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#2

「は? 魔王を倒したい?」

 分厚い眼鏡をかけた男――ドールドは、ガレアの言葉を聞いて一瞬だけ苦虫を噛みつぶしたような顔をすると、「こっちに来い」と来訪者たちを手招きした。

 ここは国立大学の生物学研究所。リタはガレアとシーラを従え、彼の後を追う。

「本来は部外者を入れていいようなところじゃねぇんだがな、他ならぬリタ先生の頼みとありゃ仕方ねぇ。……しっかし先生、いつまでも変わんねぇな。今いくつだ?」

「女性に年齢を尋ねるのは失礼ですよ」

「そりゃそうだな。ったく、ヒト族ってのはどうにも、個体の寿命じゃ他の種族に勝てねぇからなぁ……」

 言いながら、ドールドは倉庫の鍵を開け、扉の横に刻まれた魔法陣に手をかざす。ズズッと重い音を立てながら扉が開き、中からひんやりとした空気が溢れ出した。照明が自動で灯る。

「ここにあるのって……」

「貴重な生き物のサンプルだ、滅多に見れるもんじゃないからよく見とけよ。この大学には、もう絶滅しちまった動物なんかも剥製にして残ってたりするんだぜ。ここにあるのは主に、冷やしとかないと痛んじまうやつだな」

「生き物って……人間みたいなのもありますけど」

「おいおい、人間が生き物じゃないような言い方をするなよ。ヒトも竜も魔族も他の色んな連中も、人間ってのはみんな生きてんだぜ? 魔物だけはちょっとばかし精霊に近いから、『生き物』って呼んでいいかについてはいろいろと議論があるんだが――」

「その話はまたの機会にしてもらえますか」

「おっと失礼、先生には退屈な話だったよな」

 言いながら、ドールドは扉のついた大きな金属製の箱の前に立った。こっちに、と三人を手招きして近くに立たせてから、箱の周囲に魔法結界を張る。見えない部屋に鍵をかけるようなものだ。

「さあて、見たいのはこれだったな」

 扉の物理錠を外し、刻まれた魔法陣に手を当てて魔法的にも解錠。重い扉を開けると、箱の中にはひとりの女性が眠っている――ように見えた。

「これって……」

「正真正銘、『魔王』の亡骸だ」

 透明なスライムのような物質の中に封じられた遺体。よく見れば女性はヒト族ではない。額の角は砕け、背の羽はもがれ、それらもまた箱の中に封じられている。

「これが、魔王……?」

「見たことなかったか?」

「はい……公表されている絵姿は、もっとヒトから離れていたように思いますが」

「そりゃまあ……種族の数で言えば、ヒトみたいに変身できないほうがよっぽど少数派だからな。魔族とか竜族とか、その辺の『見た目』なんて不確かなもんさ。それに、最後はだまし討ちみたいなもんだったらしい。こっちの形態になる隙を、ずっと窺ってたんだろ」

 なるほど、とシーラがつぶやき、ガレアは興奮で口をぱくぱくさせている。

「こ、この魔王、本物なんですか」

「調査結果を見る限り間違いないね。コイツは魔族の変異個体だ。アレもコレも数字が桁違いだからな、あんまり長時間見てるとヒト族は体調崩すぜ。オレも夢中で解剖してたら半月くらい寝込んじまった」

 ガハハ、と笑うドールドとは裏腹に、シーラはぎょっとした視線を魔王の亡骸に向けた。ガレアは「いいなあ」と謎の感想を漏らしている。

「どうだい坊主、これでちったぁ信じられたか? 魔王は確かに倒された。人間ってのは、体内の血液と魔力の流れが完全に失われれば、もう蘇生もできない。魔王も人間のうちさ」

「魔王も、人間……」

 ガレアがぽつりと呟く。彼の心に変化を与えられただろうか、とリタが期待した次の瞬間。

「つまり、斬れば殺せる!」

「そういう問題じゃないでしょう! もう殺されてるんですよ!」

 駄目だ。まったく心に響いていない。

「いや、でも、魔王ですから。分身くらいできるかもしれないし、彼女は力の一部を与えられた分体かもしれない」

「ははっ、分身か。そいつはいいや、サンプルが増えれば色んな実験ができるぜ」

 笑うドールドとは対照的に、リタの表情は暗い。

 果たして、次はどこへ行くべきか。


 ◇


「こっ、これは! 本当に魔王の攻撃によるものなんですか?」

「間違いないっすよ。どうっすか、この滑らかな切断面。こっちもスゴイですよ」

 駄目だこりゃ。

 わずかな時間でそう悟ったリタは、シーラと並んで近くの椅子に腰を下ろす。

「いやー、よくこれだけのものを集めましたね」

「でしょう? あっしはとにかく魔王が大好きでしてね、この魔王博物館もずっと作りたかったんすけど、平和になってやっと堂々と開館できたってわけっすよ」

 そもそも魔王博物館って何なんだ、と思いながらリタは周囲を眺める。ガラクタにしか見えない数々の品に、仰々しく説明書きが掲げられている。最前線を飛び回る冒険者だったはずの彼が、一体いつの間にこんなものを収集していたのか。

「こんな博物館があったなんて……先生、よくご存じでしたね」

「開館記念にチラシを貰ったばかりでしたから。世の中には、魔王オタクというものが一定数いるんです」

「ガレア、とっても楽しそう……」

「そうですね。例えばここの職員になるのも、彼にとってはひとつの幸福と言えるかもしれません。ただ、収入までは保証できませんが……」

「ガレアの収入なんてどうでもいいんです。私が二人分稼ぎますから! それと先生、彼は魔王を倒すんです、こんなところで満足する男じゃありません!」

「そうやってあなたが甘やかすから、彼はいつまでも夢見がちなままなんですよ」

「何が悪いんですか? 夢を叶えたいパートナーのために二人分の生活費を稼ぐ人間なんて、世の中にいくらでもいるでしょう」

「その夢が無謀だから止めているんです! 先生だって、一年前ならもちろん彼の夢を応援しましたよ。とはいえ、仮に彼があと一年早く卒業して、騎士団の一員なり冒険者なりになって戦っていたとしても、結局は同じことだったかもしれませんがね。騎士団の人間は今や新たな職務に従事し、冒険者もあの館長のように、別業界へ次々と転職していく時期なんです」

「無謀だとか、時代じゃないとか、そんなの関係ありません! 世の中には、叶いそうにもない夢を追い求める人も、それを応援する人も沢山いるんです!」

「先生は、彼をもっと輝かせることができる人生がきっと他にあると信じているんですよ!」

「そんなことありません! ガレアは魔王の話をしている時が、一番カッコいいんです!」

 あ、この顔見たことある、とリタは思った。音楽家になりたいとか、画家になりたいとか、そういう夢を抱く人間を全身全霊で支えようとする人間というものは、世の中に案外多い。これまでは戦乱の手前それどころではなくなってしまうことが多かったが、平和が訪れたこの状況でなら、批難される可能性もずいぶん低くなっているだろう。

 だから理屈で言えば、リタが彼女たちを止める必要などないのだ。そもそも、ガレアとシーラの成績がもっとずっと悪かったなら、リタとて彼らの夢を許したのかもしれなかった。考えてみれば、それもひどい話ではあるのだが。

 そう。彼らが「何でもできる」だけの能力を持っているから、問題なのだ。

 リタは何度目かのため息をつく。すべての生徒を適切な場所に進学させたい、などというのは、自分のエゴなのかもしれない。

 ――だったらせめて、一人だけでも。

「シーラ。あなたは『自分が二人分稼ぐ』と言いましたが、どんな仕事をするつもりですか?」

「え? ええと、冒険者……でしょうか。それなら、ガレアに合わせて拠点を移すこともできますから」

「現実問題として、平和になった今のこの国で、以前のように冒険者が高い報酬を得ることは難しくなっています。実績のないあなたなら、なおさらですよ」

「……それは」

「試しに、平均の二倍程度の給与を稼げる職場をいくつか見学してみるのはどうですか?」

「そんなに色々あるんですか?」

 シーラが興味を示してきた。ようやく進路指導担当としての仕事ができる気がして、リタは大きく頷いた。


 ◇


「気象観測……ですか」

「ええ。この観測所が、国内すべての観測情報をとりまとめています。観測員には高い魔力保有量が求められますから、誰でもなれるものではありません」

 天候というのは国家にとって重要な情報だ。魔王との戦いが激化していた頃には戦場での天候を予測すること、あるいは変化させることが求められていたし、平和になった今でも各種行事のために天気予報は重宝される。すぐ先の天気予報だけではない。過去の記録を蓄積し、統計を取ることで分かることもある。とにかく需要が尽きることはないのだ。

 需要があり、なり手が少ないなら、給料は高い。

「同じ敷地内に治水観測所もあります。ダムや貯水池、地下水脈の監視も行う観測所ですね。こちらは気象観測所ほど採用基準が高くありませんが――」

「地下水脈……!」

 シーラがハッと目を見開く。ガレアがうきうきと口を挟みたそうにしている。

「言っておきますが、基本的にはただの水位調査ですよ」

「いや! でも! 地下の魔力の流れの変化は、水位にも影響を与えるのでは! 調べれば魔王の活動との関連も分かるはず……変化があればそれを皆に伝えて――」

「あ、観測所のデータは軍事機密ですから、そういうのはダメですよ」

 気象観測所の職員がさらりと釘を刺す。

「魔物の発生に関する独自研究は構いません、過去に天候との関係を分析した職員もいます。そこで何か発見した場合、基本的には国に上奏してもらって、必要があれば騎士団が動くという形になるでしょう」

「……それ、けっこう時間かかりそうじゃないですか?」

「気象観測は何年ものデータを積み重ねて行うものですから、もともと気の長い仕事ですよ。治水のほうは干ばつなどがあればすぐ動かなければなりませんから、もう少しフットワークが軽いでしょうが、それでも職員が直接動くことはありませんね」

「ぐっ……」

「どうしても動きたいなら、うちなんかより、独自データを取っているところに行ってみたらどうですか?」

 なるほど、とリタは考え、ある卒業生の顔を思い浮かべた。


 ◇


「へぇー今年卒業! それで就職先を? なーるほどねぇ」

 うんうん、と頷いた男――コラッツは、ガレアの話を興味深そうに聞いた末に、「いいねその話、ちょっと記事一本書いてみない?」と提案する。

 ここは新聞社。と言っても、国営の新聞社のように「きちんとした」記事を書くようなところではない。得意な分野は有名人のゴシップと球技の試合結果。基本的にいつも適当なことを書いているので、「信頼できるのは日付だけ」とまで言われる新聞だ。とはいえ、その記事の内容は多岐にわたり、たまに予想外に鋭い記事を出してくることもある。

「ウチも魔王関係は色々取材してるからねぇ! 騎士団は隠してるけど、実は魔王は生きていた! とかってなったら、ウチの特ダネになるし!」

「は、はあ……」

 ガレアとシーラが不安そうに顔を見合わせる。

「もし本当に特ダネ取ってくれば、ウチはボーナス弾むよ! そこんとこ実力主義だからね。美味いネタを取ってきた人には、ちゃんと報いる! 必要な経費はちゃんと払う! 飲み代も経費で落とせるから、ウチはとってもホワイト企業だよ!」

「ホワイト企業?」

「あれ、聞いたことない? ブラック企業とホワイト企業って」

 就業規則がきちんとしていて、必要以上の叱責、ましてや暴力なんてものはなく、健全に働ける会社――とコラッツは自分たちの会社について語った。優良企業というのも考え方次第だな、とリタは思う。

「つまりその逆がブラック! 今まではあんまり問題にならなかったけど、やっぱり平和になるとみんなそういうところ気にし始めるからね。実際、これからの時代はみんな変わって行かなきゃいけないと思うし」

「な、なるほど……」

「むやみに標的の家の前に何日も居座るのも疲れるから、そういうことするよりはサクッと証拠を捏造して帰る、それが働き方改革ってやつさ!」

「な、なるほど……?」

「どうせみんな、欲しがってるのは本当のことじゃなくて、『信じたいこと』だからね! 新聞はエンターテインメント!」

 コラッツの言葉を圧倒された顔で聞いていたガレアは、ハッと我に返った顔になり、大きく首を振る。

「魔王はエンタメじゃないんですよ! 俺は、本当に、本気で……っ!」

「たとえそうだとしても、まずは伝わらないことにはね」

「俺は! そういう小細工じゃなくて! 正々堂々、魔王を倒したいんです!」

 リタは口を開きかけたが、下手に口を挟んでも聞いてはもらえないだろうと考え直す。コラッツもそんな風に言われることには慣れているのか、嫌な顔ひとつせずにガレアの相手を続けていた。この社交性と面の皮の厚さが、記者としての資質というものなのかもしれない。

「正々堂々、ね……人間も魔王も、どうせ『正々堂々』なんて考えてはいませんよ」

 つぶやいたリタの言葉は、誰にも聞かれることなくひっそりと消えていった。

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