銀座でショッピング
「おまたせーっ!」
「やあやあ」
息せき切って現われた琴子を万喜の家の前で出迎えたのは美鶴だった。そんな美鶴は体にぴったりした三つ揃いのスーツ姿だ。
「あら……この間のお洋服は?」
「うーん……私はやっぱりこっちの方がいい」
「そうですか。でもスーツ姿もお似合いだわ」
「だろう?」
美鶴は帽子を斜めに被ってポーズを決めて見せた。その姿に琴子が無心に拍手を送っていた時だった。家の門の前で、悲鳴のような声が聞こえた。
「まぁーっ!」
「万喜さん」
「琴子さん……なんでおかわいらしい……西洋人形みたいじゃありませんか」
「うふふ……えへへ……」
そう言いながら出てきた万喜は桃色の洋服に帽子を被って首元には真珠のネックレスをあしらっている。琴子は本当に同級生かしら、と心の内で思った。
「都電に乗ってもいいけど、今日は人力車を呼んであるわ」
「あら、都電……乗ってみたかったわ」
「今日はお買い物もするし、人も多いから……それはまた今度の機会にしましょ」
「それもそうね」
三人は万喜の家の人力車に乗ると、銀座に向かった。
「さあて、あれが皇居よ」
途中、万喜が指を指した先には石垣と緑がお堀の中心にあった。
「まあ……あそこに天皇陛下がお住まいなのね」
やがて、車は洋風のビルディングの間を抜けて、銀座へとたどり着いた。
「ほら、沢山デパートがあるわ」
「わあ……」
「この辺で降りましょうか」
三人は人力車を降りると、ふらふらとデパートの店先を冷やかして歩く。
「琴子は何か欲しいものはないの?」
「あ……ええと、ペンと便せんが欲しいわ。郷里のお友達に素敵な便せんで手紙を書きたいの」
「じゃあこっちだ」
美鶴の先導で、大きな文具店に来た琴子は目を見張った。
「こ、こんなにいっぱいあるなんて……」
「私の家はここの便せんを愛用しているんだ。ひっかかりが無くて良いよ」
「ど、どれにしようかしら……あ、絵はがき!」
琴子は落ち着きなく店内をうろうろキョロキョロと歩き回った。手にした絵はがきはモダンな美人画や銀座の街なみ、浅草の十二階などである。
「浅草も今度行ってみたいわ」
「そうか、じゃあオペレッタでも見に行こう」
「オペレッタ?」
「西洋風の歌劇さ」
「へえ」
琴子はお財布の中身を確かめながら、絵はがきと便せん、封筒と美鶴も使っているというペンを買った。
「……そういえば万喜さんは?」
「ああ、ほんとうだ。どこにいったかな」
店内に、万喜の姿は見当たらない。通りに出てあたりを見渡すと、隣の店から大きな箱を持った万喜が出てきた。
「あら、お待たせ」
「万喜、琴子の買い物の方が先だろう」
「だって……ショーウィンドウのこの帽子が私を呼んでいたのよ」
万喜はパカっと箱を開けた。白いツバ広の夏用帽子である。
「この帽子を被って、別荘に行きたいわ」
「まったく……」
呆れる美鶴をぷいを無視して、万喜は帽子の箱を車に積んだ。琴子も慌てて買った文房具を車に載せた。
「さて……あとはぶらぶらと……」
と万喜が振り返った瞬間だった。琴子のお腹がぐーっ、と音を立て、琴子は慌ててお腹を押さえた。
「あら、お腹が空いたの、琴子さん」
「そういえばもうお昼だね。そうだ、洋食なんてどうだろう」
美鶴がぱかっとスーツの内側から懐中時計を出してそう言った。その言葉に万喜も頷く。
「いいわね」
琴子は銀座で洋食なんて、なんて素敵……夢みたいと思った。
「ああいうレストランにっ、行くのかしらっ?」
琴子は興奮気味に二人に聞いた。琴子が指差した道の向かいのそこは赤いひさしに白い壁、大きな窓の素敵なレストランだった。
「あら、いいわね。あそこに行きましょうか。……琴子さんは洋食は初めて?」
「いや……お父様がわりかし新しいもの好きでビフテキやコロッケを食べたことはあるんだけど、ああいうお店で食べたことはないっす……あ、ないです」
琴子は舞いあがったばかりに、思わず訛りが出てしまった口を押さえた。
「じゃあ、初体験なのね。わくわくするわね」
「ええ」
万喜と美鶴はそんな琴子の様子をにこにこしながら見た後、レストランに向かって歩いて行き、颯爽と中に入っていく。琴子もはぐれまいとぴったりと二人に寄り添って一緒にレストランへと入った。
「さあて何にしようか? 私はカレーにするかな」
「私、オムライス」
「うーん……」
次々とメニューを決める同級生を横に、琴子はメニュー表を前に唸っていた。
「琴子さんは何が食べたいの?」
「お、お肉です……」
琴子はメニューを見てもどれを食べていいのかよく分からなかった。ビフテキもあったけれどできればそれ以外が食べたい。
「じゃあこれは? ポークカツレツ」
「ああ! それにするわ」
美鶴は給仕を呼んで、注文をした。料理が届くまでの間、三人はお喋りに花を咲かせる。
「美鶴さんは買い物はいいの?」
「いや……今日はいいかな。私は琴子のエスコートにつとめることにするよ。迷子になったら大変だ」
「まあ、それは私の役目よ」
「万喜は欲しいものがあったらすぐどこかにふらふら行ってしまうじゃないか」
「むう……」
万喜が盛大にふくれっ面をしたところで、頼んでいた料理がやってきた。
「まあ、おいしそうね」
「いただきます」
美鶴はカレーを一口食べて笑みを浮かべた。
「コクがある。いい材料を使っているな」
「こっちのオムライスは卵がふわふわ。適当に選んだ割に良い店ね。お手柄よ、琴子さん。……琴子さん?」
万喜もオムライスを食べて満足そうに頷いた後、琴子を見てびっくりした。フォークとナイフを握りしめたまま、琴子はポークカツレツを睨み付けていたのだ。
「ど、どうしたの琴子さん? 豚のお肉駄目だった……?」
「い、いえ……」
琴子はもはや半泣きで万喜を見た。万喜は不謹慎ながらなんて可愛いのだろうと思ったのだがぐっと堪えて訳を聞いた。
「この、フォークとナイフを使いなれねぇもんで、どうやって食べたらええが……」
「あらあら、まぁ」
万喜はなんだそんなことか、とほっと胸を撫で降ろした。その隣で美鶴は給仕を呼んで、箸を持ってこさせた。
「箸……箸で食べてもいいんですか?」
「しかたないさ。学校で西洋式マナーをそのうち習うからその時に覚えればいい。今日は美味しく食べるのが一番だよ」
「えへへ……」
美鶴にそう言われて安心した琴子はカツレツをぱくりと口にした。さっくりと細かな衣に味わいのある豚肉の滋味。そして少し酸味のあるソースが味を引き締めている。
「うう~ん……おいしい……」
「そっか、よかった」
琴子はあまりの美味しさにほっぺたを押さえてにまっと微笑んだ。その笑顔に、万喜も美鶴もほっとしながらわいわいと賑やかに昼食を終えた。