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夜空の三日月

作者: ウサギ

建物のバルコニーから夜空を見上げると、空の低い位置に三日月が掛かっていた。

むかし彼と一緒にこの月を眺めことを思い出す。


「三日月ってさあ、あの抉れた部分は人が座るのにちょうど良く見えるよね。子どものころは、空まで登って、あそこに座ってみたいなとか思ってたんだ。でも、あれって光が当たってる所しか見えてないだけで、本当は月は一切欠けてないんでしょ。それを知って騙されたと思ったよ」


「ええ、そうね。たしかに騙されるわね」


そう言って二人で笑いあった日のことを。彼は私の隣にはもう居ない。





彼、レイデンは私の夫だ。今も書類上はそうなっている。私、ユリアも彼も伯爵家に産まれて大切に育てられた。もともと屋敷が近いこともあって幼馴染だった。親が忙しいときは二人でよく遊んだ。その二人の仲の良さを見て両家が家柄も釣り合ってるしこれ幸いと、そのまま婚約者に仕立て上げた。もちろん私もレイもこの結婚に不満はなかった。



私は何でも知っている物知りなレイが好きだった。目の前に生えている草から、空高く飛ぶ鳥、世界の果てにある国のことまで何でも知っていた。


「レイって物知りね。憧れちゃう」


「いや、僕が持っているのは本から知った雑多な知識だけだから……」


「謙遜しなくていいのに。せっかく褒めてあげたんだから、ありがたく受け取ったら?」


「そうだね、ありがとう」


「!」


豊富なレイの知識が雑多だったら、私の知っている事なんて取るに足らないものになってしまう。悔しくて、つい強い口調で言ってしまった。それなのに、レイは優しく微笑んだ。その笑顔にまさしく私は恋に落ちた。


「どうしたの、俯いて。気分が悪いの?大丈夫?」


「なんでもないの、大丈夫」


レイは突然様子のおかしくなった私を心配して覗きこんでくる。まさか、レイの顔が眩しすぎてなどとも言えずに、とりあえず否定の言葉を吐く。


「そう、それなら良いんだけど。今日は日差しも強いし、日にあてられたかなって思って。涼しいところに移動する?」


「ええ、心配してくれてありがとう」


あてられたのはレイの笑顔にだよ!って言いたかったけど、そんなこと考えてるのも恥ずかしい。レイは真剣に私のことを心配してくれてるのに。


「そうだ、ユリアも王宮の書庫に行ってみる?屋内だから涼しいよ」


「いいの?」


「もちろん。僕の友達って言えば入れるよ。それとも興味なかった?」


「ううん、そんなことないよ。そこにどんな本があるか気になってたの」


「じゃあ、良かった」


実はレイの家は代々王宮の書庫の管理にあたる役職についている。だからレイも色々な本を読む機会に恵まれたと言うことらしい。

そうしてその日から私は王宮の書庫に入り浸るようになった。さすが王宮のものだけあって膨大な量の本がある。最初はレイと一緒に行っていたが、通い詰めるうちに衛兵さんに顔を覚えられ、今では一人で行っても顔パスで入れるようになった。

そこで、レイの知らないような知識を仕入れて、レイに披露するというのが私の密かな楽しみになった。





「ねぇ、ユリア」


「どうしたの?」


「僕の妹がいろんな装飾品を見せびらかしてくるんだけど、僕には全然価値が分からないんだ」


「そう?宝石とか綺麗じゃない?」


「まあ、綺麗なのは認めるよ。でも宝石ってSiO2でしょ」


「たしかにね、ふふっ」


あまりのレイの言いように思わず笑ってしまう。


「そんなに僕、おかしなこと言った?」


「うん、間違ってはないけど……」


「じゃあ、いいや」


「ふふっ」


冗談でなくて真顔でそんなことを言うから笑ってしまう。


SiO2は二酸化ケイ素の化学式だ。宝石を含む大抵の岩石の主成分。そこに少し含まれる金属元素が宝石の価値を変える。

レイはときどき、そういった話の前提知識を省略して話す。いつだったかレイに聞いたこともあった。


「そんな色んな事知っている前提で話して、みんなに嫌がられない?というか、通じるの?」


「いや、僕だってさすがに誰彼構わずそんな話しないよ。ユリアだからね」


「そう、安心した」


レイが私の知識に信頼を置いてくれているのは嬉しい。それに、私だけに分かるってのは、二人にしか分からない秘密の話をしているみたいだ。そう思ったけど照れ臭くなって、思わず素っ気ない返事をしてしまった。


「ユリアといる時は余計な気を回さなくて良いからね。ずっと一緒にいるなら、やっぱりユリアがいいね」


「!」


確信犯なのか天然なのか、レイはときどきこう言うことを言う。素敵な笑顔のおまけ付きで。レイは本心だからとのたまわってたが。







結婚してからも私とレイは仲良しだった。お互いの間に信頼関係もあって、それ以上にレイは私を大切にしてくれた。



私が風邪を引いて熱を出した日には、付きっ切りで看病してくれた。


「ユリア、大丈夫?」


「そんなに心配しなくても、大した風邪じゃないんだから、寝てれば治りますよ」


「それでも心配だよ。風邪で食欲無いんだって?リンゴ買ってきたけど食べる?」


「どこから聞きつけたのやら……。いただくわ、ありがとう」


大方、私がメイドさんに昼食は要らないって言ったのが、レイにまで伝わったんだろうけれど。ずっと寝てばかりいるのだから、そんなに食事なんて要らないのに。そう思いながらもレイに心配してもらえるのは嬉しい。


「よいしょ」


レイの方に目をやるとリンゴとともに包丁を取り出した。


「まさか、レイが自分で剥くの?」


レイが包丁を使えるなんて初耳だ。貴族の男性なんてよっぽどの事がない限り自身で料理なんてしないだろうに。


「だってユリアに剥かせたら危ないでしょう?」


「でも……」


「ユリアのためにできる事ってこれくらいしかないから」


そう言って、おぼつかないながらも、なんとかリンゴを一つ剥き終わった。食べ易い大きさに切り分けて、私に渡してくれる。


「どうぞ」


「レイがわざわざ剥いてくれたと思うと、特別に美味しいわ」


「良かった」


レイが自分のためにリンゴを剥いてくれる、他愛もないことだけど幸福を感じた。





そんなレイの様子がおかしくなったのは結婚してから半年ぐらい経った頃だろうか。


以前は夕方に王宮から帰ってくると、真っ先に私のもとへやって来て今日起こった事などを色々話してくれる。時には王宮で起こった問題の解決を相談されることもあった。しかし近頃は、私のもとへ来て話はするもののどこか上の空で、長時間話し込むことも無く、考えたいことがあるからと自室にすぐに籠もってしまうようになった。相談に乗ると言っても、大丈夫、心配しないでの一点張り。


もう私は信頼されて無いのかと思うと悲しくなった。彼と見上げた三日月のように、彼にも私には隠れて見えない面があったんだろう。


しばらくしてレイに話があるから聞いてほしいと言われた。


「どうしたの、真剣な顔しちゃって?」


「ユリアに謝らなければいけないことがあるんだ」


「まさか浮気?なーんてね。レイがそんなことするわけないよね」


「……、すまない」


「えっ」


冗談で言ったつもりだったのに、本当だった。レイは誠実な人だと思っていたのに。あまりのことに頭が回らない。


「ユリアには本当に申し訳無いと思っている」


「あ、相手はだれ……。子どもでもできたの……」


「王宮に呼ばれた踊り子の女性だ。子どもなんてまさか、とんでもない」


「そう」


「彼女は宝石のように輝いていて一目惚れしてしまったんだ」


「以前、宝石なんてSiO2って言ってませんでした?」


つい皮肉で返してしまう。


「あぁ、今までそう思ってた。でも、やっと今宝石がなぜ人々に称賛されるか分かった気がするんだ」


「わかったわ。それで私にどうしてほしいの?別れればいいの?それとも、彼女を愛人にするから許して欲しいって?」


「いや、違う。僕はユリアのことを大切に思っている。本当だ。そんなユリアを蔑ろにするようなことはしたくない」


「嘘でしょ。だったら浮気しないでよ」


「今までずっと僕と一緒に居てくれたユリアには、感謝してるんだ」


「そう」


「それで、ユリアはどうしたい?」


「ふーん。さっさと、その女性と別れればいいじゃないの」


それで、レイが反省して態度を改めたら今回のことは大目に見てあげる。そういうつもりだった。大概、私もレイには甘い。


「いや、それはできない。彼女に恋をしたという事実は変えれない」


「やっぱり、私なんてどうでもいいのね!」


「違うんだ。ユリアの事が本当に大切だから悩んでいるんだ」


「大切、大切ってね!口ばっかりじゃなくて、態度で示してよ!もう、知らない!勝手にして!」


そう言って、私はその場を去って部屋で泣き崩れた。一体レイは私のどこが気に入らなかったのだろうと思いながら。






次の日の朝、彼はもう屋敷には居なかった。荷物をまとめて出ていったらしい。

ここはもともと彼の屋敷なんだから、追い出されるのは私の方なのに自分が出ていくなんてレイらしいと、彼の優しさを思うと涙が出てきてしまう。私を追い出したら、行く宛もなく困ってしまうを思ったのだろう。別に実家に帰るから良いのに。


最後の別れのつもりでレイの書斎を見に行った。


レイの机の上に手紙が置いてあった。ユリアヘとレイの字で書いてあった。手にとって見てみる。




ユリアへ


今までありがとう。

今更かもしれないけど、僕はユリアに誠実でありたいと思っている。だから、今僕の思いをなるべく全てここに書いておこうと思う。長くなってしまうけど、最後まで読んでくれると嬉しい。


ユリアの事は大切だし、僕の結婚相手としては勿体無いくらい素敵な人だと思う。いつも笑顔で僕に元気をくれた。ユリアと一緒にいて楽しかったのは本当だ。でも、それはユリアの事が友人として好きだったんだ。今回、彼女に会わなければユリアが一番好きで、僕はユリアと結婚できて幸せだと思っていた。

でも、彼女に会って恋を知ってしまった。もう、知らなかった僕には戻れなかったんだ。僕と彼女では身分が違うし、彼女は流浪の身。一時的な恋として、このまま忘れてしまうのが良かったのかもしれない。でも僕はユリアが大切だった。それに彼女と二度と会わないとしても忘れることはできそうになかった。だから、ユリアが一番好きでない僕なんかに、ユリアの隣にいる資格はないと思った。だから僕はここを去る。彼女と一緒に旅に出る。


せめてもの詫びのつもりで、この屋敷の名義はユリアにしたから好きに使ってほしい。

僕が女性と駆け落ちしたなんて、ユリアの名誉に関わるから、両親には世界の果てを見に旅に出るとだけ伝えた。僕が戻って来ることはないから、きっと僕は行方不明扱いで、ユリアは未亡人になってしまうだろう。でも、僕よりも素敵でユリアを大切にしてくれる人がいるだろうから、そういう人と幸せになってほしいな。こんな勝手な男でごめんね。


昨日ユリアにどうしたいって聞いたのは、もしかして私は2番目でも良いよ。彼女の思い出は心の奥に仕舞っておきなさいって言ってくれないかって期待したんだ。でも、そんなユリアの気持ちを踏みにじるようなこと、してはいけなかったんだ。

ほんとうに、未練がましいよね。もう、僕のことは忘れてくれて構わない。


僕の言えた義理ではないけれど、幸せになってください。


あなたを想って

レイデン






手紙を読むとまた、涙が出てきてしまう。別れの手紙なのに恋文みたいで、悲しいのに嬉しい。

浮気相手のことなんて心に秘めて、上手くやっている男なんていくらでもいるのに。レイは誠実だから、少しでも他の女性に心を移す自分が許せなかったのだろう。その女性と二度と会わないのなら、私は許すのに。そばにいて、楽しく過ごす、それで十分。そのぐらい私はレイが好きだったんだから。

なんて、今更思ってもどうしようもなかった。

レイが居ないと幸せになんかなれないよ!って一言言ってやりたかった。






レイの行方が分からなくなってから、一年は経った。

もういい加減レイがいないことにも慣れた。しばらくは後でレイには話そうと思って、すぐにレイはいないことに気がついて落ち込む、といったことを繰り返していたが。


友人たちも仲良くしてくれている。今日も午後からお茶会に呼ばれている。出会いの方は残念ながらさっぱりだが。長年一緒に過ごして気心の知れた、レイ以上の男性なんていないってわかってはいたけど。



「ユリアさん!こんにちは!」


レイの妹だ。レイが居なくなってからも変わらず、私と仲良くしてくれている。彼女には感謝しかない。彼女の明るさに救われている。そして彼女のなかにあるレイの面影に。


「どうしたの?」


今日はなんだか慌てている。急いでやってきたのか少し息を切らしている。


「うちの馬鹿な兄のことをまだ忘れないでくれる健気なユリアさんに一つ聞きたいんだけど、あの馬鹿にまだ会いたい?それとももう二度と見たくない?」


「えっ、まるで会いたいって言ったら会わせてくれるみたいに言うのね」


「そうよ!」


「うそ!会いたいわよ!どこにいるの!」


「分かったわ。待ってて。引っ張ってくるから!」


「ええ、お願い!」




しばらくして入り口で男女の言い争う声が聞こえた。


「いいから、来なさい!」


「でも、僕にユリアに会う資格なんて……」


「資格なんていいから!」


扉から顔を出すと、文字通り妹に引きずられるようにしてレイがいた。


「レイ!少しやつれたんじゃない?元気にしていたの?」


「ユリア……」


私を見てレイは申し訳なさそうな表情を浮かべている。


「この屋敷の周りを不審者が連日うろうろしてるって、お宅の執事から連絡を受けたの。で、様子を見に来たらどうやらうちの馬鹿な兄らしいから、捕まえたの」


「僕はただ、ユリアの元気な姿を見れれば十分だったんだ…」


「ふーん。またそういうことを言って。踊り子の女性と仲良くやってるんでしょうに」


「いや、……」


「違うの?」


「……」


「どうやらうちの兄は、ユリアのかけがえの無さに今更気がついたようですよ。で、半年ぐらい前にはこの街に戻ってたけど、ユリアに会わせる顔がないと。でも、やっぱり顔が見たいと最近ここら辺をうろうろしてたらしいよ」


「あら、そうなの?」


「僕は情けない人間ですよ。ユリアと離れてやっとユリアのいない寂しさに気がついたんだ」


「一目惚れの恋はどこにいったの?」


「彼女はたしかに美しい。でも、会話をして一緒に過ごすとなるとやっぱりユリアじゃないとだめなんだ。本当に今更だよね。許してほしいとは言わないよ。でも、叶うのならただの友人で構わないから、僕をそばに置いてくれないかい」


「へぇ、友人として?」


「いや、図々しい願いだね。遠くから見守るだけでも十分だよ。それもだめかな?」


レイが真剣にお願いをしてくる。見守るなら許可も何も無く勝手にすればいいのに。やっぱり私の知っている、そして大好きな妙に律儀なレイだ。


「仕方ないわね。許してあげますよ。残念なことに私にはレイ以上の男性が見つけられなかったし。人間誰しも失敗するものね。でも、次はないわよ」


「ええ、もちろんです。これからの人生をユリアに捧げますよ、というか受け取ってください」


「じゃあ、ありがたく貰いましょうか。そういえば、私も一回くらい失敗しても許してもらえるよね」


「そうしたら、僕でよろしければユリアが戻ってくるまで待ちますよ」


「そこは、ユリアを逃さないよじゃないの?」


「ええ、できたらそうしたいね」


やっぱりレイがそばにいると楽しい。




読んで下さりありがとうございましたm(_ _)m

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