トリップ帰還後、待ち続けた老女の語り話
タイトル未定
大幅に加筆修正しました。
『ユキ、お前は何が一番好きなんだ?』
身が凍えるほどの寒空の下、貴方は白い息を吐きながらわたしを見つめ優しく問いかけた。
日本人であるわたしと同じ色に見えがちな黒い髪は、暖かな日だまりの下だとどこか青みがかり、つい見惚れてしまう。
扇方に広がる長い睫毛も、時々遠くを見つめる鋭い視線も、国の頂点に立つ身でありながら、どこか子供じみた性格も何もかも。
貴方の持つものすべてが大好きで、それを一つにして出来た貴方という存在を何よりも愛しているのだ。
しかし言葉にしてしまうと、それがとても簡単で軽いものにきこえてしまいそうで、わたしは何も言えずにいた。
彼はくすりと笑うとわたしの手を握り、『戻ろう。温かいお茶でも飲もうじゃないか』と言った。
フワリと香る彼の香り。まるでその香りは彼を強く主張するように辺りに漂った。
『あ、雪が降って来た…』
貴方はわたしから視線を外し、どんよりとした空を見、そこから生まれ落ちてきた小さな白い雪を嬉しそうに眺めた。
寒いな、うんそうだね、雪か…、ふふ雪だね、白いな、あ…ほら見て結晶、ああ…綺麗だ。
手を握る彼は小さく呟く。
『うん…、キレイ』
厚手のローブに落ちた雪は、美しい結晶をわたしに見せた。不思議。どうしてこんなに綺麗な結晶になるんだろう?
そんな問いかけに貴方は無言のままで、貴方にも分からないことがあるのかな、なんて、少しだけ嬉しくなって俯いていた顔をわたしは上げた。
『…』
目があった貴方はわたしが想像していた表情よりも酷く真剣げで、何を考えているのか聞きたくなった。
けれどわたしは聞けないまま、貴方の口が開かれることを待った。
貴方は大きな手で私の頬を包んだ。
『冷たい』
『ユキは温かい』
貴方の表情が緩む時、何だか私は貴方の特別になれた気がしてしまう。
政務をしている時に私を見て、笑ってくれる貴方。
鍛錬をしているときに私を見て、手を振ってくれる貴方。
特別だと思ってしまう。貴方がわたしを見てくれるたび、わたしはちゃんと此処に居るんだと実感できた。
貴方の顔が落ちる。
『…冷たい…』
貴方の唇は冷たくて、でも心が震えるほど優しくて甘やかだった。
貴方はわたしを抱きしめる。広い胸で、まるで一つになってしまうんじゃないかって思ってしまうくらい、力強く。
『ユキ』
貴方が一番好きでした。貴方を一番愛していました。
泣くほどの幸せを、貴方は教えてくれた。
――――けれど。
「――――ちゃん、おばあちゃん。しっかりして!」
わたしの皺だらけになった手を、ギュッと握る孫娘。
大きな目を涙で濡らせながら、わたしの名前を延々と呼び続ける。
――――大丈夫よ。ああ、そんなに泣いちゃダメ。お目々が零れ落ちてしまうわ…。
言いたいのに口からは苦しげな息しか吐き出されず、孫娘の涙を拭いたいのに手が動かない。
「――――母さん」
息子がわたしを呼んだ。穏やかな、けれどどこか悲しげな声音で。
まるで他人の名前を呼ぶかのように、しかし迷子の子供が母を呼ぶような、そんな寂しげな声で。
そんな思いをさせていたのは紛れもないわたし。良くないと気づいていたのに、息子を放って置いてしまった。
伸ばされた手は握るが、抱きしめたりはしない。微笑まれれば微笑み返すが、優しい言葉を掛けたりしない。
息子は泣いていた。小さな肩を震わせて、わたしが常に傍にいるにもかかわらず、置いてかれてしまった子供のように心で常に泣いていた。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。
息子を見るたび貴方を思い出したの。息子の父親が貴方でないことを嘆き悲しみ、時には怒りさえぶつけた。
わたしの心に誰かがすでに居ることを察していた幼い息子は、それでも…と、わたしを求め愛し慕ってくれた。
だからわたしは…、貴方以上に息子を愛することを心に決めたの。
貴方を包んでいた暖かな日だまりのような、そんな家族がわたしにも出来ました。
貴方が一番好きでした。貴方を一番愛していました。
けれど…、貴方よりも大事で、かけがえのない家族が出来ました。
たった一人しかいない息子に視線を合わすと、息子は小さく肩を揺らした。
しかし視線は外れない。最期になるであろうわたしの姿を、脳裏に焼き付けているようだった。
「母さん」
心を寄せたのは貴方だけ。
愛しているのはわたしの息子。
一番大事なのはわたしの夫。
一番かけがえのないものはわたしの家族。
全てが大切で、代わりなんて有り得ない、たった一つの宝物。
宝物が出来た瞬間、わたしは誓ったの。
泣かないって、決めたのよ…。
「雪子さん、もう良い。良いから…」
夫である彼はわたしを許した。何を許したの?許すようなことなんて、何もない。
「雪子さんと居れたことが僕の幸せ。そんな貴女と家族を持てた、それだけで僕は…。だから」
涙が…、頬を伝った。
貴方は必ず迎えに来ると言った。約束だと、絶対だと、そう言った。
一ヶ月待った。来ない貴方を笑って許せた。
一年待った。来ない貴方を苦笑して許せた。
三年待った。来ない貴方に不安が募って、泣く日々が続いた。
五年経った。あと一年、あと一年…。そう繰り返す日々の中、彼が現れたの。
『雪子さんの心に誰かが居ることは知っている。忘れられない愛する人が。それでも僕は、雪子さんと一緒に居たい』
『……』
優しい言葉。沈む私をすくい上げ導いてくれる、まるで闇夜に浮かぶ月のような人。
首を横に振る私に、構わないと言ってくれた。
頷かない私に、それでも良いと言ってくれた。
欲しい言葉をずっとくれる彼の手を、わたしは取った。
貴方と離れて、すでに十年目を迎えていた。
色鮮やかな日々はすっかり色が抜け落ち、まるでセピア色の写真のようになってしまった。
しかし不思議なもので、そのセピア色の写真が愛おしく思う瞬間があるのだ。
ハッと息をのむような衝撃。それがいくつも重なり、次第に色づき、平凡な幸せに胸をときめかせ、時に涙線を緩くさせた。
その時にはもう泣かないと決めていたから、わたしはこっそりエプロンの裾で涙を拭う。
頬に伝わなきゃ平気、なんて自分だけのルールを作ったりして。
夫が仕事から帰って、疲れているのに抱きしめてくれるのが堪らなく好きだった。
わたしの作った料理を美味しいと笑って食べる息子が堪らなく愛おしかった。
世界は色づき花やいだ。
愛する息子が愛する女性を連れてきた。何も言うまい。息子が幸せならそれで良い。
とても穏やかで優しい女性だった。この人ならずっといい関係を作っていける。そう確信した。
孫が出来たと二人から告げられた。この上ない幸せだった。こうやって脈々と血は受け継がれていく。
貴方の血は?誰が受け継ぐの?貴方の顔は、もう朧気。
孫が生まれた。女の子だった。お母さんの横で赤い顔のまま、小さな寝息をたて眠っていた。
飲み物を買いに行く振りをして、こっそり泣いた。今日だけは特別。今日だけは例外。そんな自分ルールをまた作って。
成長すればするほど美しくなる孫娘。
わたしに似ないまでもない、なんて夫が聞いたら笑うでしょうよ。
けれど孫娘が大きくになるにつれて、嬉しさの半面、何とも言えない複雑な心境だった。
あと少しで、わたしが“向こう”に行った年齢になる。
“向こう”に行ったのは単なる偶然で、血筋がどうとか、そういうわけでもない。
孫娘が向こうに行く確立だってゼロに等しい。
けれど不安で怖くて、この幸せが崩れてしまうことが恐ろしかった。
『おばあちゃん、見てて!』
広い公園で孫娘が小さな手で投げた紙飛行機。風に乗って、飛んでいく。
あの紙飛行機にわたしの思いを乗せて、貴方の元まで飛んでいけばいい。
元気ですか?そちらはお変わりありませんでしょうか?
雪を見るたび貴方を思い出します。
今何をしていますか?わたしは孫娘を連れお散歩に出ていました。
貴方に話した桜の木、今では満開ですよ。
今日は少し風が強いようで、花弁が舞い、貴方が見たいと言った桜吹雪になっています。
とても美しいこの光景を、貴方に見せてあげたい―――――。
青い空に吸い込まれていく白い紙飛行機。
貴方に届けばいい。わたしの思い。
この上ない幸せに居るわたしの思い、貴方に伝わればいい。
「――――おばあちゃん、ほら、見て。紙飛行機!ずーっと前に飛ばしたの、覚えてる?」
覚えているよ。たった今、思い出してた。
なんだか可笑しくて、小さく笑った。
それを見た孫娘はどこかホッとしたように笑顔を浮かべる。
「あのね、すっごく飛ぶ紙飛行機作ったの!すっごいよ、びっくりするよ」
孫娘は窓辺に近寄った。
窓から見えるのは、あの日と同じ、満開の桜。
「おばあちゃん、ちゃんと見ててよ!」
手から離れる紙飛行機。風に乗って、どこまでもどこまでも、飛んでいく。
青い空、それを見るたび思い出す貴方の髪の色。
それに飲まれていく白い紙飛行機は圧倒的に小さくて、それが当時のわたしに思えた。
貴方にしてみれば、わたしなんてきっと守るべきものの欠片でしかなかったのでしょう?
貴方の横に居る時、それが聞きたくて仕方がなかったの。
二人思いの大きさ、どれほどの違いがあるのか知るのが恐ろしかった。
でももう良い。どこまでも飛んでいく紙飛行機に乗せる思いは一つだけ。
―――――もう一度、貴方に会いたい。
一瞬で良い。思い出せなくなった貴方の顔を、もう一度思い出したい。
出来るなら貴方の本心を聞きたいところだけれど…、我慢するわ。
だから会いに来てよ。たった一瞬、横顔だけでも構わないから。
なんなら桜を見に来てよ。桜を見る貴方を後ろから、こっそりと見るから。
お願いよ、ねぇ、アシュカン。
「ほら…、凄く、飛んだでしょ…?」
ええ、ええ。
とても良く飛んだ。
きっとアシュカンの元に届いたに違いないわ。
視界が段々とぼやけていく。
ぼやける視界の中見える桜吹雪は、あの日貴方と見た雪のように舞って。
まるで眠りに付くような、穏やかな意識の遠のき。
「―――――」
皆がわたしを呼んでいる。
ありがとう、こんなわたしを愛してくれて。
わたしもあなた達を愛しているわ。
かけがえのない宝物たち、どうかお願い。輝きはそのままにあり続けて。
フワリとどこからか漂う、いつの日かかいだ懐かしい香りに包まれながら、わたしは一人、切に願った。
雪子
16歳のころに異世界へトリップした。
三年ほど向こうで過ごしアシュカンと愛を育むものの、何らかの理由で否応なく還された。
待ち続けて十年、アシュカンは現れないまま26歳になり、現代で結婚する。
(戻った現代では時間経過なし)
雪子の孫娘
雪子に似た少女。年齢は15歳ほど。
おばちゃん大好きっ子。
雪子の息子
幼いころから雪子の中のアシュカンの存在に悩まされてきた。
愛してほしい、しかし母には幸せになってほしい。
そんな複雑な感情を抱きながらも、雪子最期の病院にて、穏やかな笑顔で天国へ逝った母を見て、母は幸せだったのだと気づく。
夫
影を背負う当時の雪子に惚れた男性。
アシュカンを想い続ける雪子に、それでも良いからと想いを告げ結婚した。
年老いた生活の中、雪子の笑顔を見ながらお茶を飲むのが極上の幸せだった。
アシュカン
向こうの世界の王様。
黒い髪の毛と紺青の瞳。
雪子を心から愛していた。
***
以下あとがき
自分の中の妄想では、孫娘とアシュカンの孫息子が出会い恋に落ちる、なんてしていましたが、ここで終わらせた方が良いなーと思い、ここまでにしました。
アシュカンが何故雪子を迎えに行かなかったのか、それは不明ですが、なんとなく思うことは、アシュカンが嫁と子供を大事にしなさそうってことです。
大事にされなかったまま子供は大きくなり、アシュカンの隠居後生まれた孫息子は、父からアシュカンの悪口(と雪子の存在)を聞いていて、悪印象を胸に抱いていたが…とか。
あとアシュカンから貰ったペンダント…とか。
そういう蛇足を一切切り捨ててこのお話が生まれました。
その為か少し短い気もしますが…。
お気になさらないでください!
お読みいただきありがとうございました。
バラクーダでした。