魔王様の少子化対策 その1
魔王城謁見の間。
魔界を治め、魔族の頂点に君臨する魔王の玉座が置かれた大広間である。
ブラックミスライル製の頑丈な玉座は、その背もたれが見上げるほどまで高く作られており見る者に威圧感を抱かせる物となっていた。
玉座に座るのは、筋骨隆々の堂々たる体躯を誇る魔王だ。
逞しく割れた腹筋に分厚い胸板は、魔王の青黒い肌の色も相まって焼き入れをした鋼の鎧を連想させられる。
上は素肌に直接マントを羽織り、下は黒いパンツをはいているだけという変態的な格好だが、その鍛え抜かれた体躯を前にしては魔王の服装を指摘出来るものは少ないだろう。
玉座に座る魔王は、丸太のような太い腕で一冊の本を手にひたすらページをめくっていた。
本を読む目からは涙が流れ、鼻からは鼻水を垂らしており顔面はぐちゃぐちゃだ。
そこには魔族を束ねるものの王としての威厳はカケラも存在しない。
「うう、がんばれ炭太郎。お前がナンバー1だ……」
パタリと参謀が異世界から取り寄せた絵物語を閉じ、魔王が目頭を押さえて呻く。
本の表紙には緑と黒のモザイク模様の服を着た黒髪の少年が刀を構えているイラストが書かれていた。タイトルには『鬼滅の刀』と書かれている。
本の内容は血肉を喰らう鬼の手により家族を惨殺された主人公が、生き残ったものの鬼にされてしまった妹を救い仇を討つために奮闘するというものだ。
異世界に住まう人間たちの間で流行している絵物語で、あちらでは一般的に漫画と呼ばれている代物である。
この漫画と呼ばれる絵物語は、参謀が異世界を治める人間達との交易で手に入れたものの一つだ。
漫画は魔界でも静かなブームとなっている。
特に手先が器用で絵や工芸の得意なピクシー、ブラウニーといった種族の間では読むだけでなく描く事もまた大流行していた。
完全に漫画の世界に没頭し、目頭を押さえ涙を流している魔王の前に淡い光とともに魔法陣が浮かんだ。
その中心部からせりあがるように一人の魔族が姿を現す。
「魔王様、ご報告があるのですがよろしいですか?」
牛の頭蓋骨さながらの頭部を持ちタキシードに身を包んだ魔族が優雅に一礼し、玉座に座る魔王に声をかける。
その双眸に眼球は無く、代わりに青白く燃える炎があった。
「何だ参謀、後にしろ。俺は今どうやって魔界から吸血鬼を撲滅するかを考えるのに忙しいんだ」
参謀と呼んだ牛の頭蓋骨の形をした魔族に向かい、魔王が追い払うように手を振る。
そして、先ほど読んだ漫画の内容でも思い出したのか、ギリギリと歯ぎしりをした。
「あいつらマジで許せねえな。日光浴びた程度でくたばるような、貧弱蚊トンボヒキニート風情が跳ねっ返りやがって。この魔王様が直々にブチのめして布団と一緒に天日干ししてやる! URYYYYYYYYYY!」
こめかみに血管を浮かび上がらせながら激昂する魔王を前に、参謀がちらりと玉座の手すりに置かれた一冊の漫画に目を向ける。
『鬼滅の刀』と書かれた表紙をちらりと見て、参謀は大体の事情を察した。
「魔王様。我が世界のヴァンパイア達は魔王国と友好関係にあるものも数多く、陰に日向に便宜を図ってくれております。異世界の漫画に影響受けて、親しき隣人の抹殺計画を企てるのはおやめください。意味が解りません」
「なにおう!? ある日いきなり吸血鬼に家族を殺された炭太郎の悲しみがお前にわかるか!? 奴ら生かしちゃおけねえ、フルボッコにしてやる! 特大おろし金で足の先から頭の先まですり下ろして、万年火山のギラフレア山の火口に叩き込んでくれる!」
魔王が自身のゴッツい拳で玉座の手すりを殴りつける。
完全に漫画に感化され、吸血鬼達からすると身に覚えの無い敵意をむき出しにしている魔王を参謀が冷静に諌めた。
「日頃親しい付き合いをしていた隣人からある日突然フルボッコにされ、足の先から頭の先まですり下ろされたあげく火山の火口に叩き込まれるヴァンパイア達の悲しみも相当なものかと思いますが」
「良いんだよ。あいつ等は存在してはいけない生き物だ。俺にボコられることは大災に遭ったのと同じだと思え」
「今のお言葉で真に存在してはいけないのはどちらの生き物なのか、色々と察せられましたな」
これはもう言っても無駄だと判断した参謀が、嫌味混じりに本題に入った。
「魔王様の頭が無惨なのは今に始まった事では無いのですが。とりあえず、報告宜しいでしょうか」
「あー、めんど。なんだよー」
先程ヒビの入ったばかりの手すりに肘を置き、手をアゴに当てて魔王が先を促す。
あまり聞く気の感じられない態度だが、参謀は気にせず話を続けた。
「はい。ホブゴブリンとゴブリン達の住まう大ゴブリン共和国の税収が年々落ち込み続け、過去100年で最低量を更新しました。何の手も打たなければ今後さらに落ち込むことが予測されます」
大ゴブリン共和国は山の少ない農地に適した平原の国だ。
陸路を繋ぐ交易国であると同時に農作物の収穫量も多い事でも知られる農業大国である。
豊富な農産物の取れる肥沃な土地であるだけに、何か特別な理由でも無ければ税収が年々減少するという事態は考え辛かった。
「あそこなんか災害でもあったん? やたら暑くなって砂漠化したとか逆に冷え込み厳しくて氷に閉ざされたとかさ」
魔王の問いに参謀がゆっくりと首を横に振る。
「いいえ、そういった大規模な気候変動はここ100年起きておりません。いたって穏やかな温暖湿潤気候です」
「え、じゃあなんで? 変な疫病流行ったとか?」
以前異世界の人間達の間で大流行していた息の出来なくなる奇病の事を思い出し、魔王が重ねて聞いてみる。
「いつもの流行り風邪程度はありますが、目立って質の悪い疫病が流行ったという話は特に聞いておりません」
参謀の言葉を聞いて、ぶっとい二の腕を組んで考え込む。
「んんん? そしたらええと……参謀、お前あそこの連中に重税でも課してたの?」
魔王からの疑問を、またも参謀が首を振って否定した。
「いいえ。魔王様より『ほら、あれだ。なんか良い感じに、良きに計らっとけ』と言われましたので、そのように取り計らっております」
参謀がパチリと指を鳴らすと宙空に青白い魔力の光で描かれた円グラフが現れた。
「収穫した穀物の内、八割をそこに住まうゴブリン達に、一割を冷害などに備えゴブリン達の非常時用の貯蓄に充てさせており、我が国の取り分は一割のみです。自然災害などのイレギュラー時には特例による免税措置や国庫を開いての救済も行っている事を考えると、相当な優遇措置を取っているかと」
「あー。んじゃもう考えられんのは甘やかされすぎて、調子に乗って反旗を翻したかとかかぁ?」
円グラフを眺めながら尋ねる魔王の意見はある意味もっともな物だった。
天変地異でも気候変動でも流行病でも重税を課してるわけでもないとなると、あと思いつくのは反乱を企ててる最中か表立って喧嘩売り出したか位しか考えつかない。
だが、他に選択肢がないであろう理由すら、参謀は首を横に振った。
「いいえ、内偵からの報告ではそういった様子もなさそうです」
「えー、じゃあマジになんで? ゴブリン共がそろってやる気無くしたとかかぁ?」
完全にお手上げとばかりに魔王が自分でもそれは無いだろうと思うような理由を述べた。
「ある意味そうかもしれません。原因は、ズバリ少子化です」
完全に予想外の理由を告げられ、魔王が聞き返した。
「は? ゴブリン共が少子化?」
「いいえ、正確にはホブゴブリン達の少子化です。あそこは体格が150センチそこそこなホブゴブリン達が体格120センチちょっとのゴブリンたちを奴隷として使役し、農業を営むという種族構造の国なのですがね。支配階層であるホブゴブリン達の間で急速に少子化が進行していまして」
参謀が白手袋をした手で再び器用に指を鳴らす。
魔力の光によって宙に描かれていた円グラフが消え、代わりに大ゴブリン共和国に住むホブゴブリン達の過去数百年間の出生率と総人口の推移が折れ線グラフとなって描かれた。
どちらのデータも百年前あたりを境に右肩下がりになっていて、何も手を打たないならばそれはこの先も続きそうだ。
「少子化の弊害としてホブゴブリン達の管理使役できるゴブリン達の数が減り、単純労働作業の多くを担うゴブリン達がお役御免としてリストラされ野に放たれ餓死するにままになっております。また、使わない田畑は放置され、農作物などの収穫量は年々減少、税収にも響いているようです」
参謀からの説明に、魔王が訳が分からず聞き返した。
「はあ? 少子化だあ? なんでまた。そんなもんファ〇クすりゃ良いだけの簡単な話じゃねえか」
「それがいかに難しい事かは、35万飛んで35年間童貞の魔王様ならば深くご理解されているかと思いますが」
「うっせ! うっせ!」
痛いところを突かれた魔王がヤジを飛ばして参謀の口をふさいだ。
そして改めて聞き直す。
「ええー、でもなんでだよ。だって別に今まではそんな事無かったんだろ? どいつもこいつも急に悟りでも開いたってのか?」
「ある意味そうかもしれません。あそこの国を納めるホブゴブリン達は、魔力はともかくとして人間たちとの交易や交流もあってか中級魔族の中では比較的知能の高い種族です。ここ100年というもの、彼らは一次産業主体の国家から脱却しようと人間やハイエルフ共を講師に招きいれて教育に力を入れていたのですが、どうもその辺りを契機に少子化が加速していったようですね」
「あー? どうしてそうなんだよ。わけわかんねーなオイ」
教育とは読んで字のごとく、教え育む事を指す。
国としてそこに力を入れた政策を行った結果、国力が減退したというのは実におかしな話だった。魔王が首をかしげるのもわからない事ではない。
「報告は以上になります。此度の問題、事が事だけに童貞の魔王様にはいつも以上に采配が難しい物事かと思います。対応には普段通り私が当たる形でよろしいでしょうか?」
「ぬぐ……」
いつもならばこの手の国政に関する問題は全て参謀に丸投げして遊び惚けている魔王だが『童貞のお前にゃ荷が重い』と言わんばかりのこの物言いにはカチンと来たようだった。
「オホン! まあまてまて、参謀君。ここは一つこの魔王様が見事にゴブリン共の少子化問題を解決してやろうではないか」
どうにか威厳を出そうと咳払いなんぞをし、魔王が提案をする。
「魔王様。繰り返しますが、ゴブリン達は特に少子化には陥っておりません。少子化なのはホブゴブリン達です」
「ええい、どっちでも良いわ! いいからこの魔王様に任しておけ!」
即座に発言を訂正された魔王が怒鳴り返し、話を無理やり打ち切った。
一応は最終決定権を持つ魔王にそこまで言われたとあれば、参謀としても折れるしかない。
「……そうですか、わかりました。では、この件について後日改めてホブゴブリン達の識者を集めて意見交換の為の公聴会を開こうかと思います。魔王様もどうかご参加を」
グ、と拳を握り、魔王が不敵に笑う。
「おおよ、やってやろうじゃねーか! ここらでお遊びはいいかげんにしろって所をみせてやるぜ!」
こうして35万飛んで35年間童貞の魔王は大ゴブリン共和国の少子化問題解決に乗り出すこととなった。
てなわけで、お久しぶりの日常魔王です!
今回は、魔王様がゴブリン共の少子化対策に挑戦するお話ですね。
果たして魔王様は見事ゴブリン達の少子化問題を解決できるのか!?
魔王様の見事な政治的手腕に乞うご期待!




