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殿下。あなたがほんとうに愛しているのは、私ではなく私の双子の姉ということで間違いありませんね?

「わたしたちのことをいつ公表してくれるのかしら?」

「近いうち、だよ」

「いつも同じことを言うじゃない。これ以上、コソコソとするのはイヤよ。ガマンできないわ」

「わかっている。いまはまだタイミングが悪い。もう少し待ってくれ。なっ? ほら、こんなにも愛しているんだから。おれの為に待ってくれ」


 王宮の庭園には素敵な東屋がある。


 そこで一組の男女が熱い口づけを交わしている。


 口づけだけではない。


 美貌の青年の手が美貌のレディの頬から首へとなぞり、ドレスからこぼれ落ちそうな豊満な胸へとおりていく。


「こんなところでイヤよ」

「いいじゃないか。人払いをしているから、だれも来やしない。なにせここは、王宮の奥の庭園だからな。王族だってめったに来やしない」

「イヤらしい手ね」


 青年の手は、彼女の豊満な胸を揉んでいるらしい。


「ハア……」


 小鳥の囀りとともに、嬌声と官能的な息遣いが流れてくる。


「ガマン出来そうにないよ」

「イヤ……、やめて、やめて……よ」

「いいだろう?」

「イヤ……」


 レディを抱え上げ、つくり付けのテーブルに軽々とのせる青年。


 書物で読むのでさえ恥ずかしい光景。


 これ以上、繰り広げられている光景に耐えられそうにない。だから、身を潜めていたバラのアーチから身を翻した。


 これ以上、見ていられない。いろいろな意味で。


 わたしの婚約者のクレイグ・バークレイ王子と双子の姉のマリーの情熱的な浮気現場など、これ以上見ていたくない。



 スタスタと歩きながら、吐き気をこらえるのに必死である。


 見るんじゃなかった。


 東屋に行くんじゃなかった。


 後悔に襲われる。


 婚約者と姉が不義を重ねていることは知っていた。どちらも気が多い。というか、遊びすぎている。


 ふたりとも婚約者がいるにもかかわらず、あちこちで遊んでいる。


 王子と公爵令嬢。どちらもだれかに知られないよう、配慮はしている。気を付けてはいる。


 この世界は怖ろしい。噂ひとつでだれかが死んだり、名誉を傷つけられたりする。


 噂というのは、そういうことが簡単に出来てしまう。


 怖ろしくてならない。


 それはともかく、ふたりのことを知っていてなにも出来ない。


 それこそ、周囲に訴えることさえ。


 ふたりともに、その身を破滅させかねない秘密がある。


 わたしは、その秘密を公にする勇気もない。



「ルミ、待って、待ってくれないか?」


 ドタドタという音と、息遣いの荒い声がきこえてくることに気がついた。


「よかった。追いついた」


 コロコロした、という形容がピッタリな体格の青年が駆けてくる。


「ウワッ!」


 が、石畳につまずき転んでしまった。


(まぁっ、大変)


 彼に駆け寄り、起き上がるのを手伝った。


「すまない。ほんとどんくさいよな」


 照れ笑いを浮かべるその白くてぷっくりした顔には、ハッキリくっきりとえくぼが刻まれている。


 彼は、「白豚王子」と呼ばれている。


 わたしの婚約者クレイグの弟ローレンス。クレイグとローレンスは、わたしたち姉妹と同じ双子である。


 わたしが双子の妹であるのと同様、彼はわたしの婚約者の双子の弟なのである。


 そして、姉の婚約者である。



 一刻もはやく東屋から離れたかった。


 転んだ拍子に手のひらを擦りむいたローレンスの傷の手当てをしたかったけれど、東屋から遠ざかりたい。


 わたしの焦燥が伝わったのか、ローレンスが宮殿内のティールームのひとつに案内してくれた。


 ローレンスの傷の手当てに、ほんとうは消毒液を使いたい。だけど、わたしでは宮殿の人たちは相手にしてくれない。お水のポットがあったので、それでハンカチを濡らして彼の手のひらの傷口をきれいに拭いた。その傷口を布で巻きたいけれどハンカチ以外に布はない。周囲を見まわすと、ナプキンやカーテンはあるけれど、まさか宮殿内のものを勝手に取ったり破いたりするわけにはいかない。


 自分のドレスのウエスト部分に幅広のリボンがついている。気味悪がられるのを承知で、それをちぎり取って彼の手のひらに巻いた。


 ドレスはお母様の形見で、王宮に通う為に着古してしまっている。


 お母様の形見にこんなことをしてしまったけれど、ローレンスのケガの為だからお母様も許してくれるはず。


「ルミ、ありがとう。ほんとうはきみのことが気になったから追いかけたんだが……」


 彼は、ぷくぷくの顔にまたえくぼを刻んだ。


「ドレス、すまない」


 それから、悲しそうな表情になった。


 彼の笑顔も悲しい表情も心からのものである。わたしは、そのことをひしひしと感じる。


 婚約者のクレイグや他の多くの人は、うわべだけのものである。


 多くの人たちは、うわべと心の中はまったく違う。


 それはともかく、リボンのことを気にしているローレンスに首を左右に振ってみせておいた。


「きみも気がついていたんだな。あのふたりのことだが」


 ティールームなので、当然テーブルや椅子がある。


 典型的な丸いテーブルをはさんで向かい合って座ると、彼がそう切り出した。


「ほら、おれってこんなだろう? 自己満足をする為にときどき奥の庭園を歩きまわっているんだ」


 彼は、自分のぷっくりしている頬を両手ではさんだ。


 その所作が可愛らしく、つい笑ってしまった。


 ひさしぶりに笑った気がする。


「きみの笑顔が見ることが出来てよかった」


 彼もえくぼを浮かべる。


「東屋の近くできみを見かけたんだ。きみが急に足早に歩き去ったから、慌てて追いかけた。すると、頭は焦っているのに足がもたもたしてしまう。でっ、転んだわけ」


 彼は、リボンが巻きついている手を上げた。


「結局、反対にきみに迷惑をかけてしまった」


 もう一度「フルフル」と音がするほど首を横に振る。


(というか、彼もクレイグとお姉様のことに気がついているのね。まぁ、気がついていてもおかしくはないけど)


 姉のローレンスへの態度は、見ているわたしでさえムカつく。


 クレイグのわたしへの態度もそうである。彼は、わたしをいっさい顧みないから。が、わたし自身のことは諦めているので気にならない。


 しかし、姉のローレンスへの態度にはムカついてしまう。


 姉が彼にそんなことをする理由?


 わかりきっている。


 わたしたち姉妹とローレンスとクレイグの兄弟は、王族と公爵家という関係はいうまでもなく、同じ双子どうしで都合がよかった。だから、子どもの頃に婚約が決まった。


 子どもの頃、ローレンスは可愛かった。ほんとうに可愛かった。クレイグがわたしを選び、必然的に姉の相手がローレンスになったとき、姉はおおよろこびした。


 わたしがよろこんだか?


 わたしは、クレイグの本性に気づいていた。だから、複雑だった。


 それはともかく、その後ローレンスは太り始めた。太るにつれ、周囲の彼への態度がひどくなっていった。


 そのひどさの究極が姉である。


 姉は、その頃から火遊びするようになった。


 宮殿でのあらゆる勉強をさぼり、どこかの子息と遊んだ。そして、さっさとクレイグを誘惑してモノにしてしまった。


 彼女は、男性が大好きなだけではない。あらゆる欲にまみれている。


 王太子妃や王妃になり、思うままにしたいのだ。


 一方、クレイグも姉とかわりはない。


 手当たり次第にレディを漁り、遊んでいる。もちろん、相手の将来のことなど考えてはいない。つまり、しばらくの間の関係。


 レディとの火遊びのことだけではない。彼は、ひどく暴力的である。


 彼は、抵抗しない相手に暴力をふるう。しかも巧妙である。


 わたしの腕や足や体には、彼に殴られたり蹴られたりぶたれたりした痣がいくつも残っている。痣だけでなく、傷痕も残っている。


 姉もいつ同様の目に遭うかわからない。


 それを期待している自分は、きっと悪い性格なのに違いない。


 もっとも、姉にそのことを教えたところできき入れてはくれない。それどころか、きく耳を持たない。というか、伝えることが出来ない。


 それ以上に、姉もまたわたしに暴力を振るうことがある。


 わたしを支配下に置いている。



「ルミ、ほんとうにすまない。ああ、ケガの手当てのことだけではない」


 ローレンスは、丸テーブル上に身をのりだした。


 ぷっくりした顔には、いまはえくぼはない。真剣な表情になっている。

 

 こちらをじっと見つめるその瞳が、夏の空の色と同じであることに気がついた。


(こんなにきれいな蒼色の瞳、見たことがないわ)


 それ以前に、だれかの顔をこんなにジッと見つめたり、見つめられたりということはなかった。


 ふと先程の東屋での光景を思い出した。


 クレイグと姉が見つめ合い、熱い口づけを交わしていた。


 口づけするとき、彼らはどうしているのだろう。ずっと見つめ合っているのだろうか。


(書物だと、ヒロインはたいてい瞼を閉じているけれど……)


 そこで急に恥ずかしくなった。


(なんてはしたないのかしら)


 それから、違う意味でも恥ずかしくなった。


(クレイグは、口づけどころか手を握ってくれさえしなかった)


 まだ婚約期間中だから、はしたないことは出来ない。そもそもそんなことをしたいとも思わない。


 とはいえ、たとえ婚約期間中であってもそういう雰囲気になることはあるはず。が、わたしたちの間には、雰囲気どころかふたりきりになる機会もあまりなかった。


 クレイグは、公式の場で仕方なくわたしを同道していたにすぎない。その際、わたしの手を取ることはあっても、ほんとうの意味で握ったり触ったりということはなかった。


 わたしの手におざなりに触れ、パッとはなしてしまう。


 わたしに魅力がないのはわかっている。


 わかってはいるけれど……。

 

「ルミ、大丈夫かい?」


 ローレンスに問われ、我に返った。


 慌てて首を縦に振り、大丈夫だと示す。


「おれも気がついていた。兄上たちのことはね。おれたちは、おたがいに……」


 彼は、そこで言葉を止めた。


 これ以上、言葉を続ける必要はない。


 とでもいうように。


「もっとも、彼らの関係もそう長くは続かない」


 彼は、見つめ合ったままそう断言した。


(もしかして、彼もクレイグとお姉様の秘密を知っているの?)


 なぜかそう直感した。


「ああ、そうだよ」


 そのとき、ローレンスが肯定した。


 わたしの心の声がきこえたかのように。あるいは、わたしが実際に声に出して問いかけたかのように。


「きこえるんだ。きみの心の声が、ね。きみの心を勝手にのぞいてすまない。もちろん、これはきみの声だけではない。他人の心の声をきくことが出来ると言った方がいいかな」


 ローレンスは、苦笑しながら続けた。


「心の声がきこえすぎてね。たいていはイヤなことばかりだ。この能力に目覚めてからなんだ。太り始めたのは。イヤでイヤでたまらない。どうしてこんな力を持っているんだ? 目覚めてしまったんだ? 自分自身と他人にたいして絶望した。それでついつい食べてしまう。でっ、こうなったわけだ」


 彼は、もう一度ぷくぷくの頬を両手で叩いた。


(なんて悲しいことなの。なんてつらいことなのかしら)


 人の心の声、つまり人の本音や本性を知ることほどつらいことはない。


 書物の中ではそれをいいように利用しているけれど、実際は違うはず。


 わたしも含め、たいていの人の心の中は醜かったり汚かったりする。悲しみや憎しみや嫉妬や猜疑や蔑みといった負の感情に満ちている。


 それを知ることほど苦しいことはない。


「ルミ。きみはやさしいな。大丈夫だよ。あいかわらず食べるのはやめられないけれど、いまでは慣れたし、心を読まないようにも出来るから。それに、便利なこともある。書物のヒーローやヒロインのようにね。たとえば、きみともこうして意思の疎通がスムーズだ。だから、よければ会話をしないか? きみと話がしたいんだ。いい機会だからね」


 その申し出には心から驚かされた。


 彼の能力はともかく、こんなわたしと会話を交わしたいだなんて。


 彼は、けっしていい加減なことを言っているわけではない。社交辞令だとかわたしを利用しようだとか、とにかく悪い意味で言っているわけでもない。


 彼の澄み渡った真っ蒼な空と同じ色の瞳は、彼の本心を語っている。


『同類相哀れむ』


 遠い東の大陸の書物の中に書かれていた言葉だったかしら?


 そういうわけではないけれど、ローレンスには親近感を覚える。


 それに、わたしもだれかと会話を交わしたい。それがたとえ口から出す言葉ではなく心の声だとしても、会話にかわりはない。


 子どもの頃に話せなくなったわたしと会話を交わしたいだなんて、こんなこと初めてである。


 ローレンスの申し出を断ることなんて、ぜったいにしたくない。


 だからいつものようにジェスチャーではなく、心の中で返事をした。


『もちろんよ』


 そのように。

 

「よかった。じつは、ずっときみと話をしたいと思っていたんだ。で、その機会を狙っていた。どうかな? あのふたりにギャフンといわせる、というのは? あのふたりの秘密を利用してね」


 ローレンスは、声を潜めてそう言った。


 それから、彼はニヤリと笑った。


 彼のぷくぷくの顔には似合わない意地悪な笑み。


 あまりにも似合わなすぎて、また笑ってしまった。


『ごめんなさい。あなたにいまのその笑顔はちょっと似合わないかも。あなたには、わたしを心から笑わせてくれるときの笑顔の方がずっとずっと似合っているし素敵だわ』


 心の中で話しかけると、彼はいつもの笑顔になった。


「傷つくな。カッコいい笑みにしたつもりだったのに」


 すねた言い方がまた可愛らしい。


 ふたりで同時に笑った。


「ルミ、失礼を承知でお願いしたいんだけど……。腕に触れてもいい? ああ、もちろん変なことをするつもりじゃない」


 ひとしきり笑った後、彼は笑いをおさめて真剣な表情で尋ねてきた。


 彼の質問の意図は、すぐにわかった。


 それなら、腕に触れてもらうまでもない。


 自分から袖をまくり、腕をあらわにした。


「なんてひどいことを……。いますぐ走っていってあのふたりを殴り飛ばしてやりたい」


 テーブル上に置かれた彼の拳は、小刻みに震えている。


「いや。そうと気がついた時点で止めるべきだった。ルミ、すまない。おれに勇気がなかったばかりに、きみにつらい思いや悲しい思いをさせてしまった。もっとはやくに実行に移すべきだったのに……」


 絞り出すような彼の声は、苦痛で震えていた。


 手を伸ばすと、彼の拳にそれを添えていた。


 自分でも驚いてしまった。


 クレイグからの虐待で、男性が怖くなっている。滅多に接することのない父でさえ怖い。それなのに、ローレンスとはふつうに接することが出来るし、ふたりきりになれたり、触れることまで出来る。


 驚きの連続である。


『この痣や傷痕は、体にもあるの。だけど、それらはまだ彼がわたしをかまっていた頃のことよ。数年前からは、暴力をふるわれるどころか近づきさえしないから。わたしの顔も忘れているかもしれないわね』


 そう。痣や傷痕のほとんどは、クレイグがまだわたしとふたりきりで会っていたときのもの。それが暴力をふるう為だけであったとしても、すくなくともまだわたしという存在に関心があったときのもの。


『クレイグには会えないから王宮に来ても仕方がないけれど、一応婚約者としての責務は果たさないといけないから。ローレンス、大丈夫よ。いざとなったら、わたしを利用して。この痣や傷痕をさらしてでも、クレイグと姉にギャフンと言わせましょう。それから、あなたはなにも気にする必要はない。あなたのいまのその気持ちで、わたしがどれだけ救われているか』

「ありがとう、ルミ。ほんとうにありがとう」


 彼のぷくぷくの両手がわたしの手を握り、包み込んだ。


 それは、とてもあたたかくてやさしい手だった。



 それからしばらくの間、王宮に通いはしたけれどローレンスと会った。


 もちろん密会とか、ましてや奥の庭園の東屋で情事を、というわけではない。


 ローレンスの機転で、彼が研究している植物について教えてもらうということにし、王宮内にある王立の図書館で会った。王都公園内の国立図書館ほど人は多くはないものの、それでも学者や専門分野の研究者たちが書物や資料を求めてやって来る。


 ローレンスとのひとときは、穏やかでやさしい。とくになにかあるわけではない。それこそ、例の「ギャフンと言わせる」ことについて話すこともない。


 本を読む為のテーブル席に向かい合わせで座り、ただ静かにしているだけである。そもそも、図書館はお喋りの場ではない。それに、わたし自身お喋りというか、会話を交わすことに慣れていないこともある。


 お母様を喪ったショックで声が出なくなって以降、だれかと会話を交わすことがなくなった。そんなわたしが声を出さずに心の中で喋るとはいえ、急にベラベラと喋れるわけはない。


 それでも、ローレンスと会う回数が増すごとにじょじょに慣れていった。


 彼と会話を交わすことに、である。


 彼と会話を交わすごとに、彼がやさしく聡明であることを実感する。


 彼は、噂通りの愚鈍な「白豚王子」ではない。それを演じているのだと確信した。


 年に一度の国王主催のパーティーまであと三日に迫った日、いつものように彼と図書館で会った。


「ルミ。三日後のパーティーで実行に移そうと思っている。だから、きみも心の準備をしていて欲しい」


 そのように告げられた。


『わたしは大丈夫よ。どうかムリや危険なことはしないでね』


 そう答えるしかない。


「わかっている」


 彼は、いつものようにわたしの黒色の瞳を見つめしっかり頷いた。


 そうして、パーティーの日がやってきた。


 出席はしたけれど、エスコートはしてもらえなかった。


 会場である宮殿の大広間には、婚約者であるクレイグとわたしは別々に入った。


 どれだけ惨めだったことか。


 クレイグは、わざと遅れてやってきた。


 そして、ローレンスもまたひとりで開始前にやってきた。


 彼の婚約者である姉は、パーティーが始まる大分と前に王宮に到着したはずにもかかわらず、遅れてやってきたのだ。


 クレイグといっしょに。彼にエスコートされて。


(ああ、なるほど。東屋でお姉様がなにかをねだっていたのは、ふたりの婚約のことだったのね。それを今日行うのね)


 ふたりが仲睦まじく登場したのを見、はっきりと確信した。


 書物に出てくる場面と同じである。


『ルミは、おれの婚約者としては不適格だ。そして、わが弟ローレンスは、このマリーを理不尽にも貶めている。よって、それぞれの婚約は破棄。おれとマリーの婚約を発表する』


 とかなんとか宣言するのだ。


 だれもが信じない。ここに集まった人たちで、そのようなことを信じる人はいない。それでも、クレイグは第一王子である。その彼の言うことに異論を唱えられる人はいない。


 そのはずである。


(もしくは、ローレンスとわたしが悪いことをしたとでっちあげ、冤罪劇を演じるか。その方がよりスマートかもしれないわね)


 そこまで推測し、ハッとした。


(だったら、もしかしてわたしは追放? 書物の中では、ヒロインはたいていそうなっている。追放とか投獄とか、最悪断頭台行きとか……? まぁ、大変)


 妄想が止まらない。


 そのとき、国王と王妃登場の触れがあった。


 宮廷音楽団の音楽が止み、大広間内がシンと静まり返る。


 国王と王妃が厳かな感じでやって来て、正面の専用の大きな椅子に着席する。


 国王が手を上げると、パーティーが再開する。


 いつもだったらその手順である。


 国王が手を上げた。


 そのタイミングで、宮廷音楽団の指揮者が指揮棒を振り上げた。


「みなの者。せっかくのパーティーの夜だが、この場を借りて発表がある」


 が、いつもと違った。


 国王から大切な発表があるらしい。


 指揮者の指揮棒が下がり、パーティーの参加者たちは国王に注目する。


「発表というのは他でもない。王子のことだ。それから、王子の婚約者のことだ」


 シンと静まり、緊張が漂う中、国王はそう言った。


 わたしの心臓が飛び跳ねたことはいうまでもない。


「第一王子クレイグ、数々の罪により即刻廃位の上斬首。それから、第二王子ローレンスの婚約者であるマリー・オースティン。こちらも数々の罪により、このアンブラー王国より追放する。あぁマリーは、すでにオースティン公爵家から絶縁されているが、オースティン公爵は内務大臣を解任、当主の座を譲ってもらう」


 国王の突然の断罪にだれもが唖然としている。


 わたしも唖然としていたけれど、すぐにハッと思いついた。


 ローレンス、だと。彼が計画を実行に移したのだ、と。


 そのローレンスを見ると、彼はクレイグと姉を見ている。


 つい先程までしあわせそうだったふたりは、だれよりも呆けている。


「へ、陛下。いえ、父上、どうしてですか? どうしておれが……」

「だまれ。おまえの悪事の数々をここで披露せよと申すのか? それでなくとも情けない思いをしているのだ。せめて最期は潔くせよ」

「そ、そんな……」

「陛下、どうしてわたしまで……」

「マリー、おまえもだ。わかっているはずだ。腹の子のこともある。いまのうちにどこかに落ち着くといい。腹の子に罪はないからな」


 国王のせめてもの慈悲、である。


 クレイグは、自分が手をつけたレディで身分の低い人たちを殺していた。そして、姉は身籠っている。もちろん、相手は婚約者であるローレンスではない。不義の相手のクレイグでもない。どこのだれかわからない相手である。姉は、なにせいろいろな男性と寝台をともにしている。彼女のお腹の子の相手がだれかを特定するのは難しい。もっとも、お腹の子のことだけではない。彼女は、他にもいろいろやらかしている。


 クレイグとお姉様は、声を枯らして言い訳や嘘を連ねた。が、国王は聞く耳さえもたなかった。


「近衛兵、さっさとつまみ出せ」


 ふたりは、ついには近衛兵たちによって連れだされてしまった。


「興が冷めたな。せめて次の発表で挽回したい。ローレンス王子のことだ。婚約者がああなってしまったのでな。それから、クレイグの婚約者であるルミ・オースティン公爵令嬢。彼女にもクレイグのことで迷惑をかけてしまった。したがって、ローレンスのあたらしい婚約者をルミにしたいと思う。それと、王太子はローレンスに決定だ。もうひとつある。オースティン公爵家は、現当主よりルミに継いでもらう。ゆくゆくは、ローレンスとルミの子どもにオースティン公爵家の当主になってもらうが、それまでは王族の管理人が代理を務める。それでよいか、ローレンス、ルミ?」


 驚きを越えている。それでもドレスの裾を持ち上げ、かろうじて了承の意を示すことは出来た。


 この夜のパーティーは、開始早々のこの場面が衝撃すぎて一生忘れられそうにない。



「ほんとうは、おれから直接『婚約者になって欲しい』とお願いしたかったんだ。だけど、国王が……。いろいろ驚かせてしまってすまなかった」


 ローレンスとパーティーを抜けだして行ったところは、閉館後の王宮内の図書館である。


 図書館の外には、近衛兵が警固している。


 王太子になったローレンスには、今後護衛がつくのである。


「その、よかったかな?」


 木製のテーブルをはさみ、いつものように向かい合っている。


「婚約者になってくれたらいいんだが」


 彼は、先程から照れ臭そうに言っている。


「もちろん、きみは拒否出来る。きみにイヤな思いはさせたくない」


 ローレンスは、あいかわらずやさしく気遣ってくれる。


「国王の命令はいっさい関係ない。おれがいっしょにいて、きみを守りたい。きみを愛したい」

『だけど、喋ることの出来ない王太子妃だと、いろいろ問題よ』


 王太子妃のときだけではない。それよりも、王妃になったときが問題である。


「きみは、ショックで声を失った。専門外だからよくはわからないけれど、精神的なものなら声が戻ってくるかもしれない。たとえ声が出ないままだとしても、おれがいる。おれがきみの声になる。そのことでだれかになにかを言わせるようなことはしない」


 彼が言ったように、そううまくいくとは思えない。


 だけど、いまは彼のその気持ちがうれしい。


 わたしもその為の努力をすればいいのである。それでダメなら、そのときはまた然るべき対処を考えればいい。


 要は声が出さえすればいい。


 自分の為だけではない。ローレンスの為と思えば、どんなことでもチャレンジ出来る。がんばれる。耐えられる。


『ローレンス。お願いがあるの』


 彼にひとつだけ要望がある。


『わたしの声もだけど、あなたの体のことよ。これからは、違う意味でのストレスにさらされることになる。いいえ。もしかすると、これまで以上のストレスになるかもしれない。声以外のことだったらあなたを支えられるよう、あなたが出来るだけストレスにさらされないようにわたしもがんばるから、あなたも食生活の改善をして欲しいの。わたし的には、いまのあなたのぷっくり感が安心出来る。だけど、いまのままでは健康的によくないわ。この図書館で調べたの。いまはまだ症状が出ていなくても、今後いろいろと体の不調が出てくるかもしれない』


 食生活の改善については、いまの驚きの展開にならなくてもお願いするつもりだった。


「わかった。おれ自身もそう思っているからな。ルミ、約束する。改善するよ。運動と食事療法だ。きみの声とどちらが先か、競争してもいい」

『言ったわね。その勝負、受けて立つわ』

「じゃあ、さっそく。あっ、でも、その前に腹ごしらえだ」

『なんですって? もう約束を破って……』

「グルルルルルル」

「グルルルルルル」


 彼を責めようとした瞬間、ふたりのお腹の虫が騒ぎだした。静かな図書館に、お腹の虫が鳴り響く。


「アハハハハハ」

「ハ……ハ……ハ……」


 笑い始めてハッとした。


 ローレンスも笑い声をおさえ、わたしを見ている。


「ルミ、声が、いま声が……」


 彼は椅子を蹴って立ち上がり、テーブルをまわってこちらにやってきた。


「やはり、精神的なものだったんだ。大丈夫。きみの声は戻ってくる。ちゃんと喋れるようになる」


 彼は、まだ実感のないわたしを抱きしめた。


「最初からきみとおれが婚約者だったらと思うと、残念でならない。きみにつらい思いや悲しい思いをさせずにすんだんだ」

『わたしもよ、ローレンス。わたしもあなたにつらい思いや悲しい思いをさせずにすんだかもしれない。だけど、いまからよ。全然遅くない。わたしたちは、いまからでも充分よ。そう思わない?』

「ああ、そうだな。きみとおれと子どもたちと、みんなでね」

『子どもたちって、複数形? ずいぶんと気がはやいのね』


 ふたりして笑った。


 心から笑った。


「ルミ、愛している。おれは、すでにきみにメロメロさ。とはいえ、心配はいらない。きみの心の準備が出来るまで、口づけとかは、おやすみのときくらいでガマンするから」

『まぁ、紳士ね。安心したわ。それから、お夜食は抜きでね』


 彼とふたりでさらに笑った。


 彼の胸の中で泣きながら笑った。



                                (了)

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