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伊勢正三「なごり雪」解説

作者:

◇はじめに

伊勢正三の「なごり雪」を解説します。

ともに青春を過ごしたふたりの別れの曲です。それを惜しむかのように降る雪が、ふたりを包みます。


 時代を超えて多くの人々に愛され続けている「なごり雪」は、1974年にかぐや姫のアルバム収録曲として発表され、その後イルカによるカバーで広く知られるようになった。

 この時代の若者は、大学進学率の急上昇、地方から都市への人口流入という社会構造の変化のただ中にあった。

 この曲は、「季節外れの雪」が降る駅のホームの上にいるふたりの別れに伴う複雑な心情を描出している。歌詞の具体的な意味、比喩表現、構造を分析し、青春の終焉と、それに伴う主人公「ぼく」の内面を考察する。


◇歌の基本的な解釈


 「ぼく」と「君」は一緒にホームで「汽車を待」っている。

 「君」の横で「ぼくは時計を気にしてる」。「ぼく」が何度も時計を見るのは、表面的には、「君」が乗る「汽車」の入線時間を気にしているからのように見えるが、本当は、「汽車」に乗り、「君」が去れば、「君」との永遠の別れになることがつらく悲しく、落ち着かないからだ。いよいよふたりには、別れの時が近づいている。

 「君」の目線の先には、「季節はずれの雪が降ってる」。その目線を、「ぼく」もたどる。それは、もう春がやって来たというのに、冬が去る=「君」が去るのを淋しがるように「降る」、名残の「雪」だ。

 冬のような寒さが「ぼく」たちを包む。ふたりの心も凍えている。

 すると、「君」はぽつりと「さみしそうに」「つぶや」いた。

「東京で見る雪はこれが最後ね」=あなたともこれで「さようなら」ね。

 その言葉を聞き、「ぼく」は改めてはっきりと認識した。

まだ「幼」かった「ぼく」たちは、恋愛の楽しい「季節」・日々に、「ふざけすぎ」ていた。無邪気に恋愛と青春を謳歌していた。

 しかしその「季節」・青春も終わった。

 そうして、その「あとで、今 春が来て 君はきれいになった」。「君」はいつの間にか既に大人になり、その内的な充実が、「きれい」・美となって、外面に表れている。それに対して「ぼく」は「今」もまだ「幼い」ままだ。

 「去年よりずっと きれいになった」「君」の横顔。その成熟に改めて驚く「ぼく」だった。

 いよいよ「君」は「汽車」に乗る。「君」の座席の窓際まで移動した「ぼく」。


 「君」を乗せた「汽車」は既に、「動き始め」た。

 「汽車の窓に 顔をつけて 君は何か 言おうとしている」。その表情を見つめる「ぼく」。きっと「君」は、「さようなら」と伝えたいのだろう。

 でも「ぼく」は、最後の決定的な別れの言葉を、「君の唇」の「動」きから読み取ることに耐えられず、「こわくて 下を向いてた」。

 もう「ぼく」たちの無邪気な「季節」は終わった。これが最後の別れになるだろう。しかし「ぼく」はその現実に向き合うことが「こわ」かった。

 それに対して「君」は立派だった。

「時が行けば 幼い君も 大人になると」、「ぼく」は「気づかないまま」だった。

 しかし「今 春が来て 君はきれいになった 去年よりずっと きれいになった」ということを、「汽車」を見送りながら「ぼく」は再びはっきりと認識した。

 でもそれを「君」に伝えることはできない。


 すでに「君」は「去った」。

 ひとり「ホームに残」された「ぼく」は、「落ちてはとける 雪を見ていた」。

 「ぼく」の心には、「君」との日々が映し出される。

 成長・成熟し、一人の自立した女性となった「君」は、旅立ちの季節・「春」に「ぼく」から離れ、遠くへ向かう。

 その「きれい」な姿は、「ぼく」の心に記憶として深く悲しく刻まれた。


 このように、「なごり雪」の歌詞は、別れの情景が展開される「現在」と、無邪気に恋した「過去」の記憶とを対比させることで、彼女の成長とそれを見送る彼の喪失感・寂寥を表現している。

 以下、歌詞のそれぞれの部分について細かく考察したい。


◇冒頭部


汽車を待つ君の横でぼくは  時計を気にしてる

季節はずれの雪が 降ってる

「東京で見る雪はこれが 最後ね」と

さみしそうに 君がつぶやく


「なごり雪」冒頭部

 冒頭部は、「汽車を待つ君の横でぼくは」がメロディに乗り一気に述べられる点に特徴がある。このやや切羽詰まったような説明・流れは、「現在」の別れの瞬間に伴う緊張感を表している。

 また、「君」がいて「ぼくが」いて、その「ぼく」の方は「時計を気にしてる」という状況は、「君」は時計を気にしていないかのようであり、それに対して、時間を気にする「ぼく」という構造が見られる。ふたりの関心が異なる様子は、ふたりの心の若干のすれ違いも感じさせる。先走って言うと、彼女は既に別れを決意しているのに対し(だから時計を気にする必要がない)、彼の方はまだ未練があるのだ。

 ここで「ぼく」が時計=時間を気にしているのは、「汽車を待つ」とあるように、表面的には、「あとどれくらいで「汽車」は入線するのか」という気づかいだ。彼女がうまく「汽車」に乗れないことを不安に思う「ぼく」の様子。

 それに対し「君」は、「東京」にいる「ぼく」との別れの方に心を寄せている。

 「汽車」と「時計」は、ともにその進行が不可逆なものであり、ふたりの別れが避けられない運命であることを示す。つまり、「時計を気にしてる」行為は、時間は不可逆的に流れるものであり、別れの瞬間が避けがたく近づいているという事実に対する、「ぼく」の葛藤を示唆する。これに対し彼女は、「東京で見る雪は これが最後」という位置・決断に立っている。

 その一方で、「季節はずれの雪が降ってる」という情景描写は、ふたりの関係や心情が、めぐる季節という自然の摂理からはやや逸脱した、不安定で特別な状態にあることも表している。これについては、後程述べる。


「東京で見る雪は これが最後ね」という「君」の台詞は、彼女が故郷へ帰る、あるいは新たな生活を始めるために「東京」を去りどこかへ向かうという、場所の移動と人生の転機を示す。「東京」は、ふたりの共有した場所、時間だった。「東京」で青春をともに過ごしたふたりの「なごり」惜しい別れ。しかしそれはもう、後戻りできない。今日で終わりだ。従って、「これが最後」とは、男との関係も最後・もう終わり・別れであることを意味している。


◇「なごり雪」というメタファー

 楽曲のタイトルであり、第2節の起点ともなる「なごり雪」は、この曲において最も重要なメタファーとなっている。


なごり雪も 降るときを知り

ふざけ過ぎた 季節の後で


〇なごり【名残】の意味

《「余波(なごり)」から》

1 ある事柄が過ぎ去ったあとに、なおその気配や影響が残っていること。また、その気配や影響。余波(よは)。「台風の名残の高波」「古都の名残をとどめる」

2 人と別れるときに思い切れない気持ちが残ること。また、その気持ち。「尽きない名残」

3 物事の最後。終わり。「この世の名残」

4 亡くなった人をしのぶよすがとなるもの。忘れ形見。子孫。

5 病後のからだに残る影響。

6 残り。残余。

7 「名残の折」「名残の茶」などの略。

(小学館デジタル大辞泉より)


 「なごり雪」は、冬との別れ・終りを惜しむかのように春に降る雪の意味で、この造語は、この曲によって、旅立ちや別れを惜しむ切ないイメージとして定着した。別れが惜しまれる、「別れの雪」。


 冬の終わりに降る、季節の最後の雪である「なごり雪」は、ふたりの別れと、それを惜しむ感情、また、ふたりが過ごした青春の日々の終わりの象徴として機能している。

 「降るときを知り」という表現には、無情の雪でさえも、ふたりの終わりの時を理解しているという、思いと意味が込められている。

 「ふざけすぎた季節」とは、まだ「幼」なかったふたりの無邪気で奔放な過去を指し、これらによって、青春の甘美さと終焉を表現している。

 このように、季節外れの「なごり雪」は、過ぎ去った季節(冬=過去のふたりの関係)への未練を具現化し、過去と現在の境界線に立つ「ぼく」の心境を表現する重要なメタファーとなっている。


 「なごり雪」の意味するものについて先の辞書の解説を援用すると、「女が過ぎ去ったあとに、なおその気配や影響が、駅・男には残っていること。女と別れるときに思い切れない気持ちが、男に残ること。ふたりの関係の最後・終わり。この雪が女の思い出となること」という意味になるだろう。


◇変化と成長の認識

 歌詞の核となる表現は、サビで繰り返される「きれいになった」というフレーズだ。


今 春が来て 君は きれいになった

去年より ずっと きれいになった


 ここで主人公は、「君」の変化と成長を認識する。「きれいになった」のは、単なる外見の変化ではなく、「東京」を離れ、新しい人生のステージへと向かう「君」の内面の充実や決意、そして「春」という季節がもたらす生命力と結びついている。


 彼女が「きれいになった」という認識は、同時に「ぼく」が「君」の成長から取り残され、そのこともあり、ふたりの関係が過去のものになったことを悟るきっかけでもある。愛する人の成長を認める祝福と、別れの寂しさ・喪失感という相反する感情が入り混じった、複雑な心情を表現している。さざ波のように細かく上下するメロディーラインも、彼の心のさざめきを表している。


 繰り返しになるが、「君はきれいになった」というフレーズは、単なる外見的な賛辞を超えた、深い意味を持つ。語り手は「君」の変化を改めて客観的に認識している 。この言葉は、女が男の影響範囲を超えて、いつの間にか自立し、完成されたことを認める言葉だ。彼女の美しさは、語り手との過去の関係性の枠組みが終了し、彼女が次の新しいステージへ進むという事実を意味している。別れは必然であり、男はもはや彼女を引き留める立場にない・資格を持たないことを示唆する。

 また、男は、別れの瞬間の彼女の「きれい」な姿を記憶に固定しようとしている。これは、苦痛を伴う別れの記憶を、永続的な「美」のイメージで保存しようとする心理的な機制の表れでもある。彼女が「きれいになった」という事実と認識は、祝福であると同時に、彼女が遠い存在になったことへの静かな哀愁を内包しているからだ。


◇別れの瞬間と後に残された「ぼく」

 第二連では、実際の別れの場面が描かれる。


動き始めた 汽車の窓に 顔をつけて

君は何か 言おうと している

君のくちびるが「さようなら」と 動くことが

こわくて 下を むいてた


 この描写は、別れの決意を伝えようとする女と、それに対する男の心理的な回避を表している。「さようなら」という決定的な言葉を聞くことを恐れ、「下を向」くという男の行動は、別れを現実として受け入れたくないという拒絶の表れだ。いま彼にできることは、これしかない。彼のこの回避によって、ふたりの別れは明確な「さようなら」ではなく、沈黙と曖昧さの中に封じ込められることとなる。

 彼には明らかに、彼女への「なごり」の感情がある。彼はまだ、彼女を愛している。

 これに対し女は、確実に別れを伝えようとしている。そうしてその後には、男への感謝や慰めの言葉が続くだろう。だから男は、これらすべてを、ふたりの関係性の終末部においてすべて拒否したことになる。そのやりかたは、この場面で彼ができる唯一の方法、「下を向」くという行動だった。このような「幼い」別れ方しかできない男に対し、女は既に「大人」になっていたのだった。女の「大人」の「きれい」さ・美は、まだ「幼い」男には、近寄りがたいまぶしいものだったろう。今までとはまるで違う存在となった彼女に改めて気づき、男は女に対し、存在の隔たり・隔絶を感じている。


 最後に、主人公は「君が去った ホームにのこり 落ちてはとける雪を見ていた」と、再び「なごり雪」のイメージで締めくくる。溶けゆく雪は、ふたりで過ごした季節が過ぎ、時間の経過とともにやがて消えゆく青春の記憶と、彼の切ない感情の残滓を象徴している。


◇まとめ

 伊勢正三の「なごり雪」は、駅という別れの象徴的な空間と、季節外れの「なごり雪」というメタファーを効果的に用いて、青春の終焉と別離の情景を描き出した。この曲は、愛する人の成長を認めつつ、別れざるを得ない主人公の複雑な心情を描いている。青春期の別れという普遍的なテーマを描いた作品だ。


 「ぼく」は一貫して「君を見送る側」として受動的な立場に置かれている。別れという行動の主体は旅立つ「君」であり、語り手は「汽車」に乗って去っていく彼女をただ見つめることしかできない。この受動的な構造が、語り手の孤独感と、去りゆく者への愛と未練を際立たせる。

「駅」と「汽車」は、別れと移動の空間的モチーフとして機能している。


 「君はきれいになった」という、相手の変容を客観的に認識する言葉(ただしこれは、彼女へは伝えられない)は、自己の心境や感情の揺れを直接表現することを避け、代わりに相手の変化を静かに受け止めるという、極めて抑制された表現だ。この二重の意味で「語られないこと」が、詩の余白となり、語り手の複雑な内面(別れの寂しさ、成長への祝福)を想像させ、詩の深みを増している。


 「なごり雪」は、春の訪れ(再生と新しい始まり)と冬の終わり(終焉と別れ)の境界線上に存在する、極めて曖昧で刹那的なモチーフだ 。「なごり雪」は、過ぎ去った季節、すなわち過去の記憶や愛情への「未練なごり」を文字通り具現化したものであり、別れの瞬間にこの雪が降ることで、ふたりの関係性が持っていた「季節外れの美しさ」、つまり本来終わるべき愛が最後にもう一度、「雪」という純粋な形で現れるという儚さが強調される。自然現象と人事・人間の感情を重ね合わせた手法は、季節の過渡期という具体的な時間を設定することで、若者の「人生の過渡期」(旅立ち)の感情と接続させる。溶けゆく雪の様子は、別離の不可避性・不可逆性と、ふたりの大切な記憶もやがて消えゆくことを暗示している。

 時間が前に進むことの必然性と、その過程で失われるもの(過去の関係性)への静かな悲哀。春先の「なごり雪」という刹那的な現象は、この無常観を視覚的に表現するメタファーだ。


◇詩歌における「雪」の伝統

 日本の古典・詩歌において、「雪」は清浄さや別離の象徴として、また、仏教的な無常観や超越性を想起させる象徴としても用いられた。

 たとえば宮沢賢治の「永訣の朝」では、死が迫る愛する妹に食べさせる「さいごのたべもの」である「あめゆき」(みぞれ)を取るために病室の外に飛び出す賢治の様子が描かれる。肺結核にあえぐ妹の死はもう逃れようのない状態・事実だ。

 「永訣の朝」は、次のように閉じられる。


 「どうかこれが天上のアイスクリームになつて

おまへとみんなとに聖い資糧(かて)をもたらすやうに

わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」


 「別れ」と強く結びついたモチーフである「雪」。

 「なごり雪」は、この伝統的な雪のモチーフを継承しつつ、青春の寂寥を加え再構築している。


◇終わりに

「なごり雪」と前後して一晩で作られた「22才の別れ」。別離の心情が、「なごり雪」は男の側から、「22才の別れ」は女の側から述べられます。同じ場面でのそれぞれの心情を併せて聞き味わうのもいいかもしれません。



#風

#かぐや姫

#なごり雪

#伊勢正三

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