トリップ 何もない世界で 2
追々血などの描写が入ると思います。
苦手な方はブラウザバックでお願いします。
13歳という幼い年齢の時、私は知人どころか人間さえいないこの星に落とされた。
知識も何もない、遊ぶことに精を出す普通の少女の私が。
落下時に打った体は痛み、霞む視界に飛び込む赤い色。
ツンと辺りには鉄の匂いが立ちこみ、目前には先ほどまで笑っていた用務員の無残な体があった。
倒壊した学校舎と、それを覆うかのように生い茂る、圧倒的な生命力を誇る樹木。
血に寄せられた獣たちの唸り声と鋭い視線。
人間である自分の弱さとちっぽけな存在に打ちのめされ、それと同時にどこか諦めを抱いた。
悲鳴を上げながら逃げ込んだ教室。
聞こえる何かを食べる音。グチャグチャ、グチャグチャ。
グルル…。壁を一枚隔てた向こう側に、獰猛な獣の笑い声がする。
私の世界は崩壊した。
時間がかかったのだ。生きて行こうと決心するまで、とても長い時間がかかった。
助けなど来ないのだと悟り絶望しながらも、生きるためには今までの自分を捨てるしかないのだと、震える手で槍を握り、威嚇で唸る獣を目前にしてそう思った。
殺すことが恐ろしい。しかし殺されることはもっと恐ろしい。
生きることを諦めたいのに、死ぬ勇気もない。
必然と道は一つになっていく。
私も所詮意地が汚い人間なのだ。
そうと分かったらとことん意地汚く生きてやろうと心に誓った。
人間が居ないこの世界には、秩序もルールもへったくれもありゃしないのだから。
***
目の前の人間たちは、まるで生まれたての雛のように寄り添いあい震えている。
そりゃそうだ。現代で見慣れたうさぎが形相を一瞬に変え、襲いかかって来たのだ。
雪崩のように群れをなし追いかかるその姿は、トラウマになるだろう。
――――私には関係ないけど。
可愛らしい少女の肩を抱くように、ショートカットの少女が寄り添いあっていた。
私を警戒するように、皆が私を睨みつけている。
ああ、何て可笑しいのだろう!!
「ふふ」
「な、何がおかしいんだよ!」
何が、なんて。
「全てよ」
世界も、貴方達も、そして自分自身も。
踵を返し勝手に歩き出す私に制止の声がかかる。しかし聞こえない振りをして私は歩いた。
聡い者なら薄々気づいているだろう。
此処がどういう場所で、私がどんな人間で、自分たちがどんな状況に居るのか。
「行こう」
「お、おい。てっちん!」
教師の篠崎が真っ先に腰を上げ、私の後を追い出す。
眉根を寄せどこか非難めいた口調で声を上げた雅紀が、「何だよっ」と悪態をついた。
「宮越、立つんだ」
「立てないよ」
秀則はいち早く状況を察したのか、篠崎が歩き出すと同時に腰を上げ花音に声をかける。
花音は可愛らしく唇をすぼめ、「腰が抜けちゃった…」と弱々しく声を出した。
「花音、頑張って。わたしが肩貸すから」
「加奈ちゃん…。うん、ごめんね」
「綺麗な友情ごっこ」
しん、と辺りは静まり返った。
「いつまでもつかしらね?」
「んだとテメー!」
「止めろ山城!」
振り上げたこぶしは制止の声空しく、私に襲いかかる。
それは少しもかする事無く、虚しい空振りの音をさせ宙を舞った。
皆は驚く。私が飛び上がり数メートル上の木の枝に着地したからだ。
上から見下ろす彼等は、非常に滑稽に見えた。
「自分の事は自分で。それが出来ないなら死になさい」
「何を言ってんだ!」
「生き地獄を味わいたいの?」
自分の事を守れない者は、食料を取ることさえできない。
いつ襲われるか不安と恐怖で泣き叫び、いつか帰れると現代を夢見て現をさ迷う。
簡単に想像できる哀れな末路。
肩を借りやっと立つことのできる哀れな小鹿に視線を向けると、その愛らしい瞳を涙で潤ませフルフルと震えた。
「―――…」
ふっと視線を逸らされた花音は、どこか衝撃を受けた表情をした。
忠告をされるどころか無視されたのだ。
忠告する義理など無い。言うことも思うことも、たった一つ。
――――貴女は今日中にでも、死にそうね。
「加奈ちゃん。私…、立てる」
「か、花音?」
「大丈夫」と言うと、加奈の腕を離し震える膝を叱咤しながら立ち上がった。
…多少の根性はあるようだ。
木から飛び降り再び歩き出す。何も言わない私の後ろを、五人が後を追う。
日が暮れはじめた。もうすぐで獣の闇が襲い来る。
「ハァハァ。お、おい。何処まで歩くんだよ!」
雅紀が弱音を吐くが、きっと誰もが思ったことだろう。
かれこれ一時間ほど歩いていた。
私は返事をしない。何故ならば向こうが勝手に付いて来たからだ。
本来ならばあと少しで校舎にたどり着く。
しかし後ろを追う彼等が煩わしく思えた。
助けられて当然だと思っている。知識を分けてもらえて当たり前だと思っている。
分かち合うことを当然だと思っているその考えが癪に障った。
一人戦ってきたこの七年間、馬鹿みたいじゃないか。
一人死にかけながらも知識を得た自分が、愚かではないか。
涙と血を流しながら得たものを、さも同然に得られると思っている、こいつらは…。
怒りがふつふつとわき上がる。
「下らない」獣の唸り声の様な低い声が、私の喉から洩れた。
私は振り返り素早く槍を握り直すと、雅紀の喉に突きつけた。
ごくりと喉仏が上下に揺れる。
「ここを生きるための三カ条を教えてあげるわ」
「槍を下ろしてください!」
「一つ、常に自分の事は自分で行いなさい」
篠崎の忠告を聞かず、喉に突きつけたまま私は言った。
槍を下ろせなんて、他人に言われてどうするのよ。
「二つ、常識を捨てなさい」
現代の常識なんて捨ててしまいなさい。
空いた知識の隙間に、この星のことを仕舞っておきなさい。
隙間が大きければ大きいほど、生きていける。
小さい者は、現代を夢見て精神が死んでしまうでしょうよ。
辺りに視線を向けた秀則は目を見開いた。
ギラつく獣の目が無数に光っていたからだ。
頭上の木々には見たことのないような鳥が何羽も止まり、秀則達に「ギャァ!」と声を荒げる。
その中に平然と立つ目の前の女性を凝視した。
「三つ。常識が無いここには、秩序もない」
「…っ!」
「意味、分かる?」
殺しても罰する者など居ないのよ。
静かに喉元から槍を引くと、ドサッと雅紀は崩れ落ちた。
「この世界に落とされた哀れな貴方達に、激励の言葉をあげましょう」
皆が呆然としたまま私に視線を移した。
「貴方達が期待している“助け”は来ない。絶対に」
絶望の顔に変わりゆく表情。
震え泣き出す者や、信じられず暴言を吐く者が居る。
しかし冷静に私の話を聞く者も居た。
「此処では己が全てよ。生きるも死ぬも、殺すも生かすもね」
ザザッと風が吹き、髪が乱れる。そして現れる校舎。
色濃いツタが校舎中に張り巡らされている。
校舎を突き破り天高くそびえる木々は、長い年月を感じさせた。
現代では有り触れ見慣れたそれが、今は目の前で無様な姿をさらしている。
見たくもない“現実”に悲鳴が上がった。
「助けを請うものが居たら私に言いなさい。殺してあげる」
この世界での救いは死だと思う私は、哀れなのだろうか。
無数の傷がジクジクと痛んだ気がした。
死にかけて狂いかけて、泣きながら血を流し吐きながら得たものを、お前たちは笑って奪っていく。
どれ程願っただろう、仲間を連れて。
今はただ、憎しみしか湧かない。
***
思った以上にヒロインが冷たい子になってしまいました。