ファッションショー
梅野女学校は創立は女性宣教師によるミッション校でただの良妻賢母の育成機関としてではなく、英語や西洋式マナーなどを含めた先進的な女子教育を目指していた。この学校において、校則はひとつもなく、おのおのの持つ聖書に従い日々をすごせ、との院長の言葉のみが生徒を統率していたのである。
「と、いう訳で私の心の聖書にはズボンを履くなと書いていなかったのさ」
「は、はあ……」
琴子は美鶴のその説明を聞きながら、それでも大変に勇気のあることだ。と思った。教室を見回しても、そのような生徒は居ない。唯一万喜がセーラー服を着ているだけである。琴子の田舎の女学校とはまるで違う……。これが東京なのか、と琴子は思った。そしてそこに、この二人が大変変わっているだけだと教えてくれるものは居なかった。
「万喜さんはどうして洋服なの?」
「私の家は百貨店なの。これから洋服はどんどん広まってきっとみんな着るようになる。とても動きやすいもの」
そう言ってじーっと琴子を見てくる。
「あ、あの……?」
「学校が終わったらうちに来ない?」
「え……いいんですか?」
琴子はさっそくお友達ができた、と心の中で拍手した。
「ええ、クッキーはお好き……?」
「クッキー……好きです、ええ」
前に頂き物を食べたことがある。おせんべいだと思ったら甘くて驚いたのを琴子は思い出した。
「じゃ、きまり」
という訳で放課後は万喜の家にお邪魔することになったのだった。
「それじゃあ、ついて来てね、こちらよ」
そう万喜が先頭に立って案内したのは本物の洋館だった。琴子の後ろには当然のように美鶴もついてきている。
「じゃあお茶にしましょう」
そうして居間で紅茶とクッキーを振る舞われながら、琴子はかちんこちんに緊張していた。
「……おいしい?」
小首を傾げて聞いてくる万喜に、琴子はぶんぶんと頷く。その耳元で、美鶴がぼそっと呟いた。
「万喜には注意しといた方がいいよ」
「ん?」
「私よりよっぽど自由奔放だよ、万喜は」
美鶴はそう言うものの、男装姿でそう言われてもあまり説得力がない。しかし、ぎこちないお茶会が終わった後、琴子は存分にそれを思い知ることになった。
「さー、見て頂戴!」
「こ、この部屋全て服が仕舞ってあるの……?」
「そうよ」
ここは万喜の部屋、いや正確には万喜の部屋と続きの一間である。そこに洋だんすがずらりと並んでいる。
「そうねぇ、そうねぇこれなんかいいわ。これ着て頂戴」
バサバサと万喜は洋服やら着物やらをそこから取りだしていく。
「美鶴! ぼさっと見てないで手伝ってくださいな」
「はいはーい、な。私の言った通りだろう?」
美鶴は琴子を振り返って、そう言ってウインクした。なぜこのようなことになっているかと言うと、琴子が洋服を着たことがないとふと漏らしたのが発端だった。
「あら! それならうちにあるのを着てみて! それこそ売るほどあるのだから」
こうしてファッションショーがはじまってしまったのである。
「はい、まずはこれね」
渡されたのはひらひらとした襟のすとんとしたワンピースだ。
「これは頭から被るのかしら……」
「そうよ」
琴子がそれに着替えると、万喜は大きな拍手をした。
「まあ! かわいい」
「そうですか? へへへ」
初めての洋装を褒められて、琴子はまんざらでもなかった。しかし、それに冷や水を浴びせたのは美鶴の言葉だった。
「……万喜、これ子供服だろう」
「まあ……そうですけど……似合っているんですものいいじゃない」
「子供服……」
琴子の気分は一気にずーんと落ち込んだ。それを見て、万喜が慌てて補足した。
「これ、輸入物なのよ。ほらあちらの人は体格がいいから……」
「子供でも……?」
「そうよ。日本人は魚ばかり食べてるけど、きっとあちらはお肉をいっぱい食べるからだと思うわ」
「お肉……そう……お肉……」
ぶつぶつ言っている琴子に、万喜は姿見をばっと琴子の前に持ってきた。
「ほら、こんなに似合ってるのよ?」
「あらー」
琴子は鏡の中の見慣れぬ自分の姿にじっと見入った。
「さーて、私も着替えましょ。美鶴……あなたも付き合いなさい」
「はいはい」
そう言って、二人は隣の部屋に消えていった。その間に琴子は一人で、体を左右にひねってみる。
「確かに動きやすい。でも……足がなんだかスースーするべ」
そう自分を観察していると、隣から洋服に着替えた二人がやってきた。
「……すごい」
琴子はその華々しさに目を丸くした。若草色のすっきりとしたローウェストのドレスに帽子の万喜、そしてチャイナ風の立ち襟のブラウスにひだスカートの美鶴。どちらもよく似合っている。
「モ、モガってやつだ……」
「うふふふ。ほらそんなにデザイン変わらないでしょう? 琴子さんも立派なモガよ」
「久々のスカートは落ち着かないな……」
万喜はいたずらっ子のように笑い、美鶴はふうとため息をついた。
「……このまま銀座でもくりだしましょうか」
万喜はそう言って悪い顔をした。その言葉にさすがに琴子はブンブンと首を振った。
「それはだめだべ!」
「……べ」
「あっ……」
「かわいい……なんですの、今のもう一回……」
「嫌です……あと銀座にはちょっと……遅くなってしまうし……その……」
琴子は真っ赤になって俯いた。それを見た美鶴が、あ、と声を漏らした。
「もしかして……ズロース履いてない?」
琴子はこくこくと頷いた。さすがにこの丈のスカートで出歩く勇気は琴子には無かった。
「あらぁ、ごめんなさい」
万喜も多少反省したのか琴子に謝ってきた。
「でも、今度銀座にいきましょうね、その服はあげるから」
「え……」
「私にはサイズ合わないし。あ、これも。これも持って行って」
結局琴子は何着もの洋服を持たされて、万喜の家から帰った。
「素敵だけど……全部子供服か……」
そうぼやきながら家に向かっていると、とある店が琴子の目に入った。
「……よし」
***
「ただいま帰りました」
「おお、遅かったね」
家に帰るとすぐにひょいと顔を出したのは兄の清太郎だった。
「お友達の家にお呼ばれしたの」
「そうか、もう友達が出来たのか……。で、その包みはなんだい」
「洋服を貰いました。それからこれは……たま!」
琴子は女中のたまを呼ぶと、もう一つの包みを渡した。
「なんですこれ……牛肉!?」
「私、これから毎日お肉を食べるわ!」
「急にどうしたんです」
「お肉を食べて西洋人みたいに大きくなるの!」
そう宣言する琴子を見て、清太郎とたまは顔を見合わせた。