主人公ケンの徹底的な個人主義は獣的、刹那的行動は人間社会では破滅へと向かう。
現代に於いて、徹底的な相対主義、個人主義は人間社会では生存は難しい。
剱にとって、金にならない事は仕事とは言わない。他は全て遊びか気晴らしにすぎない。
黒沼剱の個人主義で合理的な考え方、生き方は誰でも具えている。だが、想うだけで現実の社会にこの生き方を個人として徹底的に実践することは自滅を意味する。誰でもがそのルールを破滅しない程度には守っている。これに関しては異常者、性格破綻者とて例外ではない。
ケンは途轍もなく我儘な子供だった。親はもとより周囲の人間達はケンに対して野生の動物を調教するのと同様の方法を用いる以外に手は見いだせなかった。周りの仕打ちに対してケンは燃えるような憎悪と憎しみを感じては報復し、又、それを繰返した。
――親も含めて誰もがケンには人間的な学習能力が生まれ付き欠落しているのだと思った。だが、小学校に入る頃にケンの態度が一変した。それまでの反抗的な言動が嘘のように無くなった。暫くは周りの大人達はその急激な変化に戸惑ったが、その内に気にしなくなった。しかし、ケンの本性が少しも変化してはいないと感じていたのは同世代の子供達だった。まともな抵抗が無駄だと骨身に感じて悟ったケンは、単に自己防衛の為に表面的な反応を消したにすぎない
ケンの瞳には前以上に獸に似た強い意志的な光が宿っていた。
ケンが小学一年の夏休みの時に家が火事になった。深夜二時頃出火して瞬く間に燃え上がり、隣家五軒を巻添えにして沈火した。死者はケンの両親を含め五人も出た。出火元はケンの両親の寝室だった。近所の人々は密かにケンを疑ったが七才になったばかりの子供でもあり、親を二人共殺すという事を考える事自体がおぞましく、各自それぞれの胸中深く沈めた。ケンは一時親戚に預けられたがあまりの我儘さに全く手がつけられず、結局十五才まで公的施設で育つ事になった。
ケンは成長しても自分の事を他者に語ることはほとんど無かった。ケンに対し過度に興味を示して近づこうものなら、痛い目にあうか二度とケンに相手にされなくなる。ケンは近づく者に対して見る者を圧し、凍りつかせる眼光を放つのである。
今日の時代は益々相対主義、虚無的世界観が人々の魂に蔓延している。
現代に於いて、徹底的な相対主義、個人主義は人間社会では生存は難しい。
主人公ケンは現代の代表的な鬼子とも云える人物である。