理が、ぱたぱたと翔平の肩を叩いていた。
「次、行くぞ」
『百発 難題』
「国公立の大学の試験のことなんだろうなぁ…」
孝助が遠い目をする。あなた今年受けるんですよ、その難題を。
「もう全部難しいんだろうな」
段々、解説が適当になってくる翔平。
「よし、次」
『疲労 妄想』
「こらこら、受ける前から疲れている自分を想像するな」
さっき遠い目で見てましたよ、あなた。
「これからのお前達を疲労妄想する。とかだな」
使い方とかいいから、翔平。
「次で最後だな」
『家内 一番』
「なんだこいつ、定型的なニートじゃねぇか…」
哀れな目で紙を見つめる孝助。
「しかもこの四文字熟語…自信すら感じてくるぞ」
「家内がいいんだろうね、やっぱり」
本当に、どうでもいい遊びだった。
因んで言うと、これだけで昼休みの大半を費やしてしまった。
「今日も楽しかったな。明人」
「何で僕に振るんだよ」
謎の孝助の振りで解散となった。楽しく無かったことは無いけど。
放課後になると、ぞろぞろと教卓前へ集合する。
翔平はいつも通り教室から出ようとしていた所で、一輝に止められる。
「おい、翔平」
「何だ?」
翔平は部活も何もやっていない、要するに帰宅部。暇なのは暇な筈だ。
どうして傘部に入ってくれないのだろうか。
昔の翔平は結構こういうこと好きだったのにな…。
「お前も傘部に入れよ。お前も戻ったら、傘部が元に戻るんだ」
「お前はそれでいいのか?」
「…いいに決まってるだろ」
一瞬、言葉が詰まったが、突き通してくれた。
やっぱり、これからのことが気になって仕方ないんだろう。
僕も不安でいる。孝助が何を仕出かすか分からない。
「そうか。なら俺はお暇さてもらうぞ」
鞄を担ぎ、教室を後にする。
翔平が背負うと、とても小さく見える鞄が印象的だった。
一輝はそれ以上、翔平を止めることはなかった。
「明人」
ふと僕に話しかけてきた。顔を見て。
「何?」
「幸せって何だろうな」
「……え?」
もう一輝がそんなこと急に言い出すものだから、相当変な顔をしてしまったんだろう。
「何だよ、その顔は」
「だっていきなりそんな…気持ちわ…」
嫌な顔をしたら一輝にヘッドロックを喰らった。
「今のは俺もどうかと思うけどな」
一輝の腕を叩き、ギブアップしたところで孝助も教室に入ってきた。
「こいつら馬鹿だから仕方がない」
「確かにな」
愛理に同感する孝助。
一輝のせいで僕まで馬鹿になっちゃったぞ?
「と言うわけでだ永本。そのシャーペンはどこにありそうだ?」
永本君がしばらくしない内に教室を訪ねに来た。
いつもなら孝助がいるはずの教卓の前に立たせる孝助。
「まぁ、それが分かったら苦労しないですけどね」
「だろうな」
孝助が僕の空いている隣の席に座った。
「普段はそのシャーペン、どこに入れてるの?」
僕は見上げる形で永本君に尋ねてみた。
「普段は…制服の胸ポケットだな」
ブレザーの左胸には、胸ポケットが付属している。
胸ポケット。わざわざそんなところに。
改めてこのシャーペン、何かあるな。
「何でそんなところに入れてるんだ?ふつう筆箱に入れるだろ」
愛理はまだ気づいてくれないのかな。このシャーペンに何かあるって。
「まぁ、シャーペンマニアは大概、そこに入れるんじゃないか?」
「なるほど。シャーペンマニアも大変だな」
永本君は適当に愛理をあしらっていた。
どうやら戦力にならないと判断したらしい。
「常識に考えると、何か激しい動きをしたときに落ちそうだな」
一輝が珍しく妥当な推理を立てている。
「何かスポーツは?」
「いやー、何もしてないんすけどね」
スポーツはしてない。ということは行動が限られてくる。
これで調べる範囲が、ぐんと近くなったような気がする。
「うーん…」
唸る孝助。
それから間もなく手を叩いた。
「とりあえず、通学路を捜索だ!」
こうして、訳ありのシャープペンシルを捜索することになった傘部だった。