8 蚤の市
約束に時間より早くついたエレーナは、早朝の清々しさと冷たい空気に心地よさを感じていた。町の人たちは首にマフラーを巻き、手をこすり合わせ白い息を吐いている。北国育ちのエレーナは薄いコート一枚で十分だった。
「おはよう。早いね」
アンドレイの声に振り向いてエレーナは笑顔を見せた。アンドレイも寒く無いようで、スーツの上に軽く黒のケープを羽織っている。端正な顔はまるで息をしていないようにも見える。小刻みに身体を揺すって荒い息をしながらうろうろしている蚤の市の人たちとは全く対照的だった。
「ねえ、何から見るの? 順番?」
「ふらふら歩いて眺めてみようか」
広場にはあらゆる物品が所狭しと置かれている。絵画や彫刻、陶器や貴金属、そして野菜やパンまで便乗して売られている。
きょろきょろ見渡すエレーナはある一角に目をとめる。
「綺麗!」
カラフルなガラスの食器を扱っているブースだ。エレーナは木か金属の食器しか扱ったことがなかったので、透明で輝くガラスのグラスに目を奪われる。
「お嬢ちゃん、触ってもいいよ」
血色の良い太った男が気前良さそうに言う。
「日に照らしてみるといい」
アンドレイもまぶしそうな目でそういうのでエレーナは小さなシェリーグラスを手に取り、そっと太陽に向けてみる。
「素敵!」
透明度の高いクリスタルの部分と赤や青の色のついたガラスが宝石のように輝いた。ところがこのアンティークガラスには欠けた部分があった。戻そうとしたときに、口辺の欠けでエレーナは指先を傷つける。
「あっ。痛っ」
白いエレーナの指先にぷくっと赤いルビーのような血の玉ができた。その手をアンドレイはすっと取り、唇を当て軽く吸う。
エレーナはめまいがした。指先に傷の痛みではなく甘い快感が走る。ちらっと見たアンドレイの目がさっき日に透かしたガラスのように赤く見えた気がした。しかしその時間は直ぐに終わった。
「大した傷じゃないからすぐに止まるよ」
口を離したアンドレイはポケットチーフでエレーナの指先を巻き付ける。
「こりゃあ。すまねえな。お嬢ちゃんにケガさしちまった!」
太った男は、傷物のグラスを下げて、お詫びに好きなものを持って行っていいという。
「そんな。悪いわ。あたしも不注意だったんだし」
「まあまあ、そう言わずに」
口止めの意味もあるのだろう、男は是非にエレーナに商品を見せる。アンドレイも静かに頷くのでエレーナはまた商品に目をやる。
「えーっと。移動が多いし、壊すと悲しいし」
選ぶことが難しいようでエレーナは悩んでいる。アンドレイはカラフルな小さなドロップ型のペンダントトップを手に取った。
「店主。これはいいかな?」
いろいろな色が入っているドーナツ状のガラスだ。
「ああ、もちろん! いいの選ぶねえ。サイズが小さいんだが、出来はいいもんだ」
「エレーナ。どうかな」
「とっても可愛いわ。これならずっと持っていられそう」
「じゃあ、これを頂くよ」
「ちょっと待ってくんな」
テーブルの下のほうから男はがさがさと一本の革ひもをとりだし、ペンダントに結んで首にかけられるようにした。エレーナは首にかけ、ずっと嬉しそうにガラスをいじったり日に当てたりしている。
「おじさん! ありがとう!」
アンドレイも一通りガラスを物色し、一つのペーパーウエイトを指さした。
「これをもらうよ」
「おや、兄さん買ってくれるのかい? 」
「なかなかいいものだ」
「ほう。目が高いねえ。この地方じゃそうでもないけど北じゃあ宝石扱いだ」
アンドレイはわかっていると言葉に出さず静かに笑んだ。商品を受け取ってから、二人はガラス屋を離れた。エレーナは何度も男に手を振っていた。