#4
近くにいる人間の顔も分からないほど暗い部屋の中で、リタは静かに頭を下げた。
「申し訳ありません。なんだか……変なことになってしまって……」
「報告書は読ませてもらった。男のほうも、この洞察力と直感は危険ではあるが――シーラと言ったな、彼女のほうは今後も監視を続けるとしよう。保有魔力量がこの報告の数字通りだと言うなら、とても放置しておくわけにはいかない。君のおかげで当面の危機は回避されたようだが、敵に回れば厄介だ」
落ち着いた男の声が応じる。部屋の奥の椅子にどっしりと腰掛けた男の手元で、書類に隠されていた文字が、流された魔力に反応して淡く光っていた。
「果たして、これは回避できたと言えるのかどうか……お手を煩わせて申し訳ありません。罰はいかようにでも」
「人聞きの悪いことを言うものではないよ。これまで君の活躍で、どれだけの同胞が救われてきたことか」
見せかけの最前線に強力な戦力を送り込み、真の重要作戦地点を空白に。リタの巧みな進路指導で、歴史にどれだけの変化があったのか――それは、もはやリタ自身にも想像することができない。
「すべては、魔王様が竜脈を得るため」
「ああ。未だ幼き御子様方も、いずれ力に目覚めることだろう。母胎の尊き犠牲が、次代に希望を繋いだのだ――我々は、この機会を無駄にすることなど許されない」
「ええ。……次はもっと、穏当な形でことが収まればよいのですが」
「そのためには、今度こそ王の首をすげ替えなければな。魔王軍を騙り、反抗的な村を焼き尽くす王だ。魔王を恐ろしい存在だと謗るなら、あやつ自身は何のつもりなのか」
「まったくもって罰当たりなこと……われわれ赤竜族の民は皆、あの王が成した所業の数々を許しはしません」
リタの身体が小ぶりの竜――小ぶりと言っても、人間を乗せて飛べるほどの大きさだ――に変化する。落ち着きなさい、と制する男の声。申し訳ありません、と軋んだ声で応じ、リタはヒト族に似た姿に戻った。
「それにしても……魔王を倒したい、か。未だにそのような連中がいるとは」
「彼らはあのラムダール事件の生き残りです。シーラはあまりにも強い魔力を持っていたために、自分たちを騎士団の目から隠蔽し、虐殺を逃れることに成功したのでしょう」
「あの愚行が、二十年経って未だに我々の悩みの種となるとは……敵ながら、なんと恐ろしい計略だろうな」
男の声には、一欠片の敬意も含まれてはいない。あるのはただ、深い侮蔑だけ。
「まったくです。何としても、あれを排除しなければ……しかしあの学校も、来年は新規入学者を取りません。私もそろそろ、今後の身の振り方を考えるときです」
「おや、次は自分自身の進路指導か。それもいいかもしれないね」
でしたら、あなたの愛人の席など空いてはいませんか――と口にしかけて、リタは胸に手を当てた。馬鹿なことを。今はまだ、色恋などにかまけている場合でもなかろうに。
「ならば――どうだね、わたしの妻の座など」
「え」
動揺のあまり、リタの姿が竜に転じる。
「聞けば件の少年少女は、ずいぶん仲の良い幼馴染たちだ……わたしたちとて、そう境遇は変わるまい? 少々年の差はあるが」
「なっ、あっ、あわわ……」
――それからしばらくして、リタは一波乱を起こしながら寿退職を迎えることになるのだが、それはまた別の話。
(終)




