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#1

「それでも俺は、魔王を退治したいんです!」

「ガレア君。きみ、先生の話、聞いてましたか……?」

 進路指導室は校舎の北側にある。窓も小さく、薄暗いこの部屋だが、今日ばかりは様子が違う。原因は、リタの目の前に座る赤い髪の暑苦しい青年――ガレア。

「はい。魔王は半年前に、完全に討伐されました。それに伴い、魔王の配下たちも活動停止、もしくは消滅。少なくとも、騎士団はそのように発表しています」

 ガレアの隣で、彼の幼なじみであるシーラが小さく手を挙げて答える。整えられた亜麻色の髪に翠玉色の瞳をした、美しい少女だ。

「ありがとう。それを踏まえて、あなたたちの進路希望を、もう一度言ってもらえますか?」

「魔王を退治したいです!」

「私は、魔王討伐に向かうガレアを支えたいと思っています!」

「なんでやねん!」

 思わずリタの口から故郷の訛りが飛び出す。

 こほん、と咳払いして眼鏡を押し上げ、リタは「冷静になれ」と自分に言い聞かせる。瞳の中にキラキラとした情熱を燃やすガレア。一見ふんわりして大人しそうだが、こっちはこっちでまるで人の話を聞かないシーラ。こんなはずではなかった。ふたりは学業優秀、品行方正、とにかく優等生で知られていたはずなのに。

「確かにこの学校は、魔王を討伐できる人材を育てるために作られました。でもね! 時代は変わるんです! 今ある職業が十年後も存在することを当たり前だと思わない!」

「俺たちはこの学校で、決して諦めてはいけないということを学びました!」

「その前向きな気持ちはいいと思いますよ、気持ちだけは! ですが、あなたたちの成績ならば、他にいくらでも道はあります。魔王が去った今、傷ついた国土を立て直すためには騎士団に入るのもいいでしょう。民間のほうが良ければ、大商会の私兵団という手もあります。彼らがいるからこそ流通という血流が途絶えることなく、国の隅々にまでものが届く」

「でも魔王は倒せません!」

「もう、どこに行ったって魔王は倒せませんよ!」

 窓から射し込んだ光の中に、雪のようにホコリが舞っている。それさえも今は鬱陶しく感じられた。今はしばらく、キラキラしたものは見たくない気分だ。

「先生は、優秀な生徒をみすみす無職にしたくはないんです! この学校にはたくさんの税金だって使われているんですよ、それは優秀な生徒が国の役に立つと信じているからです! 遊び人を生むためではありません!」

 はい、とシーラが発言権を求めて手を挙げた。

「先生のおっしゃる通り、騎士団も私兵団も、とても立派な仕事だと思います。ですが……一人くらい、魔王討伐を目指す人間がいてもいいと思うんです。未来のことは分かりません。いつまた魔王が復活するか、誰にも分からないのですから」

「未曾有の災害にそんなにホイホイ復活されたら、この国はとっくに滅んでいます!」

 眼鏡を投げつけたい気持ちをぐっとこらえて、リタはこめかみを押さえた。

「だいたい……魔王を退治するって言ったって、何をするつもりなんですか。魔王なんて、ただ『出てこーい』と言ったところで出てくるものではありませんよ」

 ガレアが視線を落とし、肩を震わせる。説得が効いたのか、とリタが期待した瞬間、ガレアはパッと顔を上げて。

「よくぞ聞いてくれました!」

 その弾んだ声を聞いた瞬間、リタは自分が作戦を間違えたことに気付いたが、もう遅い。

「こちらが過去の魔王の侵攻ルートと騎士団との戦闘位置を地図上にプロットしたもので」

「あなたそれいつも持ち歩いてるんですか!?」

 強化紙でできた大きな国内地図をガレアが広げれば、シーラがさっと手を伸ばし、その地図に魔力を注ぐ。地図の上に次々と光のピンが立ち、その波が国の周辺部から、少しずつ王都へと向かっていくのが分かる。およそ二十年にも及んだ、魔王軍の苛烈な侵攻。しかし王国もただやられるばかりではなく、近代魔術兵器の急速な進化と共に、魔王軍を北の果てへと追い詰め、そして徹底的に殺戮した。

「この侵攻ルートがここ、エルデリア平原の南で曲がっているのがお分かりかと思いますが、俺はこれを地下水脈の影響とみています」

「その説は、ずいぶん昔に流行ったもので、最近は否定されているはずじゃ……」

「そこです! 俺はその間違った結論こそが、戦争を長引かせた原因だと思ってるんです! 地下水脈を巡る魔力は、必ずや魔王と関係し、そしてそれこそが魔王の真の目的であったと俺は思っているんです!」

 ぐい、とガレアが身を乗り出す。

「地下水脈説の否定派の論文としてはディフォン・シベルの調査が有名ですが、この論文の実験には致命的な欠点が二点ありまして、まずは前提の」

「ち、ちょっと待ちなさい!」

 立て板に水とばかりに喋り始めたガレアの口を、手で物理的に塞ぐ。

「そういうのは生物学か歴史学の先生と論争してください、今は! そんなことより! 進路指導の時間です!」

「先生、そうやって手を出すのは体罰に」

「シーラ! あなたも本当にガレアのことを思うなら、もう少し現実を見たらどうですか! たった一人の、大切な幼なじみなんですよね? いつもそう言ってますよね?」

「だからこそ、私はガレアの一度きりの人生を、悔いのないものにしたいんです!」

「先生だって、あなたたちの人生を悔いのないものにしたくて言ってるんですよ! あなたたちよりは長く生きている分、そうやって身を持ち崩して、『新卒で普通に就職したほうが楽だった』と嘆く人を、何度も見てきているんです!」

「私たちは、楽をして生きていきたいわけじゃありません!」

「ほーが! ほーが!」

 そうだそうだ、と言っているらしいガレアの口から手を離し、手をハンカチで拭ってから、リタは目の前の夢見がちな若者たちを正面から見つめる。

「はっきり言っておきますが、今年は魔王が倒されたことで、採用状況が大きく変わります。長く採用を控えていた企業も、今年は新卒を採るところが多い。つまり売り手市場と言っていいでしょう。けれどそれは、あなたたちが新卒という強力なカードを持っているからです。もしこのカードを逃して中途採用の枠を狙うとなれば、あなたたちが戦わなければならない相手は、いま就職市場に放出されようとしている大量の人材――すなわち、これまで魔王と戦ってきたフリーの冒険者たちなんです!」

 冒険者ギルドの構成人数、これまでギルドに持ち込まれていた依頼のうち報酬額ベースで見た魔王関連依頼の割合。そこから算出される、今後失業すると思われる冒険者の数。それらを見せても、ガレアとシーラにはまるで響いた様子がない。

「あなたたちは確かにとても優秀です。けれどそれは、同じ新卒の生徒たちの中で比べたときに、という話です。冒険者の中には高い魔力を持つ者も多い。剣の腕は言うに及ばず、交渉や経理が得意な者だっていくらでもいます。もちろん、あなたたちも社会でそれなりにスキルを身につけるでしょう。けれど、これから魔王のいない世界を生きていくあなたたちが積める経験は、修羅場をくぐってきた彼らと同じものにはならないんですよ! 今年に限り、新卒カードを逃したときの損失は、あなたたちが思っている以上に大きいんです!」

「いや、大丈夫です。俺、魔王を倒しに行きますから」

 リタの こんしんの いちげき!

 しかし ガレアには きかなかった!

「……そうですか」

 この方向性ではダメだ。リタは必死に頭を回転させる。これまでの生徒たちにはどうやって進路を指導してきた? いや、去年までは悩むことなどなかった。魔王を倒すために作られた学校なのだから、魔王を倒すための職業に――本人の適性や職業の危険度を考慮しながら――送り出せばそれで良かったし、ポストが不足することなどなかったではないか。

 時代に合わせて変わらなければならないのは彼らだけではない。リタ自身も同じことだ。もはやこれまでのメソッドは通用しない。

「分かりました。では……魔王を倒しに行くのではなく、魔王が現れたとき、それを倒す役に立ちそうな職業に就く、というのはどうですか」

「それは……たとえば騎士団で諸国の警備をするとか、そういうことですか?」

「もちろんそれも選択肢のひとつです」

「ダメです!」

 ガレアが力強く叫んだ。

「俺たちの村みたいに、魔王に襲われて、みんな殺されてしまってからじゃ遅いんです! 今でもあの時の、皆が殺されたときの風景ははっきり思い出せる……俺は、魔王軍がふたたび魔王軍として組織される、その前にヤツらを叩きたい!」

 彼の言葉を、リタは眉ひとつ動かさずに聞いた。それはあまりにも「ありふれた」過去であり、この学校においては、わざわざ振りかざすほどのものですらないのだから。代わりにひとつ息を吸い、優しく、落ち着いて、と自分に言い聞かせながらガレアに語りかける。

「魔王と呼ばれている個体はすでに討伐されています。次に魔王と呼ばれる個体をどうやって探すつもりですか? まさか国内の魔族を根絶やしにするなんて人種差別的なことをするわけにはいきませんし、そもそも魔王が魔族から生まれるかどうかすら定かではない。伝説によれば、かつて神の御使いが悪魔にそそのかされ、魔王となったことさえあるといいます」

「魔王は強い統率能力で魔物を従えることができます! それこそが魔王の証!」

「その定義は乱暴ではありませんか? 魔物のテイミング技術を持つ冒険者は沢山いますよ。彼らをすべて魔王候補だとでも言うのですか?」

「魔王は別格です! それに先生、俺はまだ魔王が倒されたとは信じていません!」

「……そういう考え方を持つのは結構なことだと思いますが、あまり余所でするものではありませんよ。たとえ校内でなら許される発言だとしても、城下ですれば騎士団の行動を疑う不敬な行為になります」

 魔王が「復活する」と口にすることと、「倒されていない」と口にすることは、似ているようでまったく違う行為だ。王が従える騎士団の最高責任者が、公式な場で「倒された」と発表したのだ。すなわち、それこそが「王が認めた真実」であり、それに異を唱えることは王の権威を疑うことにもなる。

「この国には言論の自由というものがありますが……それでも、言っていいことと悪いことというものがあるんです」

 誰が見ても分かるような悪政への批判であれば、耳を貸す者もいるだろう。しかしこれはそういう話ではない。

 リタは一度目を閉じ、息を吐く。落ちつけ。魔王憎さのあまりに彼らの目が曇っているのだとしたら、未熟な彼らを導くのが教師としての務めではないか。

 だとすれば、今できることは、いったい何か?

 しばしの黙考の末、リタはひとつの結論に達し、目を開けた。

「あなたたちには、もう言葉で説明してもどうにもなりません……こうなったら、卒業生のところへ社会見学に行きましょう!」

「……社会見学?」

 またの名を、OB訪問。

 進路指導における、ひとつの重要行事である。

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