ウソから出るもの
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
こら、こー坊。あんた、またウソをついたね。
あの扇風機壊したの、あんただって周りのみんなが言っていたよ。確かさっき、あんたは「扇風機がいきなり動かなくなった」って、あたかも自分は悪くないように話していたろ?
でも、あんた。不用心に叩いて動かなくして、逃げたらしいじゃないか。次に見つける誰かのせいにでも、しようとしたんじゃないのかい?
やれやれ、あんたくらいの頃からよく見かけるようになるよ。自分は悪者じゃないってイメージを守りたくて、ウソをつきたがる子をさ。
気持ちは分かるけどねえ。ウソをついたり、黙っていたりしたばかりに、取り返しがつかないほど、事態がひどくなる時があるんだよ。
――ん? 「ウソも方便」という言葉もある?
ほう、難しい言葉を知っているね、こー坊。
でも、今ここで使うのは、見苦しい言い訳にしか思われない。友達と言い争う時は、注意しな。
そして、その言を口にした以上、もう、あたしはあんたを無知なガキとは扱わない。
どうしてばあちゃんがウソがダメだというか、その理由を話してやろう。
江戸時代も、もう終わりごろのこと。
その男の子は祖父と母によって育てられていたのだけど、周りのみんなと遊ぶような年頃になり、彼らが父親と一緒に帰る姿を見てから、頻繁に母や祖父へ尋ねるようになる。
「僕のお父さんは、どこにいるの?」と。
それに対して、母も祖父も口をそろえて答える。
「死んでしまって、会うことはできない」と。
その言葉は、死が永い別れであることを、彼に教え込むきっかけにはなった。でも実際には母と祖父は揃ってウソをついていたんだ。
彼の父親は、母とは将来を誓い合い、結婚も間近だった。
けれど、つまらないいさかいがもとで人を殺めてしまい、御用。島流しの判決を受けたんだ。
いつ帰ってこられるか分からない。でも、もしも赦免の沙汰が降りたら、一緒に暮らそうと、引っ立てられる際に二人は改めて約束を交わす。
この時、母親はすでに男の子を胎の中に宿していたんだ。それを親に知られて、実家を追い出されてしまっていた。
父親側に関しては、祖父は事情を把握し、一緒に暮らすことを提案してくれたものの、祖母は最後まで首を縦には振ってくれなかった。
――息子を奪った憎い女だ。この女のせいで息子は、本来なら負わずに済んだ罪を、負ってしまったんだ。
孫? こんな鬼女の胎から出たものと血がつながっているなどと、考えただけでおぞましい。二度と私の前へ顔を見せるな。
結局、母親は実家からずっと離れた長屋の一室に部屋を借り、そこで暮らすようになる。
祖母も、本当は孫を抱きたかったろうにねえ。その時は生きて、その手で触れ続けていた息子の悪事に対して、気持ちの整理がつかなかったんだろう。
祖父が母のもとをしばしば訪れ、孫が生まれてから、その世話を見ることをとがめなかった辺りも、未練の現れだったのかもしれない。
けれども、生きて再び父親と会えるかは、お上の沙汰次第。
――もはや会えない心積もりを、しておいた方がいい。
そう考えた二人が、息子には流刑の件を伏せて、父親が死んだものだと伝え続けたんだ。
「いつか会えるかもしれない」という淡い期待を、息子にまで枷としてはめたくない。
そう考えての、優しいウソのつもりだったけど、二人は胸の奥が痛むのを感じたそうだね
え。
一方の息子に関しても、当初は話を額面通りに受け取っていたけれど、あることをきっかけに、母親たちの言葉に疑念を抱くようになる。
それは流刑者への仕送り。流刑に課せられたものを対象に、年に二回、身内のものからの仕送りが集められ、罪人に届けられる機会が設けられていたんだ。
その時期になると、母も祖父もそわそわとし、仕送りを集める日になると決まって外出をしていく。
家を出る時には物を持たず、「ちょっとその辺りまで」で通用しそうな軽装。送り出す側としては、怪しむ点はなかった。
けれどある年。彼は外へ出ている時に、母親が大きな風呂敷を背負って、仕送りを集める場所へ歩いていくのを目撃してしまったんだ。密かにあとをつけていった彼は、普段、近寄ることを禁じられている祖父の家の裏手で、祖父と母親が落ちあっているのをのぞくことになる。
彼は察した。家に出る時に何も持たなかったのは、自分の目をあざむくためだと。
本当は祖父の家の近くで落ち合い、あらかじめまとめておいた仕送りの荷をかつぎ、届けたのちに、何食わぬ顔をして家に戻ってくる……。
――僕の父親は、実は生きているんじゃないのか?
もちろん、仕送りをしている相手が、彼の知らない身内、親戚の誰かという線もあり得る。
だけど、毎年の仕送りの時期が近づくたびに、物思いにふけることが増える母親の姿を見ていると、相手はかなり近しい者。
そう考えると、死んだと聞かされてきた父親が該当するのでは。
彼は強く思いながらも、母親の働く背中を見ると、改めて尋ねる気にはなれなかったそうだねえ。
それから十数年の時が過ぎる。
母子を守り、育ててくれた祖父はすでに世を去り、大きくなった息子は飛脚の仕事をしながら、一家を支えるようになっていた。男ぶりも発揮して、女にもそこそこもてていたとか。
母親も髪に白いものを混じらせながらも、昔ながらの内職を続けている。最近、胸を押さえると共に、嫌なせきをすることが増えている。
それでも母親はいまだ、息子から隠れるようにして、ひっそりと仕送りをし続けていたらしかった。
ある日の早朝。息子が仕事へ出かける前、唐突に役人が家にやってきて、こう告げたんだ。
「ご赦免の沙汰が下りた。今度の船で帰ってくる」って。
それを聞いた時、母親は何よりも先に、気を失って倒れてしまったみたい。
息子に介抱されて意識を取り戻した母親は、横になりながらも息子にこれまでのウソを詫びた。その上で堰を切ったように、父親とのかつての思い出を語り始めたとのこと。
息子はその日の仕事を休み、喜色を満面に浮かべる母親の話に耳を傾けていたけれど、彼自身としては正直、どうでもいい感じがしたようだねえ。
ずっと接し続けてくれた祖父の方がよっぽど、父親らしい人という印象を持っている。そこへ「ぽっと出」の男がやってきたところで、いかように接すればいいのやら……。
そして迎えた赦免の当日。
家へと招き入れた父親だという男は、息子以上に肌が浅黒く焼けていたものの、身なりはそれなりに整っている。
島流しに遭った者は、乞食のごとき貧しい暮らしをしている、とうわさで聞いたことがあった息子は、そのゆとりある格好をいぶかしげに眺めていたそうだよ。
そして父親は、息子であるはずの自分と、ろくに目を合わそうともせず、家に帰るというのに、役人までが付き添ってくる始末。
――絶対に、ろくなことにならない。
息子は予感し、それは的中してしまうことになる。
家の中に入ってもなお、はしゃいでいる母親に対し、父親はそれをぴしゃりと制止する。
それは、うるさくつきまとってくる時の女に、冷たく当たる男の態度。
続いて父親が告げたのは、これからすぐに島へ戻るということ。そして母とはこれで今生の別れだという宣言だった。
瞬く間に凍り付く、その場の空気。
ややあって、母親はぱっと玄関わきの台所へ駆け寄ろうとした。刃物を手に取ろうとしたんだろうけど、役人にそれを止められて、暴れ出してしまう。
「あんたは、そんなことを言いに、ここへ来たのか」
背中を向けて去ろうとする父へ、息子がかけた最初で最後の言葉。
それに対し、父親は「けじめだ」とだけ言い残し、母親の聞くに堪えない罵倒を受けながら、家の戸を開けて去って行ってしまったんだ。
父親の姿が見えなくなると、母親は直前まで暴れ狂いそうな殺気が鳴りをひそめ、その場にくずおれてしまった。
役人たちは、それでもなお押さえ続け、十分に時間が経った後に彼女を解放。自分たちも父親の後を追うように、家を出て行く。
その時から、母親は寝たきりになってしまう。
それだけでなく、時々、胸を押さえながら苦しんで「信じたくないウソをつき続けて……信じたくないウソをつかれて……」と、悔しげにつぶやくようになってしまったんだ。
息子は仕事をしながらも、流刑の実態を調べ、やがて知ることになる。
流された先の島では、漁が盛んであり、その手の技を持つ者であれば、食料を確保できたこと。
それに仕送りが加わると、島内でちょっとした長者に成り得る者が現れること。
更に、ほとんどの男が水汲み女という名目で、島内で妻帯し、子供を育むことが往々にしてあること……。
――あの男が、自分にとっての父親でなかったように、あの男も、すでに自分たちのことを許嫁とも、息子とも思わなくなってしまったんだ。
今、付き合いのある女のことを思い浮かべつつ、飛脚用の宿で休憩していた彼は、後から来た飛脚仲間に、自分の家の急を知らされた。
駆けつけた時には、自分と母が住んでいる部屋はおろか、周りの家屋が崩れてしまっていたんだ。
しかも地震による倒壊ではなく、建物の壁が水あめのようにとろけて、支えられなくなったことによる、崩壊だった。その溶けた縁には、いずれもあふれんばかりの紫色の液体がくっついていたんだ。
その崩れ、壊れた建物の中心点に、母親が横たわっていた。目をつむったまま動かず、掛け布団は壁たちと同じようにグズグズに溶けている。
その開いた穴の部分。彼女の胸のあたりを突き抜けて、大きなアジサイを思わせる花が咲いていたんだ。その花弁から紫色の滴が落ちると、垂れたところからたちまち湯気がのぼり、見る間に、布団と同じような穴が開けてしまったんだ。
ウソは死して花開く。それは自他の別なく垂れ流されて、本来あった幸福を奪いとる。
だから言われ始めたのだろうね。
「うそつきは、泥棒の始まり」って。