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翌朝、寝ぼけ眼のまま朝食を済ませたモニカのもとに、忠実な従者が鳩を連れてやってきた。
「おはようございます」
「……おはよう」
不機嫌に答えたモニカは、自分が寝ぼけているあいだに自分が余所行きの服に着替えさせられていることに気がついていた。寝起きの悪い彼女だが、目の前に揃ったアールと鳩を見れば、嫌でも目が覚める。
星空の如く美しい瞳に睨まれた鳩は、わざとらしい口調で嘴を開いた。
「朝から申し訳ない、モニカくん。君の力を借りなければならない」
鳩は鳩でも、キトノス保安隊長の使い魔である。夕食には鳩の丸焼きを用意してもらおうと心に決めて、モニカは渋々と従うことにした。
「なあ、アール。記憶違いでなければ、ここは……」
野次馬をかき分け、モニカが早朝から連れてこられたそこは、昨晩、アールにせがんで夕食を取ったヴァンパイア料理店であった。
ただし、原形は留めていない。
「未明のうちに爆発が起こったようです」モニカに喋らせないよう気を遣いながら、アールは端的に状況を伝える。「私たちの退店後かなり時間が経ってからのことです。その間に、店の様子に変化があったのだと思います」
淡々と語ってくれるが、現実はそれどころではない。
焼け焦げた臭いが鼻を突く。
食事をした一階部分のホールは真っ黒な空洞と化している。そこに並んでいたはずのテーブルや椅子は、吹き飛ばされ、焼き尽くされたらしく、一見しただけでは見つからない。この姿からは、事が起こる以前の様子がひとつもわからない。
床板は穴だらけで、崩れ落ちてきた柱が突き刺さっている。天井が落下するのも時間の問題のようだ。時折、埃が舞うとともに建物が軋む音が響く。
かろうじてカウンターとわかる場所には、粉々に砕けた酒瓶が日光を反射させて色とりどりに輝いている。煙を破る光が異様に美しい。
激しく損傷しているのは一階のみであるが、その傷を受けて上部も崩れ落ちようとしている。建物全体が焼け焦げているから、かなり脆くなっているはずだ。周囲の建造物をあえて破壊することで火災の拡大を食い止めたようだが、やがて来る倒壊を思えば、現場はまだまだ危険極まりない。まして、人口が過度に密集しているキトノスである。
周囲を見回すに、保安隊は野次馬の排除に手を焼いている。現場の捜査は手薄なようだ。
「被害の全貌もまだ掴めていません。遺体も数体上がっていますが、身元を確認中だそうで。早朝だから、それもやむを得ないでしょう」
「わたしたちは先遣隊というわけか」
モニカが小さく呟く。アールも黙って頷いた。
「その通り、まずは爆発の経緯をおおまかに把握したい」アールの肩に留まる鳩が神妙に語る。その中身はキトノスの保安隊長。保安隊の誰よりも、現場の初動が遅れていることを憂いている。「この爆発が魔法の力によって引き起こされたのか、それとも爆薬か何かで起こったのか。このいずれかを調べるには、モニカくんの力が一番の近道だ」
保安隊長が頼ろうとする人間の少女の力とは、その場所で過去に用いられた魔法を感知する能力である。
魔力すら持たない人間の少女に、このような異能が宿った原因はわからない。モニカ本人も、いつから力が発現したのか記憶にない。ただ、気がついたときには、この世の魔力のはたらきが見えるし、聞こえるし、臭うのだ。
ふう、とひとつ嘆息する。
少女は目を閉じ、全身の神経を集中させる。
「…………?」
主人が大きく眉根を寄せて表情を歪ませるのを、従者は見逃さなかった。
「わかりませんか?」
「いや、わかる」
アールの心配に反して、モニカははっきりと言い切った。
アールの袖を引き、顔を寄せる。保安隊に抑えられているとはいえ、モニカの正体が知られるおそれが完全に払拭されているわけではない。感じ取った魔力の気配を耳打ちして伝えた。
「爆発は魔法の力に違いない。燃焼系の魔法の類だ。でも、かなり無機質な気配で、人間味がない。わたしの感覚の話で済まないが、魔界に魔力を帯びた火薬のようなものがあるのではないか?」
少女の囁きを、長身の魔法使いは感心して聞いた。魔力を持っていないにも拘わらず発現した異能だが、それが魔力を行使する主体まである程度捉えられるとは驚きだった。しかも、そこから魔界の道具を想像したモニカの柔軟な思考も評価に値する。
と、そのような考えは胸の内に秘めておく。褒めるにしても方法を一歩誤ると、年頃の娘はかえって気を悪くしてしまう。そのくらい当然だ、と。
「いかにも、魔界には魔力を持つ鉱石を原料とした火薬が存在します。魔法で反応を抑えないと非常に爆発しやすい代物なので、人間界ではほとんど流通していませんが……キトノスなら、話は別でしょう」
ということは、と鳩が口を挟んだ。
「火薬の入手経路からしても、取り扱い方法からしても、爆発を起こしたのは魔族ということになるな。被害者も魔界で恨みを買いやすいヴァンパイア族だ、妥当性は高い」
さながら人間界と魔界との境界にも相当するキトノスの混沌からすれば、この程度の発見でも大きな前進である。とにかくヴァンパイアの店が魔族の何者かにより爆破された事件としてカテゴライズできるなら、夜中に起こった爆発にも手掛かりを探しやすい。
ところが、モニカは納得していない。
「モニカ様?」
アールが声をかけると、モニカは再びアールに耳打ちした。
「妙だ。爆発に関係のありそうな魔法よりも、お前がわたしに使うのと同じ変化の魔法の痕跡を強く感じる。でも、お前の魔法とも感じが違う。きのうも似たような感覚があった。どういうことだ?」
モニカの疑問を聞かされたアールは、はっと目を見開いた。
「なるほど、それは重要な気づきかもしれません」