妖狐の告白
上半身と下半身がお別れして数秒、自分の意識はドロドロに溶けた。
雨が降る中、目の前には・・・白と赤に染まった狐がこちらを見ている。
ああ・・・ミノタウロスが、斧を・・・。
雨が小雨になる。
ミノタウロスは、振り上げた斧を構えたまま、固まっていた。
それを、狐がじっと見ている。
一瞬、ミノタウロスの体がびくりと跳ねると、仰向けに地面に倒れた。
そしてそのまま、静かに息を引き取った。
――――――――――――――――――――――
体が浮いている感覚がある。
眼を開けようと、脳に働きかけるが。
・・・開かない、金縛りにあったような感覚だ。
体も動かない。
そんな状態が、しばらく続いた。
不意に、顔に何かが触る感覚がある。
頬をさする様な感覚。
それと何かが唇に触れる感覚。
同時に、体に温かい感覚が広がっていく。
無くなった、下半身の感覚すら、感じる。
「・・・?」
瞼が開く・・・?
そう感じ、目を開いた。
――――――――――――――――――――――
「・・・?」
焦点が合わない、目の前がぼやけている。
白と赤は色として辛うじてわかる。
・・・なんだ、俺はどうなった?
目の焦点が僅かずつ回復する。
そして、目の前で起きている状況が見えてきた。
「!」
目の前にあったのは顔。
白と赤に見えていたのは髪、銀髪の中に所々赤い髪が混じっている。
そんなことよりも・・・だ。
その人物・・・正確には女性と唇同士が合っている。
・・・要するにキス。
「?」
目を瞑っていた女性の目が、こちらの開いた目を見た。
「・・・ん」
唇を離すと、顔を離す。
え、ちょっと待て。
俺、キスをされていたのか?
「な、なな・・・な!?」
上半身を起こす。
そして、女性の顔を見る。
「起きたか?」
「え、ええ?・・・あ、と・・・」
口元がおぼつかない。
「蘇ったばかりなんじゃ、無理するでない」
そう言った女性はくすくす笑う。
何かおかしかったのだろうか・・・?
いや、そんなことより。
「き、キス・・・どうして?」
「・・・」
オホン、と一息つく女性。
・・・よくよく見れば、異国の服を着ている。
確か・・・爺さんが言ってたが、巫女という人が着る服だったような?
女性はその場に正座をして、頭を下げた。
「わらわは、先ほどの白狐。助けていただいた、狐じゃ」
「・・・狐・・・?あの、白かった?」
頷く女性。
先ほどの、白い狐が目の前の女性だとでもいうのか?
「・・・妖狐・・・そうだ、妖狐か!」
昔、爺さんに聞かされたことがある。
長く生きた狐は、魔力を持つと。
そしてその姿は・・・。
目の前の女性のように美しい姿をしていると。
それに、頭の上に生えている耳。
・・・狐そのものだ。
「そうじゃ、妖狐じゃ」
うんうんと、頷く女性。
満足気にこちらを見ている。
「済まないな・・・わらわのために、痛かったか?」
そういうと、俺の体を見た。
そういえば・・・足は?
目線を下に落とすと、足は・・・ついていた。
しかし、上着は腹から下がどこかに消えていた。
そうか、ミノタウロスに斬られて、その時服も・・・。
自分の体を触る。
すると、腹の下側、丁度服が斬れている場所と重なるように真一文字に体に跡が出来ていた。
・・・斬られて死んだのは、夢じゃなさそうだ。
――――――――――――――――――――――
しばらく、自分に何が起きたかを考えていた。
ミノタウロスに斬られたのは現実、それは腹の跡で理解できた。
分からないのは、何故生きているのか。
そして、治っている体。
「生き返った気分はどうじゃ?」
耳をぴょこぴょこと動かし、そう尋ねてくる。
「生き返った・・・?」
「ああ、わらわの魂、分けたのじゃが・・・」
そういって、唇を触る。
・・・唇?
自分の唇を触る。
・・・そうか、キスは。
そう言う意味か。
「いやいやいや、だからって、キスはないだろ?」
「・・・嬉しくなかったか?」
今度は耳を下に垂らししょんぼりとしている。
いや、嬉しいとかそう言うことじゃなく。
「男は、キスされると嬉しいと聞いたんじゃが・・・間違いだったか?」
「いや、そりゃ、嬉しいだろうさ。あんたみたいな美人にされるならな」
目の前の女性は絶世の美女だ。
こんな女性にキスされたのなら、人によっては自慢して回るほどだろう。
「美人・・・?」
顔を赤く染めてこちらを見る。
恥ずかしくなったのか、着ている巫女服の裾で顔を隠した。
「あ、あまり見るな・・・恥ずかしい」
・・・可愛い、と思ったが。
今は、そんな状況じゃないだろと、頭を振る。
「それで、その・・・き、キスで俺は生き返ったって事なのか?」
「・・・そうじゃ、反魂の儀・・・蘇生魔法、と言った方が早いか?」
「蘇生魔法・・・?いや、だがそれって」
一部の高位魔法使いしか、扱えないような代物のはず。
つまり、一般人にはほとんど関係ない魔法だ。
「一度しか使えぬ技ゆえ、初めて使用した。
・・・それで、身体に・・・大事はないか?」
腕を動かす。
足も。
特に、問題はなさそうだ。
「ああ、大丈夫そうだ」
「それは良かった」
微笑む顔は見とれる位綺麗だ。
・・・しっかし・・・こんな美女とキスをすることになるとは。
20代前半で、女付き合いもない独身の男には、多少刺激が強かった。
「・・・それで、ここからが本題じゃ」
本題?
「お主、わらわを・・・貰ってはくれないか?」
「は・・・?」
――――――――――――――――――――――
彼女の話。
それは、反魂の儀で彼女のほとんどの力が失われてしまったらしい。
元々覚悟していたからか、力を失ったこと自体には、
ショックを受けている様子はなかった。
だが、それを聞いて気になった事がある。
「俺無しでも、ミノタウロスに勝てたんじゃないのか?」
先ほど見つけた、倒れているミノタウロスを指さす。
「・・・魔法には、詠唱が必要、それは分かるかの?」
「ああ、魔法使いじゃないが・・・その、魔法を使う前準備・・・だろ?」
ああ、と頷く。
「彼奴ほどの魔物を倒すには、それだけ長い時間が必要。
お主には分からなかったもしれんが」
確かに、狐の時はミノタウロスをじっと見ているだけに見えた。
あの時、詠唱していたのか。
「詠唱よりも彼奴の攻撃の方が早かった・・・おぬしのお陰で助かったのじゃ」
そういうと、斬られた腹のあたりを触ってくる。
「・・・かわせなかったのか?」
「無理じゃ、獣の状態では詠唱中は動けん。咄嗟の事で何も出来ずに死ぬ・・・
そう思った時に、お主が飛び込んできた」
そして、目の前で両断、真っ二つにされた訳か。
・・・あの感触は二度と味わいたくはない。
「・・・お主に助けられた恩を返したい。・・・じゃが、今の体では満足に恩返しが出来ぬ」
「いや、生き返してもらっただけで、十分だと思うんだが」
それが原因で力を失ったのなら尚更だ。
むしろ、俺が返すくらいの恩ではないか?
「それは・・・んん」
もじもじしているが。
一体、何を言うつもりだ?
少し、身構える。
「わらわは、お主に惚れた」
「は・・・?はぁ!?」
意外な一言が返ってきた。
――――――――――――――――――――――
惚れた?
俺に?
・・・嘘だ、モテた事なんてない、田舎顔の俺だぞ?
ギルドの受付嬢にも、冷たい態度を取られるくらいだし、
イケメンでない事は自分がよく知っている。
狐は人を騙すとも、爺さんに教わった。
けど、この状況で騙したって、得はないだろう。
それに、目の前で顔を赤らめている彼女が、嘘をついているとも思えない。
「・・・惚れたというのに、何も、答えはないのか?」
「だ、だけど、会ったばかりだろ?」
もじもじしながら、また裾で顔を少し隠す。
「・・・草陰からずっとお主を見ておった」
「草陰?じゃあ、ゴブリンを追い払ったのは・・・」
彼女なのだろうか。
だが、それなら納得がいく。
あの時のゴブリンの反応といい。
「追い払うために、魔法は使ったが・・・多少時間がかかった。
お主の、仲間には悪いことをした」
周りをよく見渡すと、死体はまだ横たわっていた。
ああ・・・やっぱり、生き残ったのは俺だけか。
それを実感した。
「・・・お主を助けて、後は去ろうとも思った。しかし・・・一目、近くで見たかった」
それで、草から出てきて、俺と目が合った訳か。
・・・ミノタウロスの乱入が無ければ、そのまま通り過ぎた同士だったろう。
「魔物と人間など、結ばれる訳もないと、そうも思った」
「・・・」
そうだろうな。
人間によく似た、エルフとだって、結婚する人は極少数だ。
しかも、奇異の目で見られることが多い。
「じゃが、わらわは・・・わらわはこの気持ち、諦めたくないのじゃ!」
そういうと、抱き着いてきた。
ふわり、と甘い香りが鼻をくすぐった。
「ちょ・・・!」
「一目惚れなど、生きて数百年、初めて、じゃ・・・」
「う、嬉しいんだけど、これは・・・!」
胸が当たっている。
ずっと気になっていたが、そこそこどころでない大きさのものが二つ。
それを押し当てるように抱き着かれている、
「むう・・・煮え切らぬ男じゃな」
そう言うと、頬を膨らませた。
「では、言い方を変えるぞ。・・・責任を取ってくれ」
責任?
何の・・・と言いかけたが、考えた。
彼女は、今。
殆どの力を失っている。
それは俺を生き返した反動で、だ。
「今のわらわでは、自分の身も守れぬ。・・・お主に守ってほしい」
抱き付きながら、耳元でささやかれる。
・・・確かに、俺が責任を負うべきことでもある。
だが、その言い方は卑怯じゃないか・・・?
「・・・俺が、見捨てるような男だとしたら、どうするんだ?」
「そんな男なのか?わらわが惚れた男は」
・・・。
見捨てれないよなぁ。
ここまで言われちゃ。
「分かった・・・俺も男だ・・・責任は取る。だが」
彼女の目を見る。
「・・・貰うだとか、そう言うのは早いと思うんだ」
「いけないのか?」
「そ、それは・・・すまん。女性と話すのもあまり経験がないし、戸惑っている」
彼女は後ろに回していた手を離すと、こっちとの距離を開けた。
「・・・わらわも急ぎすぎた、すまぬ。じゃが、気持ちは本当じゃ」
こちらを見る顔は赤い。
・・・俺の顔も真っ赤だろう。
嬉しいのには変わりがないのだから。
「分かった・・・それで、どう守ればいいんだ?」
「お主に着いていく」
・・・着いていく?
「おいおい、俺は・・・ミノタウロスに両断されるくらいの冒険者だぞ?
それに、ランクだって最下位だしな」
そう言って、腰に下げていた証を見せる。
今の状況じゃ、彼女を物理的に守れるとは言い切れない。
・・・盾になることは可能だろうけど。
「先も言ったはずじゃ・・・わらわの魂がお主の体に入っている。力を感じぬか?」
力?
試しに、拳を握り、近くの木を叩いた。
ガス!という音と共に、殴った部分から木が折れる。
「・・・な」
近くの木に寄りかかるように倒れて行った木を眺め、呆然としていた。
そして、自分の拳を見る。
物凄い威力になっている。
「驚いた、想像以上の力じゃの・・・」
「え?どういうことだ?」
彼女に尋ねる。
むしろ、彼女は知っていたんじゃないのか?
この力の事を。
「わらわの力のほとんどをお主に渡した。
・・・つまり、お主の中には、元々あった力とわらわの力が合わさった状態じゃ」
それは、理解できるが。
「・・・ふむ、わらわの力との相性が抜群なのかも知れぬ。
・・・これなら、生まれ来る子供も・・・安泰じゃ」
?
前半は聞き取れたが後半は小声だったので聞き取れなかった。
「ま、まあ・・・予想以上じゃったが、損するわけではあるまい?」
「まあ、な」
自分の力が急激に上がった。
今の状態なら、さっきのミノタウロスとも戦えそうだ。
「・・・だが、これなら約束も守れそうだ」
そう言うと、手を差し出す。
「?」
「握手だよ、これから・・・パートナーになるんだからな」
「ああ・・・そうじゃな」
おずおずと手を差し出す。
それを強く握った。
「あ・・・名前を聞いておらんかった。お主、名前は?」
名前も知らぬ奴に惚れたのか?
・・・まあ、別にいいか。
「レオハルト・ディリオン。片田舎の冒険者だ」
「レオ・・・か。わらわは・・・コトハ」
「そうか・・・よろしくなコトハ」
そう言い、再び強く握手をした。
・・・貧乏二人旅になりそうだが。
これからの冒険、楽しくなりそうだ。