15 亡命
安堵したエレーナはその日のうちに息を引き取った。近所の老人たちと簡素な葬儀を行い、アンドレイは泣きじゃくるシャルロッタにこれからのことを説明する。
「ここでママと一緒に居たい」
「ママの魂はもうここにはないんだ。身体もいつか土に返っていくだろう」
「でも、でも」
「ママは君が幸せになることを望んでいる。ここに居たら天国のママは悲しみ続けるだろう」
隣人の老女ダーシャがシャルロッタの頭をなでて小さな手を取り撫でた。
「シャルや。この人と一緒にこの国を出なさい。ここにいてもお腹が空いてきっと辛い思いをするだけだ。あたしたちもいつまで生きているか分からない。シャルが寂しいときや辛いときにもう誰も抱いてやることが出来ないんだよ」
しわがれた優しい声でダーシャはなだめるように話す。葬儀に参列した数名の老人たちはみんなシャルロッタが亡命することを望んでいる。
「エレーナは素晴らしいバレリーナだった。シャルも踊るのが好きだろう? この国じゃもう踊ることもできないよ」
「ここを離れるのはとても寂しいわ!」
シャルロッタを可愛がっている老人たちは泣いている彼女にそれ以上何も言えなかった。泣きながら疲れてしまったようでシャルロッタは意識を手放した。小さなベッドに眠っているシャルロッタを優しくダーシャは撫でている。
「この子はしばらく起きないね。今のうちに連れて行っておくれ。外に馬車を出しておくから」
「それしかないようですね」
「あんたが来てくれてよかった。これでここの住民も安心して天国へ行けるってもんさ」
住民たちはエレーナとシャルロッタ親子のことをずっと気にかけていた。自分たちはもう人生の終わりに向かっていることを受けてめていたが、まだ若いエレーナや、人生が始まったばかりのシャルロッタのことを思うと胸が痛かった。
馬車の用意がされている間、アンドレイはシャルロッタの荷物を用意する。荷物は少ししかなかった。わずかな衣服と、トウシューズ、そしてガラスのペンダントトップだけだった。
ガタガタと身体が揺れていることに気付き、シャルロッタは身体を起こす。
「ここは?」
目をこすってみると黒いコートを着た後姿が見える。黒い革の手袋をはいた手が手綱を握っているのに気づき、馬車に乗っているのだと分かった。
「ママ……」
シャルロッタはもうぐずって帰りたいとは言わなかった。じっと静かに泣きながら、馬車が止まるまで横たわっていた。
暗い色の髪と瞳を持つアンドレイとシャルロッタは北国を出ることは容易だった。長い年月、各国をめぐってきたアンドレイは地理はもちろん、地方の風土風俗特色をある程度把握している。エレーナの希望は娘が修道院に入ることだ。
大きな修道院は身許がしっかりしていないと入れてもらえない。アンドレイは東国の小さな修道院に目星を付ける。金さえ渡せばシャルロッタを預かってくれるだろう。旅の途中で、美術品を仕入れては売り、資金を確実に増やしていった。到着する頃にはひと財産出来ている。十分な資金援助を申し出れば、彼女の受け入れを断ることはないだろう。
シャルロッタは聞き分けが良く、わがまま一つ言わなかった。胸にトウシューズを抱いて、ときどきガラスのペンダントトップを光りに透かして眺めていた。景色がどんどん変わっていくのを眺めずに、ずっとペンダントトップの様々な色合いを見つめていた。