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「ぽとん、ぽぉとん」

作者: IYA−I

エアコンから落ちる「ぽとん」という水音。

それは何気ない日常の一部で、誰も気にしない音かもしれません。

でも、もしその音が「何かを伝えようとしていた」としたら──


本作は、そんな“ありえないけど、あるかも”という話です。

暑い夏の静かな部屋で、お読みいただければ幸いです。

ポタン。

ポタン。

ポタン。


天井のあたりから、水の音がしてた。


「……あー、またか」


エアコンの下に置いた洗面器が、少しずつ音を立ててる。

もうかれこれ3日目。直す金もないし、どうせ中のどっかが詰まってんだろって放置してる。


冷房は効いてるし、こいつがポタポタ泣いてても、まあいっかって感じ。

うるさいときは、タオルでくるんで音をやわらげてる。小技。


俺は北村 悠馬。いま大学2年生。

夏休みに入ってから、ほとんど家にいる。外は暑いし、金もねぇし。

バイトは週4。コンビニ。社員よりシフト入ってる気がする。


冷蔵庫の中には、割引で買った弁当が3つ。

賞味期限ギリのやつを、夜中に仕込んどくんだ。

飲み物は水道水。ぬるいけど無料やし。


……エアコンの音が、少し変わった気がした。

いや、気のせいか。

たぶん、今日も特になんもない、夏の一日。


「おーい、来たで〜!」


ガチャっとドアを開けた蓮が、袋をぶらぶら揺らして入ってくる。

「チョコ買ってきた! あとキムチもな。今日の主役や!」


「いやまぁ、チョコはデザートやとして、主役はタコやろ……」

とりあえず袋を受け取って、冷蔵庫に突っ込む。


そのあとから、手提げクーラーバッグを持った駿が無言で入ってきた。

背筋、今日も相変わらず無駄にしゃんとしてる。


「具材、俺が用意しといた。粉と出汁もある」


「タコ?」


「生ダコ。冷凍より味がいい」


「さすがUSJバイト、やることがクオリティテーマパークやな」


蓮が冷蔵庫を開けて、顔をしかめる。


「お前んちの冷蔵庫、弁当ばっかやな。何個入っとんねん、これ」


「いいやろ、量あるし腐らへんし」


「それにしても、麦茶ぐらい作っといてもええんちゃう?」


「水でいいわ……タダやし」


クーラーの下に置いた洗面器に、「ポタン」と水が落ちた。


「……まあ確かに、水の方が安全っちゃ安全かもね」


「は?」


蓮が冷えたペットボトルを出しながら、駿に目線をやる。

駿はぼそっと言う。


「麦茶パックとか、煮出しタイプのやつにはさ……マイクロプラスチック、混ざってるらしいんだよね」


「え、そうなん?」


「まあ、微量らしいけどね。気にする人は気にするってだけ」


「ほら、水でいいやん!」


ジュウウウ……と、たこ焼き器の上で生地が焼けていく音。

タコ、チーズ、紅しょうが、謎のキムチ……どれがどれか、もうよくわからん。


「……おい、これ絶対キムチのやつやろ、蓮、お前が買ってきたんやからまずは毒見しろ!」


「ええで?」


蓮が笑いながら一つ放り込む。

その横で駿が黙々とたこ焼きをひっくり返してる。

その瞬間、蓮のスマホがピロンと鳴った。

LINE通知。チラッと画面を見た蓮の顔が、ふっと曇る。


一瞬だけ沈黙。


「……どしたん?」


悠馬が聞くと、蓮は「なんでもない」とだけ答えて、スマホを伏せた。


悠馬が不意に切り出す。


「こないだ駅で、なっちゃんに会ったで」


「……ふーん」


蓮はまたスマホの連絡を見ていた。


「なんか最近、蓮がバイトばっか入れすぎてて、全然会えてへん言うてたわ。

“さみしい〜”って、あんまりほったらかしたら逃げられるかもな~?」


「……」


焼き上がったたこ焼きにも手をつけず、

悠馬が口を開く。


「……? 聞いてる? 蓮?」


「……わるい。ちょっと俺、帰るわ」


「は? なんで? まだ全然早いやん」


「……用事できてん。急に」


「あ、そうなん?」


駿の声は一定だが、少しだけ目が動く。

悠馬がもう一度食い下がろうとしたけれど、

蓮はすっと立ち上がって、背を向けた。


「……またLINEするわ」


それだけ言って、玄関へ向かう。

ドアが閉まる音。

さっきまで焼けてた鉄板の音が、遠く感じた。


悠馬がぽつりと呟く。


「……言ってくれたらええのにな。なんかあったんならさ」


駿は、静かにたこ焼きの片付けを始める。

ジュッと水に鉄板を入れる音が、やけに大きく響く。


「余ったやつ、食べといてええよ」


「……俺、皿洗うわ」


「うん。ありがと」


ゴシ、ゴシ……

スポンジが器に当たる音だけが部屋に残る。


「……あ、材料余ったな。これ、食べといていいよ」


「え、マジで? ありがとう。タコ、さばき方わからんけど」


「適当でいいよ。どうせお前、味わかってへんやろ?」


「……!」


そんなやり取りを交わしながら、駿も「じゃあまた」と言って帰っていった。


悠馬は一人になって、ベッドに大の字で寝そべる。


「明日はバイトか……」


ポタン……ポタン……

天井のエアコンから落ちる水の音が、耳につくほど大きく響いた。


バイト終わり。コンビニの制服のまま階段をのぼる。

今日もだるかった。店長、俺を社員やと思ってんのか?


ガチャ。部屋の鍵を開けると、当然誰もいない。


「……あー、そういや一人暮らしやったわ」


電気つけて、部屋に広がる無音。

ちょっと、いやまあ、けっこう寂しい。

誰かいてもええのにな、って思うけど、明かりが消えてる部屋は、いつも俺に「当たり前やん」って言う。


冷蔵庫から昨日の弁当出してチン。

なんか物足りん。今日は映画でも観よか。


テレビのサブスク開いて、タイトルをスクロール。

『パシフィックなんとか』『ブルー・ディープ・ダウン』『SOSサブマリン』。

どれも内容知らんけど、海の気分やし『SOSサブマリン』に決定。


潜水艦の中で、男たちが鉄の床を踏みしめる。緊迫感。

そのうち、ピッピッ……ってモールス信号の音が鳴る。


……ぽとん。


ふいに、エアコンの下から水の音。


「……うっさいな、またか」


タオルかぶせようかと思ったけど、まあいいか。

映画も終盤やし、なんか、ぽとんって音も潜水艦っぽいっちゃぽい。


ぽとん……ぽとんぽんぽん……ぽとん。


朝。パンかじりながら耳をすます。


「……なんかリズムちゃうな」


ぽとんぽんぽんぽん、ぽとん……

昨日の映画の……モールス信号っぽくない?


スマホで見直してみると、あのシーン。

ポン、ポン、ポン、ポーン……「おはよう」って打ってた。


「え、マジかよ」

「お前、モールス覚えたん? エアコンが……?」


試しにスマホで『こんにちは』のモールス信号を流してみる。

エアコンに向かって。


……ぽとん、ぽとん。


「返事きた!? お前……返せるんか!?」


一人で声出して笑った。

完全に寝ぼけてるか、疲れてるかやな、俺。


それ以来、こいつとはちょっと気が合うようになった。


「はぁ〜……やっぱカセットやな」


コンポにテープ突っ込んで、巻き戻しボタンをカチッ。

シュルル……ってリールが回る音が、やたら心地ええ。

この“待ち”がいいんよな、カセットってやつは。


ノイズも、空気ごと入ってる感じ。

やっぱサブスクには出せへんもんがある。


ベッドの上で足でリズム取りながら、体も自然と揺れてくる。

イントロ抜けて、さあサビ来るぞってとき――


トントントントン……


「裏拍子取んなや、お前」


エアコンがまた変なテンポで水落としてくる。

このリズム感のなさ、逆に才能やろ。


ため息ついて、冷蔵庫から割引弁当取り出す。

レンが見たら「またかよ」って言いそうやな。


電子レンジを回しながらスマホいじる。

「あ、今週からあのアニメシリーズ解禁されんのか……一気見するか……」


そのときだった。


トントントントントントントントン


エアコンが怒涛の裏拍子を打ち始めた。


「……なんやねん」


やたらうるさい。まるで何か言いたいみたいや。


「うっさいわ」と言い捨てて、ふと、部屋を出たくなった。


財布とスマホだけポケットに突っ込んで、外へ。

とりあえず、近所のネットカフェへ。


アニメ、20話一気見した。

「おもろかった〜!」ってなったけど、財布見たら残り283円。

「あと3日で給料日やのに……」


カフェを出て帰ろうとしたら、遠くから煙と光が見えた。


俺のアパートやった。燃えとる。


「うわ、やばいやん……」って、震える手で消防に電話かけた。

最悪や。金もないし、部屋まで燃えるとか、どんなツキやねん。


火元は隣の部屋。俺の部屋も、けっこうやられてた。

中に入れたけど、焦げ臭くて住める感じじゃなかった。


避難所みたいなとこに移った。


部屋のもんはほとんどダメやったけど、

カセットとデッキだけは無事やった。

簡易ベッドの横で、カセットが回ってる。


エアコンは……もう、だめやった。


あのまま部屋におったら、たぶん俺、

気づかんうちに寝落ちして、最悪パニクってやばかったかもしれん。


部屋に戻ったとき、ふと天井を見上げた。

エアコンは、もう、ぽとんって水を落とさない。


LINEが来ていた。蓮からだった。


「大丈夫か?!駿から聞いたぞ。生きていてよかったな!」

「まあな。外に出てなかったら危なかったかも」

「そういえば、急用ってなんだよ」

「いや、ばあちゃんが死んじゃって。それでちょっと実家に帰ってた」


ああ、だからあんな感じになってたのか。


「それはそっちも大変だったな。さみしくなるな、お互い」

最後までお読みいただきありがとうございました。


この話は、日常の“ほんの少しの違和感”から始まる、ゆるやかなホラーとして書きました。


「ぽとん」という擬音は、水音であり、合図であり、もしかしたら誰かの“声”かもしれません。


読後にもし、エアコンの下から水が落ちる音が聞こえてきたら……

ちょっとだけ耳を澄ませてみてください。


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― 新着の感想 ―
何気ない大学生の日常の中に、じわじわくる余韻とドラマがしっかりあってとても良かった。 北村悠馬の生活の描写がすごくリアルで、なのにちゃんと物語として引き込まれた。 ポタンっていう音だけで、場面の空気と…
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