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最強デレデレ魔王様♀と旦那さまとその他臣下の苦労話

後書きに恒例の人物紹介を書くのを忘れていたため加筆しました。

本当に今更。


タイトル 恥じらいキッス

――――長閑だな。

女は思う。

春の暖かな風に部屋の白いカーテンが揺れ、桜の花びらが時折部屋に舞い込む光景は、見ているだけで胸がとても暖かくなる。

今現在たたんでいるこの洗濯物も、愛する人と一緒に悩みながら選んだ柔軟剤の香りが漂っていた。

ふと顔を上げた先にあるキッチン兼洗面所のそこには、寄り添うようにして色違いの歯ブラシが二つ並んでいる。

ああ、まただ。ほわりと胸が暖かい。

女は優しく微笑んだ。

時計を見るとまだ15時27分。彼は18時に仕事が終わる。

まだまだ会えないことは非常に苦痛で悲しいが仕方がない。

無意識のうちに止めてしまっていた手に気づき、再び洗濯物を畳み始めた。


「魔王様、わたくしを無視するの止めていただけませんか?」


春は美しい。それと同時に小うるさい虫が湧いて煩わしいものだ。

虫一匹に構っているほど私も暇ではない。

この後16時から始まるスーパーのタイムセールに行かねばならないのだ。後30分しかない。


「お、おね、お願いですっ。ぐす、魔王様、わたわたわたくしの、えぐっ、お話を…っ」


虫は未だに鳴いている。まったく面倒だ。タイムセールの帰りにでも殺虫剤を購入しよう。

畳み終えた服を小さなタンスに入れると、食費用の財布を持って立ち上がった。

虫はびくりと体を揺らす。早く部屋から消えてくれないだろうか。

頭の中で何を買うか思い出しながら、私は玄関へと向かう。ああ、そうだ。


「サレオス」


サレオスと呼んだ中年の風貌をした虫は、「は!」と言って立て膝を付き跪く。

そんなことは見なくても分かるため玄関先で靴を履いた。

サレオスの声音は幾らか情けない。


「花まるクリーニングまで服を取ってこい」

「は!…は?」

「服は嘉隆よしたかさんのスーツ二着。一応忠告しておこう」


背を向けていたがゆっくりと振り返る。嘉隆さんと出会って知った、“ほほえみ”という笑顔で。


「もしスーツに何かあったら…。分かっているな」


嘉隆さん曰く私の笑顔は大輪の薔薇が咲き誇ったような、という表現が似つかわしいらしい。

私はとげとげしい薔薇よりも、嘉隆さんの見ているだけで胸が暖かくなって幸せになれる笑顔のほうが好きだけれど。

…くそ、このミドリムシめ。嘉隆さんに余計逢いたくなってしまったではないか!


「ひぃい!嘉隆さまのスーツは、この身に変えてもお守りいたします!」


そう言うや否や姿を一瞬にして消したサレオスを見やり、視線を時計に移した。

15時42分。ああ、もう行かねば。私は静かにドアを開けた。


私が住む家は木造二階建て、築二十年のボロアパート。そこの二階の角部屋が私たちの愛の巣だ。

1K八畳の、小さいながらもバスとトイレ付きで、朝日が眩しい東向き。おかげで無遅刻だと嘉隆さんは笑う。愛しい。

ひと月四万円のその部屋が私は大好きだ。

何をしていても嘉隆さんが見える。洗い物をしていても、歯を磨いていても、布団で寝ていても嘉隆さんが見え、何より触れられるほどの距離が心地良い。

隔たりのないこの部屋が大好きなのだ。

もっと大きい部屋へ越そうと嘉隆さんは言うが、こればかりは譲れなかった。

困った顔をした後「ルーシーが良いなら」と笑う嘉隆さんがもっともっと好きなのだった。


タイムセールの帰り道。戦利品は卵二パック、ネギ三本一束、ニンジン四本入り一袋、ジャガイモ五個入り二袋と牛乳三本。

そして嘉隆さんの好きなとろけるプリン二個。これはセール品ではないが、私のへそくりで買ったので食費には加算されない。

嘉隆さんの喜ぶ顔が目に浮かんだ。

今日の夕飯はどうしようか。毎日被らないようにメニューを考えることは、戦場で軍を動かすことよりも難しい。

昨日は肉じゃがとほうれん草の胡麻和え、そしてサバの塩焼きと嘉隆さんが食べたいと言った出汁巻き卵。なかなか上手にできていた。

純和風の次は洋風にしよう、と思い冷蔵庫の中に何があったか思い出す。

たしか先日買った鳥肉がまだ残っていた。そうだ、ローズマリーで焼いて香草焼きにしよう。

ああ、それが良い。嘉隆さんは魚よりも肉が好きなのだ。アグレッシブに肉を頬張る嘉隆さんも、とても魅力的なのだ。


そんなことを考えていたらいつの間にかアパートに着いていた。

ああ、本当に時間はあっという間なのだな。人間が言うことは当たっている。

登ろうと体重をかけるたびに悲鳴を上げる階段を上がりきり、部屋にたどり着いた。

鍵を挿し扉を開けると、何故だか消える前よりも服が汚れているサレオスが居た。

机の上には【花まるクリーニング またのご来店をお待ちしています】と書かれた袋に包まれるスーツが置いてあった。


「ま、魔王様、あの」

「スーツに傷はないな」

「…はい」


何故だかサレオスは涙を流している。何の情も湧かなかった。

キッチンに向かい早速調理を始める。

後一時間三十分で嘉隆さんは帰宅する。

それまでに温かい夕飯を支度しておきたい。


「魔王様、そのままで構いませんのでこのサレオスの話をお聞きください」


サレオスは一人話し始める。

鳥肉の香ばしい香りが漂い始めた。


「一体世界征服はどうなったのですか!皆気をもんで魔王様をお待ちしております」


香草焼きのほかにポトフを作ろうと思い、鍋を取り出した。

春と言っても夜はまだ冷えるのだ。もし体を冷やして嘉隆さんが風邪を引いたら…、と思うと寒気がする。

今日買ったじゃがいもを沢山入れよう。きっとおいしいに違いない。


「どうか、どうか魔王様…」

「もう止めた」

「はい?今、何と?」

「世界征服、止めた」


背後でビシリと空気が固まる気配がした。

私は慣れた手つきでじゃがいもを丁度良い大きさに切っていく。

パンよりご飯派の嘉隆さんのために、炊飯器もセットした。

あと五十分。丁度いい時間だ。

火を通しているうちに食卓の準備をしてしまおう。


「理由を、理由をお聞かせください!」


まるで縋りつくようにサレオスは私の足を掴む。

本来ならば蹴り殺すところだがもうすぐで嘉隆さんが帰ってくる。

彼は血が何よりも嫌いだから、殺すことは諦め一蹴りで我慢した。

それでもサレオスは一メートル勢いよく吹っ飛んだ。


「夕飯を考えるので精いっぱいだからだ」


サレオスは呆けた表情で私を見る。その目玉もくり抜いてしまいたい。

私は二膳の箸を向かい合うようにして置き、夫婦茶碗とペアコップを置いた。

そう、私と嘉隆さん結婚一ヶ月の新婚さん、なのだ!


「な、な…」

「魔界と今を選べと言うのなら、私は迷いなく今を選ぶ」


言葉も出なくなったらしいサレオスは、小さく肩を揺らしている。

静かになったことは喜ばしい。あとは消えてくれることを願うだけだ。


「もし、もしも両方選べるとなったら如何なさいますか」

「二重生活などあり得ない。今の私には嘉隆さんとの今しかないのだ」


サレオス、お前は知らないだろう。

誰かを愛しく思う気持ちを。こんなにも温かで穏やかで、幸せな感情を。

魔界には決して存在しない愛という感情を。…知らないだろう?

知ってしまった今、それを捨てて戻るなんて無理な話だ。

ピーっと炊飯器から音が鳴る。ご飯が炊けたのだ。

蓋を開け空気を含ませるようにして混ぜる。

ツヤツヤのふかふかの白い白米だ。やはり日本人は白米だ、と人間でもないのに思ってみた。


「魔王様」


そうサレオスが私の名前を呼ぶが、私の耳はすでに違う音を捉えていた。

カツンカツンという革靴の音。それは今日嘉隆さんが履いて出かけた革靴の音だ。

彼が帰って来た!


「サレオス、消えろ」

「…!ですが!」

「二度は言わない」


香草焼きとポトフに火を入れ直しながら私は言った。

大体嘉隆さんとお前らを比べようというのが馬鹿なのだ。

話にさえならない。

「失礼します」と言ってサレオスは消えうせた。

気配を探るが半径三キロには居ないため、きっと魔界に帰ったのだ。

カツンカツン!足音がアパートに近づくと幾らか足早になった。

きっとこの香草焼きの匂いに気づいたのだ。全く可愛い人。

そして階段を上がりきると冷静を装い歩調が遅くなる。…本当に、可愛い人。


「ルーシー、ただいま」


扉を開けるなり私に抱きしめる嘉隆さんを、私は笑顔で受け止める。

玄関のすぐ横にあるキッチン、というこの構造も私は気に入っているのだ。

理由は言わずもがなである。


「お帰りなさい嘉隆さん。ご飯にしますか?それともお風呂?」

「ルーシーが良いな、というのは置いといて、先にお風呂かなぁ」


抱きつきながら器用に嘉隆さんは靴を脱ぐ。そんな姿さえ愛しい。


「今日はデザートもあるのよ。そっちは手造りじゃないけど」

「本当?気持ちだけで嬉しい。楽しみだ」

「ふふっ」


ぎゅうぎゅうと抱き合っていると、鍋からポトフが吹きこぼれ二人して慌て火を止めた。

二人で苦笑し、また抱き合うことは常だった。

ああ、何て暖かいのだろう。身も心も溶けて消えてしまいそうなほどだ。

魔界では絶対に感じれなかった感情。それをいとも簡単に嘉隆さんは私にくれる。

そしてそれを返そうと思える確かなで強固な感情。

嘉隆さんは私の作った料理を口に運ぶたび、おいしいおいしいと言ってくれる。

最初はうまく作れなかった料理も、今ではレパートリーが増えて様々な料理が作れるようになった。

これもおいしそうに食べてくれる嘉隆さんのおかげだ。


「こ、これ」

「うん、とろけるプリン」

「ルーシー、結婚しないか?」

「もうしてるじゃない」


そしてまたぎゅう。

二つ買ったが、私と嘉隆さんの分ではなく両方とも嘉隆さんのものだ。

私の分はいらない。嘉隆さんと一緒に食べるから。これもまた幸せ。


「なぁルーシー」

「なに?」

「サレオスさん、来たの?」


嘉隆さんはプリンにスプーンを挿しこみ、私の口元へと近づける。

それを私は子供の雛のように口を開け受け入れた。

今度プリンを作ってみようかな。


「うん、来たよ」

「そう…」


悲しい感情が、私に流れ込む。嘉隆さんの感情だ。

嘉隆さんは私が魔王だと知っている。

世界を破壊しようとする私を幾度と止めたのも、嘉隆さんなのだ。

それはもう三年も前になる。


「もう、何も壊さないよ」

「ルー?」

「嘉隆さんの大事なものが、私の大事なものだから」


嘉隆さんの足の間に座り、彼の胴体を抱きしめる。

前までの私は、一人何もない場所を走っている感覚だった。

延々と雑木林を走り抜け、姿形の変わらない木々を横目で見やり、私を邪魔する木はなぎ倒していく。

そんな感じ。そして嘉隆さんと出会って、雑木林の中に花畑があることをやっと気付いたの。

嬉しそうに「そっか」と言った嘉隆さんが愛しくてたまらなくて、私はキスをした。

恥ずかしそうに頬を染めた嘉隆さんは、私を強く抱きしめた。


夜はまだ長い。






ルーシー

魔界の女帝。

三年前に人間を滅ぼそうと現れた所、就活中の嘉隆と出会う。

当時は無表情の無感情。傷付けることをいとわない性格。

次第に感情が芽生え、そのまま嘉隆と共に有ることを望むようになった。

は?世界征服?ムリムリ、だってこれからタイムセールだし!

新婚ほやほやだよ。


藤見嘉隆

内定取り消し49社目の時にルーシーと公園で出会った。

「世界征服?ふざけんな、今までの俺の苦労が水の泡になるだろうが!」

就職活動とはなんなのか、どれほど重大で大変なのか切々と語り、ルーシーの(ただでさえあまり無い)やる気を奪った。

ルーシーの孤独、魔王としての重圧、責任、悲しみなどを知るうちに、一人の女性として少しずつ惹かれていく。

52社目で内定。しかも一番行きたかった会社。ルーシー、お前は魔王じゃない、俺の天使だ!

好物はとろけるぷりん。


サレオス

魔界の偉い人。可哀そうな人。いつも虫扱いだよ。虫は虫でもせめて益虫と認識してほしいよね。



これは相対性理論の「バーモンド・キッス」という曲から生まれた話です。

是非聞いてみてください。

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