疑惑の芽
「あなた。お嬢様が嘘をおつきになると」
とヘンデルの目つきが険しくなる。
「そんな、滅相もございません」
とお菓子屋の店主は縮こまる。
「そんな。メンデル。怒っちゃダーだよ。
あのね。
私のうちにはね。沢山のご本があるの。
図書館にも沢山のご本があるのに、
お店にはね。
あんまりお菓子とかパンとかないの。
だからね。聞いたらね。
それは文字が読める人が少ないからって聞いたから。
それなら、うちのシェフと見習いに先生をしてもらって、
パン屋さんとかお菓子屋さんに、教えてあげようってなったの」
と私は答えた。
「しかし、普通学校といえば料金を取りますが、なぜ料金は取らないのですか?」
とお菓子屋の店主は言った。
「これが、普通の主婦とかなら、お金を取るわ。
でもあなたたちは、街で商売をされてるでしょ。
売上が上がると税金を納めるじゃない。
あなた達の売上が上がり、豊かになれば、当家も安泰よ」
と私は答えた。
「あぁ、なるほど。なるほど。
それならわかりました。
さすが名君と名高い領主様の娘様だ。
わかりました。
それなら、勉強させていただきます。
では、この街のパン屋と、お菓子屋は全部回られるので?」
とお菓子屋の店主は尋ねた。
「はい。そのつもりで」
とヘンデルは答えた。
「では、今日は店を閉じまして、私もご同行させていただきます。
誘うのは誘ってやって欲しいですが、
私が今したように、不愉快なお気持ちにさせてはいけませんので」
とお菓子屋の店主は言った。
「お嬢様、どういたしましょう」
とヘンデルは尋ねた。
「それは心強いわ。お願いしましょ」
と私は言った。
それから、お菓子屋の店主を伴い、街中のお菓子屋とパン屋をめぐって、説明をして回り、
最終的に全店舗が料理教室に参加することになった。
……
料理教室の開催日、私は校長として一言求められることになった。
領主の娘とはいえ、校長が小さい子供というのは、どこか不安があるものだ。
会場からはそんな雰囲気が感じられた。
「こんにちは。アリーサ8歳です。ローズワール家の次女です。
私がこの料理教室の校長です。
こんな小さい子が校長だなんて、不安だって思う人も多いと思います。
もちろん私もできるかな?ってすごい不安です。
でも、シェフとか、執事とかが、ちゃんと上手い事やってくれているし、
お父様もいらっしゃるから、大丈夫なのは、大丈夫です。
しばらく勉強して、これはムダだなって思ったら、遠慮せずに辞めてもらってもいいし。
うちの店には出せるメニューじゃないと思ったら、出さなくてもいい。
このメニューをアレンジしたいなら、アレンジしてもいい。
それは皆さんにお任せしますし、尊重します。
私が見たいのは、お客さんが笑顔で美味しいものを食べてる姿です。
それでは、よろしくお願いします」
と私は深々と頭を下げた。
会場は一瞬の沈黙のあと、割れんばかりの拍手で溢れた。
ふと気が付くと、お父様や使用人達が、涙を拭いている。
元いた世界では、こんな大勢の前でスピーチなどした事がなかったが、小さな子供という皮をかぶると意外とできるものだと、私は驚いた。
コミュ障気味、工場勤務で、家と工場と古書店の往復だった私が、こんな事ができるなんて。
……
料理教室では、想定外の事がよく起こったそうだ。
職人たちは目分量で仕事をするという事が多く、
計量の必要性を説明するのには、時間がかかったそうだ。
最終的に執事の
「美味しいとか、楽だとか、そういう事の前に、目分量でやっておると、いつ小麦粉がなくなるか。これだけ売上げるのに、経費がどれだけかかるかという計算ができません。
しかし計量をすると、ほぼ完全に売上と利益の計算ができます。
商売人にとって、それがどれほど楽なことか。ご存じなのでは」
という一言で、場は収まった。
この事がきっかけで、お菓子屋とパン屋の味が安定することにつながるのだから、実に面白い。
結果……、
「今日は外れだった」という声を聞かなくなった。
料理教室を始めて、1か月が過ぎた。
これまでに教えたレシピは4つ。
週に1個のペースで新しいレシピを投入した。
街では、同じメニューの食べ比べが流行り出した。
どこどこの店は美味しいとか、どこどこの店のアレンジが面白い。
そんな声が聞こえ始めた。
私たちも、いろんな店で食べ比べをして楽しんだ。
困ったのは、どこの店でも「タダで良い」とお金を受け取らないことだ。
だから私たちは毎回変装をしたり、
店主がいない時を見計らって買いに行くことにしていた。
お菓子はあまり食べすぎると太るので、メリッサと分けて食べる事にした。
メリッサは身分差があるので、始めは躊躇していたが、最近は気にしなくなった。
……
パン屋とお菓子屋が活況になった事で、不満も出始めた。
その他の飲食店からだ。
そこで、皆と話し合い、
飲食店向けにも、料理教室を開くことにした。
もちろん今回も無料でだ。
ただシェフが忙しすぎるので、教えるのは、見習いがメインになってきた。
屋台、料理教室、普段の食事と、見習いの仕事は、どんどん増えていく。
あまりにも大変そうなので、
チーズの残り水を多めに飲ませてあげるように手配したら、
どんどんレベルアップしていった。
この飲食店の料理教室を始めたことで、
最近は、昼過ぎでも売り切れる店が増えた。
税収も上がったと執事が喜んでいた。
私は思った。
流通という言葉があるが、流れを通すだけで、世界はスムーズに動くのだと。
世界の問題は停滞という一点にあるのではないかと。
チーズの水にしても、盗賊にしても、お医者さんにしても、料理の知識にしても。
停滞が問題だった。
そして為政者は、世界にむやみやたらにさわらず、停滞を取り除くだけで良いのではないかと。
そう思った。




