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第二話


 せっかくの朝の散歩が台無しだった。

 二人でぶらぶらと目的も無しに散歩に出たのは朝の八時ごろ。そして昨夜ボストンバックを埋め直した場所にはバックではなく男の死体が転がっていた。もちろんバックはその場から消え失せていた。

 二人してそのことを現場に来た警察官には言わなかった。黙っているつもりではなかったのだが言い出すタイミングが合わなかったのだ。

 森は麗華の想像通り、警察の手によって荒らされていった。祖父貴代嗣が亡くなってから八年間丹精してきた森を二、三時間で荒らされてしまった。麗華は悔しさを握り潰そうとするように両の拳を強く、強く握った。

 その拳に龍一がそっと触れた。

「動物達はすぐに戻ってくるよ。硝子の森が一番住みやすいことを動物達はちゃんと理解してる」

「だといいけど」

 そんな会話を交わす二人を刑事は睨みつけるように見つめていた。









 その日の昼には硝子の森は大勢の報道陣によって更に荒らされてしまった。上空には何台ものヘリコプター。山小屋の扉は一日中叩かれる。外に出て作業をしようと思っても報道レポーターがしつこく『今のお気持ちは?』と聞いてくる。

 麗華は午前中に龍一を名古屋に帰して良かったと思った。人の良い彼のことだから一日中レポーターの相手をしてしまうことだろう。

 発見当日は山小屋の中にいた麗華だが、次の日は森に出かけていった。やらなければならないことがいっぱいあるのだから仕方がない。それに山小屋の中にいたからといってレポーターが帰る訳ではないのだから。







 夜遅くに龍一が山小屋に訪れた。手には大量の新聞。

「麗華さん。大丈夫でしたか?」

「扉を開けたそうそうなんだい。挨拶くらいしなよ」

「あ、ただいま」

「‥‥‥おかえり」

 まだ二人は婚約中だからこの山小屋は彼の家ではない。しかしこんな風に無邪気な笑顔で言われてしまうと反論する気にならない。

「新聞見ましたか?まだ?じゃあ、僕お茶の準備しますから、その間赤で記しつけてあるところを読んでおいて下さいね」

 そう言うと龍一は台所に消えてしまう。

 頭を掻くと麗華は新聞をとりあげた。赤く印がついているのは、すべて硝子の森の殺人についてだった。

 殺された男は赤木昭吾。四十五歳。前科持ちの自称画家だった。ここ数年一万円札の偽造グループの一員ではないかと疑われていたらしい。

 ほとんどの新聞に仲間割れを起こして殺されたのではないかと書かれている。

「会社のほうにも刑事が来ましたよ。どうやら僕が疑われているらしいです」

 龍一は紅茶をすすりながらさらりと言う。

 麗華は驚きのあまり絶句している。が、ほんの数秒後には大声で笑い始めた。

「あんたが殺人犯?殺す前に殺されちまうよ」

「殺しのほうじゃなくて偽札作りのほうですよ」

 龍一は苦笑した。

「知ってます? 偽札作るのって、ものすごくお金がいるんですよ。最近はフルカラーコピー機なんか使う簡単な偽札が出回ってますがグループで作る偽札はそりゃあもう、細かいものです。すごいのになると透かしまで入ってるんですよ。そういうのを作るのには機械も立派なものを使わないと駄目なんです。結構大きな機械だから、マンションの中とかじゃ出来ません」

「で、山奥に住む、金持ちのあたしらが怪しいって訳かい? 日本の警察も単純だね」

 麗華は深く溜め息をつく。

「そんなリスクの高い商売する気なんてさらさらないよ」

「リスクも高いけど、利益もものすごく高いんです。やってみる価値はあるかもしれない」

「そうあたしらが思ってるって警察は考えているのか」

 麗華はお茶請けのビスケットを噛った。サクッと小気味のいい音をしてビスケットが割れる。

「どうですか?」

 ビスケットの味のことを聞いているらしい。

「美味いよ。どうやったらこんなにさっくり焼けるんだい」

「それは企業秘密です」

 龍一は嬉しそうに微笑む。

 爺さんのお菓子作りに魅せられたのか、龍一は小さな頃から色々なお菓子を真似して作ったものだ。最初は小麦粉ではなくホットケーキミックスを使ったクッキー。形はクッキーというよりカロリーメイトに近く味も粉っぽかったけど美味いと言うと泣きそうな笑顔を見せたっけ。

 それ以後山小屋に来る度に新作を持ってくる。甘いものに目のない麗華にとって龍一の持ってくるお菓子は楽しみの一つだった。

 一般的な男女とは立場がほとんど逆な気もするけれど彼らはごく普通(?)の恋人同士だった。 たまたま麗華の父が早世したため多額のお金を所有しているが、それを更に増やそうという積極的な意思は二人になかった。だが、警察はそうは考えていないのだろう。

「やれやれ」

 知らず知らずの内に溜め息が洩れる。

「そういえば、今日移動する間ずっとTV見てたんですけど麗華さん映ってませんでしたね。山小屋の中にいたんですか?」

「枝打ちしてたよ。きっと昨今の林業問題に対する提言、苦言しかテープに映ってなかったんじゃないか。全国区で流れるはずだから、せっかくのチャンスを逃す手はないと考え直してね、たっぷりサービスして林業問題を喋りまくったから」

 麗華は楽しそうに笑った。

 彼女は枝打ち中は木から木へ移動してしまう。

 そんな猿のような麗華を必死で追いかけるレポーター達の姿を想像すると可笑しかった。それで林業問題の発言しかテープに納められなかったとは。ご愁傷さまとしか言いようがない。

「レポーターの相手ご苦労様です。そうだ、明日僕、お休みですからお手伝いできることがあればしますよ」

「せっかくの休みにまで働かなくていいよ。会社のほうが大変なのはわかってる。だからゆっくり休みな」

 麗華の言葉に龍一は微笑み返す。

 普段ぶっきらぼうで、絶対に愛してるなんて言いもしない彼女だけど時たまこんな風に優しく労ってくれる。それだけで龍一には充分だった。

 自分を闇から救い出してくれたのは彼女だ。龍一にとって麗華こそ英雄。憧れの存在だった。

 憧れで終わらせたくなくて告白した。最初信じられないように眉をひそめ一蹴したけれど何度も言ううちについに受け入れてくれた。

「そういえば、もうじきここであんたを見つけて十五年にんるんだね」

「あの時の誘拐犯の時効は、とっくに過ぎてますね。金も奪えなくて逮捕されたんじゃ、踏んだり蹴ったりだ。ホッとしてるでしょうね」

「なに言ってるんだ。誘拐されてあんなにボコボコにされたくせに」

 龍一は七つの頃誘拐された。

 平沢建設の三男坊だ、誘拐犯達はなんと三億の身の代金を要求してきた。とても普通の建設会社が要求できる金額ではない。龍一の父幸一は母が止めるのも聞かずに即警察に連絡をしてしまった。もちろん身の代金も用意すらしなかった。

 龍一は三男、まだ征一も昇一もいる。三億のお金など用意をしたらせっく興した平沢建設はつぶれてしまう。

 龍一の父親は子供より会社を取ったのである。

 結局誘拐犯は龍一をこの森に捨て、バラバラに逃走したらしい。

 殺されなかったのは幸運だったが、彼らは元々殺す気はなかったらしく龍一は一週間の間目隠しをされたままだった。ご飯などもすべて女性が食べさせてくれた。確かに森に捨てられた時には怒りのはけ口として殴られたりしたけれど、今では犯人達を恨む気にはなれなかった。

 父が自分をどう思っているのかわかったし‥‥

「でも、それで麗華さんに会えたから」

 急に麗華の顔が真っ赤になった。

「な、なにを言ってるんだい。あ、あたしもう寝るからね」

 麗華は慌てて自室に戻っていった。取り残された龍一は、頭を抱え込むようにして机につっ伏した。くすくすと笑いが洩れる。

 れ、麗華さん。可愛すぎる。

 この森で発見されてから龍一は父親から無意識に離れるようになった。長期の休暇にはこの山小屋に入り浸り、貴代嗣に木工細工やお菓子の作り方を学び、麗華と山で遊んだりした。

 『私の木』というゲームで遊んで以来、龍一はジョセフ・コーネルが創始したネイチャーゲームが大好きだった。

 考えたくないが、もし二人がいなければ自分はこんな風に前向きに生きていくことは出来なかったろう。

 しばらくくすくす笑い続けた龍一だが、立ち上がり麗華の部屋をノックする。

「麗華さん、開けて下さい」

 返事はなかったけれど、代わりにドアノブが動いた。




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