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「推し」が結婚した時に芽生える気持ちについて

作者: ムクダム

 「推し」という言葉は好きではないけれど、伝わりやすさ優先であえて使ってみよう。

 年末年始の風物詩といえば、有名人、芸能人の結婚報告ラッシュである。正月は新年の祝いの期間であるから、そこに被せて発表することで自分たちの結婚は祝福されるべきものであると強調したいのかもしれない。あるいはお正月ムードで補強されないと不安になるくらい、結婚相手選びに自信がないという可能性もある。

 当事者はおめでたいだろうけど、一部の人たちは複雑な気持ちでその報告を聞いているということを忘れてはならない。言葉を飾らずにおくと、地獄の苦しみでお正月の三ヶ日を過ごすことになる人間だっているのである。

 俳優やアイドルといった人気商売の人間が結婚すると、ファンの一部は大いに祝福し、一部は悲しみに沈んだり怒り狂ったりする。そしてファンでない大多数の人間はそもそも興味を示さない。あなたが推している俳優やアイドルが結婚しようが離婚しようがほとんどの人間はその人のことを知りもしないのだ。

 モンゴルの国民的スターが結婚したとしても、日本人の9割以上は興味を示さないだろう。ファンの意識と世間の意識というのはそれくらい隔たりがあるということを忘れない方が賢明だ。

 そうは言ってもファン個人としては「推し」の結婚は一大事だ。結婚報告を聞いて我が事のように喜ぶ人もいれば、怒りに任せて過激な行動に出てしまう人もいるという話をよく聞く。グッズを燃やす、脅迫めいた文章をネットにあげる、不買運動を敢行する、果ては被害者の会を立ち上げるといった嘘か本当か分からない話が流布される。

 新年早々そんなバイタリティ溢れる行動を取ってこの1年身体が持つのか不安になるが、却ってその熱量で1年を乗り切れるのかもしれない。

 受け止め方は人それぞれだし、他人がどうこう言うべきことではないと思うが、過激な行動を取ってしまう人の気持ちをアイドルの結婚を例に考えてみた。

 力に物言わせる過激な行動の原動力は大抵の場合は怒りだ。それまでアイドルのことが好きで応援していたファンが怒りの感情に支配されてしまうのは何故か。その怒りはどこから来るのだろうか。

 これまでたくさん貢いできたのに裏切られたと感じるからだろうか。しかし、貢ぐと言っても基本的にはグッズやCDを買ったり、ライブに行ったりしてお金を使ったという意味で、現金をそのまま送りつけた訳ではあるまい。何かの対価としてお金を支払っているのであり、ごく普通の取引をしているに過ぎない。貢ぐという言い方は正確ではないと思う。まあ、グッズやらな何やらが割高だという気持ちは理解できるけれど。

 恋愛感情を裏切られたということだろうか。ほとんどあり得ないことだが、実際にアイドルと交流し恋愛関係に発展したのに、別の誰かと結婚したということであれば話はわからないでもない。しかし、現実にはファンからの一方通行な好意であって、結婚したとしても裏切りとは言えない。

 そもそもアイドルというのは職業であり、私生活がどのようなものであるかは職業とは関係のないものだ。アイドルは持てる技術を駆使してお客を楽しませる対価としてお金を得ているのであって、それ以外のことでお客から文句を言われる筋合いはない。

 このように考えると、そもそもアイドルの結婚に怒りの感情が湧くということが筋違いなものに思えてならない。その怒りは自然に生まれたものではなく、最初に芽生えた自然な感情を代替するものとして、後付け的に生み出されたものではないだろうか。

 では、自然な感情とは何か。それは「寂しい」という感情ではないだろうか。この感情はちょっと複雑で扱いに困るものという印象がある。

 「寂しい」という言葉は心が満たされない様を表現するのに使われることが多いが、物静かで趣があるというニュアンスもあり、一概にネガティブな感情とは言えない。

 それゆえに「寂しい」と感じた人間はその感情の置き場がはっきりせず、宙ぶらりんな状態になってしまうことがあるように思える。その状態から早く脱するために、より分かりやすい「怒り」に気持ちを置き換えているのではないだろうか。

 裏切られたとか、騙されたという気持ちは情報を収集して後付け的に拵えたものと言えるかもしれない。ネット上では、悪い噂や怪しげな情報はすぐに手に入るし、同じように怒っている人間を探すのも容易い。いわば、何かに便乗して自分も怒り、置き場の困る感情の処理に利用しているということだ。

 そんな風に釈然としない気持ちを処理するのも悪くはないが、過激な言動は翻って自分自身を傷つけることもあるので注意したい。何かを殴れば自分の拳だって痛むのだ。

 「寂しい」という感情を素直に受け止め、じっくりと向き合って自分の気持ちを整理するのも良いのではないかと考える。この寂しさは、一緒に遊んでいた友達が別の楽しみを見つけて自分から離れていってしまう時の気持ちと同じで、誰もが子供の頃に何度か直面したことのある場面ではないだろうか。その寂しさの持つ懐かしさを噛み締める良い機会だとすれば趣深い。

 あるいは、それをきっかけに自分の趣味に一区切りを付けるということもできる。推し疲れという言葉があるとおり、知らず知らずのうちに推し活が経済的、精神的な重荷になって、自身の生活を脅かす存在になってしまうこともある。自分の生活を一旦健全な状態に戻すための好機と捉えるのも一興である。終わり

 

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