【アップ】2025年5月3日主日公同礼拝/讃美歌とMy noteもあります
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
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【ノート】
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【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日のメッセージ】
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【ブログ】
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ブログを見て下さると聖書と讃美歌の歌詞も閲覧できます^^
讃美歌~♬
讃美歌257番
https://www.youtube.com/watch?v=kdUFPUBNSPg
讃美歌526番
https://www.youtube.com/watch?v=tCeCRg3XCiQ
1
主よわが主よ 愛の主よ
主はわが身の 救い主
かくまで主を愛するは
今日初めの 心地して
2
主は十字架を まず負いて
愛の御手を伸べたもう
かくまで主を愛するは
今日初めの 心地して
3
生ける時も 死ぬる日も
声の限り かく歌わん
かくまで主を愛するは
今日初めの 心地して
4
玉の冠 受くる時
この歌をば 主にささげん
かくまで主を愛するは
今日初めの 心地して
2025年5月4日 礼拝説教 聖書箇所
「わが主よ、わが神よ」。イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。
ヨハネによる福音書20章28,29節
見よ、兄弟が和合して共におるのは いかに麗しく楽しいことであろう。
詩編133編1節
はじめに
キリスト教主日礼拝の最初の日を学ぶ。わたしたちの信仰を、今日新たにしたい。
1
「十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。」「十二人」とは、主イエスが「任命し、使徒と名付けられた」(マルコ3章14節)者たち。イエスを裏切ったイスカリオテのユダは命を絶った(マタイ26章14、48節、27章5節)。一度目の顕現においてそこにいた弟子たちは十名。「ディディモ」(ヘブライ語)も「トマス」(ギリシャ語)も同じ意味で「双子」。多分、トマスは双子の一人であった。あだ名であれば「瓜二つ」。トマスは、ラザロの死の時、「仲間の弟子たちに、『わたしたちも行って、一緒に死のうではないか』」(ヨハネ11章16節)と呼びかけ、イエスとの殉教を辞さない程に、一途であった。また、「わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」と主イエスが言われた時、トマスは、「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」(ヨハネ14章5節)と尋ねた。すでに、「人の子は人々の手に渡され」「殺されるが、三日目に復活する」(マタイ17章23節)と、主イエスから弟子たちは聞いていながら、トマスも、その道が分からなかった。「そこで、ほかの弟子たちが、『わたしたちは主を見た』と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」。トマスは、幻滅と絶望の淵。他の弟子たちも同様(ルカ24章21節)。
2
「そして八日の後、弟子たちは再び家の中に居て、トマスも一緒であった。戸を全部閉じていたのに、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」主イエスの二度目の顕現。その日(一週のはじめの日、日曜日)は、主日礼拝の始まり。礼拝とは、主イエスの霊における臨在の中に、神と会見し、主の和解と祝福の言葉を聞くこと。それは、弟子たちの全面的な損失を真の喜びに変えて余りある、主の慰めと希望の日。「それから、トマスに言われた。『あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者にならないで信じる者になりなさい』トマスは答えて、『わたしの主、わたしの神よ』と言った。」主イエスはトマスの疑いが実証を理由とすることを知っておられた上で、それを検証させる。と同時に、信仰を強く奨励する。主イエスの言葉は、端的に、「不信でなく信仰を来たらせよ」という命令。トマスは、生けるキリストの復活体に触れ、霊の臨在の中で、信ずるべきお方を信じ、このお方を、他のだれでもなく、「わたしの主、わたしの神」と告白した。ここに、わたしたちは、告白的礼拝の原則を見る。わたしたちのささげる祈りと賛美と告白は、ただ、復活の主イエスを、聖書の証しするとおりに、信じ、心からの感謝をもって、謙遜かつ誠実に表明すること。図らずも、トマスの告白は、十字架上の主イエスの声に重なる。主イエスを「わたしたちの主、救い主」と告白する理由は、主イエスが、「わたしの兄弟」(ヘブライ2章11節)と呼んでくださるゆえ。わたしたちのささげる礼拝は、神の言葉と霊によって認証され、その現実が証しされる。
3
「イエスは彼に言う。『わたしを見てきたから信じているのか。見たことがないのに信じる人々には、この上ない喜びがある。』」「キリストを見たことのがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています」(ペトロの手紙一1章8節)。主イエスの祝福は、教会の交わりと喜びの源を証しする。
おわりに
上よりの霊に導かれて、礼拝と交わりが真に存在する。ただ神の栄光のために。
(My note)
二〇二五年五月三日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「イエス・キリストが十字架刑で受けた仕打ちはなんですか。」
「手と足を釘で十字架に打ち付けられ、荊の冠を頭に被せられ、背中を鞭で打たれ、脇腹を槍で刺された事、そして、十字架刑に伴う全ての苦しみです。」
イエス様がピラトの下で十字架に付けられる迄の全てのエピソードが引用された。総督であり裁判長であったピラトは「この人(イエス様)に私は何の罪も見出せない」としながらも、群衆の声が勝ち、結局、イエス様はその群衆の声に従う形で十字架に付けられた。罪の無いイエス様を、罪人が裁いたのである。しかしこれ等の一連は神様の御計画の内に在り、この時からイエス様の存在を通し、その罪から悔い改めの土台が与えられ、全ての人は悔い改めに依りその罪の淵から救われる恵みを受けた。この事を忘れては成らない。
(公同礼拝)
『ヨハネによる福音書』(第二〇章二四〜三一節)
『詩篇』(第一三三篇一〜三節)
この『ヨハネによる福音書』では、あの「疑い深いトマス」と言われる十二弟子の内のトマスの事に就いて記される。
トマスは、初めにイエス様が十字架の死から復活され、弟子達の前に来られた時、その場に居なかった。だから他の弟子はイエス様の復活を信じて居たが、トマスはまだ信じて居なかった。そして、
「私は、その手に釘跡を見、私の指をその釘跡に差し入れ、又、私の手をその脇に差し入れて見なければ、決して信じない」
と言ったのである。
その初めにイエス様が弟子達の前に来られてから八日後に、もう一度、イエス様は弟子達の前に来られた。その時にはトマスも一緒に他の弟子達と居た。そこでイエス様はトマスに、
「あなたの指をここに付けて、私の手を見なさい。手を伸ばして私の脇に差し入れて見なさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」
と言った。トマスはイエス様に答えて言った、
「我が主よ、我が神よ」
イエス様は彼に言った、
「あなたは私を見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、幸いである」
と諭したのである。
死んだ者が生き返る…この事を、このトマスのエピソードを知る現代人でも、すんなり信じる事が出来ようか?死んだ者が生き返るとは、現代でも到底信じられず、人知を以て受け入れる事が出来まい。受け入れられるのは、何らの事由があり、精神が病んで居る者や、世間一般で「おかしい」「変だ」「狂ってる」と言われる者になろう。
しかしイエス様はこの信仰に於いて、
「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」
「あなたは私を見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、幸いである」
と教えた。このイエス様の言葉は、現代人にも同じく教える事であり、全ての現代人もこの時のトマスと同じく、
「私は、その手に釘跡を見、私の指をその釘跡に差し入れ、又、私の手をその脇に差し入れて見なければ、決して信じない」
と断言するのではなかろうか…が問われるものにある。
ここで大事なのは、正しい信仰・唯一誠の正義に在るキリストの真実(教え)に依って、そのイエス様の復活を信じる事にある。この事をクリスチャンでも今、心の底から信じ尽せない者達が居よう。
教会では、聖書が示す唯一の教えを、全ての人が同じく信じ、知る必要がある。各様各人で独自の信仰を持ち、俺はこう信じる・私はこう信じる…とその信仰を頑なに守れば、教会内はバラバラになり、また派閥が生まれ、人間の教義に必ず置き換えられる。人には必ず「自分」が出るからである。このとき他の弟子は、イエス様の復活を前に知って居た事で信じて居たが、トマスはその場に居なかったから独自の主観を早くも持ち、その独自の信仰による頑なさにより「〜決して信じない」と断定して居たのである。そしてイエス様に、
「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」
「あなたは私を見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、幸いである」
と言われた。要は信仰に於ける心の問題に在り、イエス様が全ての人に教えた事、今では聖書の御言葉・神様の教えを、文字通りに、知る程に信じる事が出来るかどうかに在る。何時でも信じる事の出来る正しい信仰が必要で、これに依り全ての罪人はイエス様がこの時教えた事に添い、神様に喜ばれる信仰の持ち主と成る。そう信じる事が大事にあろう。
イエス様がラザロの所に行く時、トマスは、
「私達も共に行き、死のうではないか」
と他の弟子達に言った。当時、ラザロの所に行く事は危険を伴う事だった。ディディモとは、双子の意味である。この様にトマスは、イエス様に率直に従う過去を持ち、素晴らしい信仰への熱意を以て居た事も分かる。トマスは信仰に、イエス様のあとに一途だった側面もあり、その良さも確かにあった。我々にトマスを見る時、この点も共に認める必要がある。
そのトマスがこの様に「私は、その手に釘跡を見、私の指をその釘跡に差し入れ、又、私の手をその脇に差し入れて見なければ、決して信じない」と言った事は、その点で幻滅的に在り、悲しい事である。しかしイエス様はそのトマスにも同じく諭し、キリストの愛と恵みに依り、信仰に依り救われる道を変わらず示して下さる。このイエス様とトマス(全ての現代人)の関係も知る必要があり、この点がまた大事に在る。
全ての人にはこのトマスの様に、信じる時と、信じない時とがある。一時の感情に弱いのである。まさに或る意味で二重人格に在り、その状況・心のチューニングポイントにより信じたり信じなかったりし、特に見えないもの・体感出来ない事・触れられないものには脆く、その時こそ見えるもの・体感出来るもの・触れられるものに縋り付く本能・習性があり(例えば金やステータス等)、だからこそイエス様がこの時教えた「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」「あなたは私を見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、幸いである」と言う御言葉が信仰に於ける救いに成り、罪から逃れる唯一の法に成る。
新約聖書の「新約」とは、イエス様の十字架に於ける復活に依り、全ての人の罪が、悔い改めにより救われる事を確約した契約である。この新たな契約に新しく生まれ変わらされ、イエス様に従って救われる事が全ての人の救いに必要である。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Café~
榎本保郎 ちいろば牧師
https://www.youtube.com/playlist?app=desktop&list=PL8KCKaKra_aYWbpUw2b-jccg2eIg696Vx
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop
【説教】2023年5月7日使徒言行録 16:16~24
「既得権益の魔力」【日本基督教団東舞鶴教会】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=IrE4bUJTp3o
Lilies of the Field Clip
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=5-6wSxKLhbo&list=RD5-6wSxKLhbo&start_radio=1
不思議のパルプンテ
https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬




