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ぐつぐつとスープを煮る寸胴を見つめ、背を向けながら苦言を呈した。
「困りますヨ、お兄さン。いまは夜の営業の準備中なのですかラ」
再び訪れた「魔界珍味」――今度は、アールとモニカのほかに、二名の保安隊も同行している。
保安隊を連れたアールは、権力を味方に、先刻にも増して強気の態度で挑む。
「ならば、開業前に片を付けるとしよう。お前は、マグウェイの店の爆破事件に一枚噛んでいるな?」
くるりと身を翻す。支度中で気を抜いていたのか、それともすでに正体を明かされたアールが相手だからなのか、今度は外見を偽っていない。だらりと垂れた両手と、幅の広い裾が揺れる。
「噛んでいル、とハ?」
「少なくとも、爆破の決行については知っていたはずだ、ということだ」
顔の筋肉も硬直しているため、キョンシーの表情はほとんど変わらない。しかし、モニカは何となくその変化を感じていた。キョンシーが魔力を行使しようとして、周囲の魔力素に影響を与えたせいかもしれない。
アールの指摘が的外れということはないようだ。
「お前もマグウェイも、同じアルトマンという斡旋業者の手助けでこちらの世界に来たのだよな?」
ついさっき、アルトマンの顧客リストを確認して発覚した事実だ。
「それくらいよくあることでス。アンデッドがこちらに逃れるとキ、アルトマンの手を借りることが一番に候補になる方法ですかラ」
「では、アルトマンとマグウェイとで対立し、殺人に発展する可能性もよくわかっていた、そういうことだな?」
「もちろン、予想できることですネ」
「なるほど。どうりで先刻、爆発は事故ではなく事件で、マグウェイが自爆したようなことを言っていたのか」
この指摘にはキョンシーも覚えがあったようで、がたりと一歩後ずさりした。
モニカもはっきりと記憶している。キョンシーは「魔族の中でも相当頑丈な部類ですシ、どこかで無事に生きているのではないですカ?」と発言していた。事故なら相手の無事を案じるものだし、もしスケルトンがそう簡単に死なないと知っていても、なぜ「どこかで」などと現場から行方をくらましたと知っているような口ぶりなのか。このとき、アールはマグウェイがヴァンパイアなのかを確認しただけだった。
「魔界珍味」の店主は喋り好きなきらいがある、とモニカは振り返る。
とはいえ、充分な証拠ではない。たった一度の失言である。
「知りませんヨ、マグウェイの行方なんテ。それとモ、ワタシが爆発を起こしたと疑われたわけですカ? そんなことをしたところデ、ワタシには利益なんてないのニ」
「利益がないだと?」
アールは面食らっていた。アルトマンと手を結んだ以上、アルトマンにカモにされるのは宿命。店を繁盛させて稼いだところで、かなりの額を奪われていたことだろう。「魔界珍味」の場合、昼の営業で他店と差別化を図るほどだから、稼ぎの邪魔になるアルトマンは恨めしかったはずだ。
キョンシーは、困惑するアールを見て面白かったのか「イヒヒ」といやらしく笑った。
「えエ、アルトマンのおかげでワタシは人間界での暮らしに満足していましタ。だっテ、稼いでモノを食うという経験を生まれて初めて体験できたのでス。楽しくて仕方がありませんネ」
アールはついさっきモニカに口走った言葉を悔いた。
彼は、彼女がマグウェイの心情を解せなかったことを「勉強不足」と表現した。マグウェイにしてみれば、自爆によって店を失うことなど恐ろしくもなんともない。本来的に、カネを稼がなくても生きていくことができるからだ。スケルトンは食事をしない、すなわちカネは住居や生活の安定以外に重要な用途がない。
だから、アルトマンを殺して自身も姿を隠すなら、店ごと爆破してしまってもかまわないはずだ、とアールは考えた。言い換えれば、それだけアルトマンはアンデッドたちに憎まれているはずだと思っていた。
ところが、キョンシーは違う。
キョンシーはスケルトンとは違い、血を欲する。生身の種族に比べて少量でも、食事をしなくてはならない。スケルトンよりはカネに執着したはずだ。しかし、カネを用いた経験に乏しく、死ににくい彼らにしてみれば、貨幣経済に参加できること自体喜びになりうる。
「ワタシは誰かの死体から生まれましタ。生まれたというのもおかしいですネ、『生きている』という経験がなかったのですもノ。そしテ、魔界では虐げられタ。考えられますカ? 魔界でハ、食事のために魔獣狩りをしていたのですヨ? 身動きにも不自由な死んだ身体デ、でス」
なんとなく、アールにはわかりはじめた。
スケルトンとキョンシーは、同じ斡旋業者の手で人間界に逃れてきた。亡命の動機は、魔界で罪を犯したこともそのひとつであろうが、何よりカネを手にして夢を掴んでみたかったのではないか。犯した罪も、さしずめ通貨の使用あたりと想像できる。魔界のアンデッドたちにとって最もありふれた罪である。
貨幣経済に参入すること自体が夢だったのかもしれない。カネを手に入れたところで、何をしたいのかもわからないまま。
そうして渡ってきた人間界。先に根を上げたのはマグウェイ。食事すら不要で、カネの意味をほとんど理解できていなかったから、それに追われる借金生活に嫌気がさした。これが自爆による殺人の発端だろう。
おそらく、キョンシーもその話を聞いていた。しかし、賛同しなかった。カネを稼ぎ、カネで買った血を飲んで生きる――多少の理不尽があろうとも、この喜びは手放したくない。
「アンデッドという種族ハ、長生きする宿命でス。ですかラ、その時代、その土地ごとの暮らし方に適応しなければなりませんシ、闇に生きる我々はそれが得意なのでス。マグウェイさんハ、いけないことをしてしまいましタ。怒りに任せテ、破壊シ、殺してしまっタ。誰かの楽しみを奪うことになるとも考えずニ」
お喋りなアンデッドは、うきうきと語っている。語りながら、再びアールたちに背を向けて、ぐつぐつと煮立つ寸胴鍋を覗きこむ。
「困りましたねェ。ワタシはこれからどうすればいいのでしょウ。この店はアルトマンが所有しテ、ワタシが借りていただけなのデ、きっと店は続けられなくなル」
大きく嘆息する。同情を求めるというより、少しずつ秘密を明かしていくような口ぶりだ。
「思い返せバ、ひとつ間違ったことを伝えてしまいましタ。スケルトンは確かに丈夫な種族ですガ、それは魔力で骨格の形状を保つことができる場合の話でス」
瞬間、モニカの背筋が強張り、ぶるりと震えた。
マグウェイの店で見たメニューを思い返していた。
いま目の前にいるキョンシーは、長々と寸胴に火をかけて、いったい何を作ろうとしているのだろう?
あの晩見たメニューの中に、寸胴で食材を煮詰めるような料理があっただろうか。そもそも煮込み料理自体少なく、モニカが興味を持った逆鱗の姿煮だって、小さな鍋ひとつでできるものだろう。とすると、ヴァンパイア料理の伝統に、大きな鍋を用いた煮込み料理は存在しないのではないか。
煮込みの文化があるとすれば、むしろ東方のキョンシー料理。逆鱗の姿煮だって、オリエント龍を調理する料理だ。
「元の形に復活できなくなるト、不死身のスケルトンも死んでいるのと同ジ。粉々に砕いてしまうとカ、地面に埋めてしまうとカ――」
キョンシーは鍋の蓋を閉じた。
「あとハ、ドロドロに煮溶かしてしまうとカ」