10 妄想
この町で細々とながら先祖代々食料品店を営んでいる。今は父親が店主だが、もう数年すれば息子のポールが店主になるだろう。客が引けると、ポールは今日も買い物にやってきたアンドレイに思いを馳せぼんやりする。彼は自分がいつも読んでいる幻想小説の主人公にそっくりだ。
「本のそのまんまだよなあ……」
小説では主人公の青年が人の生き血を吸って永遠に生きている。時に、気に入ったものを仲間に引き入れるべくお互いの血を交換するのだ。
ポールは自分の首筋を一撫でする。アンドレイに牙を突き立てられ、そこから血を吸われるとどんな感じなんだろうか。小説には強い快感が伴い死んでもいいと思えると書いてあった。
癖の強い赤毛をもち明るい肌にそばかすを浮かせたポールは、アンドレイの黒い艶のない髪とやはりマット調の青白い肌を思い出す。控えめなのに整っていて気品に満ちたアンドレイは、この町の着飾った誰よりも気高く美しい。
「ま、でも現実的じゃないな」
ポールはアンドレイの正体についてかなり核心をついていた。しかしポールにとってそれはフィクションだ。10年以上側にいてアンドレイが年を取らないことに気付いてやっと、自分が思いついたことが真実だと知るのだろうが、残念ながらそのころにはもうアンドレイはいない。
アンドレイが店にやってくるたびに、ポールは妄想に耽る。永遠の命を持つ美しい彼の下僕となり、退屈な食料品店から飛び出すのだ。甘い声で自分の名前をささやかれ、首筋を差し出し噛まれ吸われ肌を露わにし永遠の快楽を与えられる。
ポールの手が首筋と下半身に伸ばされたとき、店のベルがカランと鳴ったのでそこで妄想はストップさせられた。
ポールのようにアンドレイの正体を『不死者』だと想像する者が少なくはない。アンデッドを題材にした小説も多いし、各国に伝承もある。20代の青年なのに威厳と落ち着きと気品を持つアンドレイは、ひっそりと地味に過ごしていても、人を惹きつけ妄想させてしまう。ただ日の光に当たれば死んでしまうこともなく、十字架を恐れることもないので、妄想を確信に変える者はいない。
アンドレイがその気になれば、一晩で町の者ほとんどを魅了することができる。
彼の先祖には時折、町を支配し自国を形成したものもあったが滅んでいった。今、アンドレイの同族はおそらく一人もいない。両親が亡くなってから、同族を探してみようかと思い立ちあちこちをめぐってみたが見つからなかった。
「私が最後だろう」
ポールの想像通りに同族を作ろうと思えば作れるが、アンドレイはそうしなかった。特になにか目的があるわけではなく、かといって死にたいとも感じない彼は静かに生き続けている。