私と雀
この作品は、すでに投稿していた『くだらない話』を続編の執筆にあたって改名したものです。内容、文章ともに『くだらない話』と差異はありません。
薄暗い小さな部屋。窓から差し込む淡い光芒がかすかに床に届いている。
「本当にくだらなくて、どうでもいい話なんだけどね」
部屋の中央。白いベッドの上で、上体だけを起こして座っている女が唐突にそう言った。静まり返ったこの部屋には不相応なほどに澄んだ声だった。
「何?言ってみてよ」
ベッドのすぐ横。緑の丸イスに腰掛けた男が、女の発言を促すように言った。
「その窓の向こうに金木犀が有るじゃない?その枝に昨日、雀が一羽止まっていたの」
「へえ、可愛かった?」
「ええ、とても」
女は男のほうを見て、目を細めながら嬉しそうに言った。その破顔に思わず表情をほころばせた男が、期待もあらわに尋ねる。
「その雀がどうかしたの?」
尋ねられた女は少し俯いた。そしてもう一度男の方を見て嬉しそうに言った。
「翼が無かったの。両方とも」
女が興奮を隠し切れずに体を揺らした。お腹の辺りまで掛かっていた白の掛け布団がずり落ちて、男が如才なく元の位置に戻す。その時に、男の伸ばしていた両腕が女のそれとぶつかった。
「あっ、ごめん」
男が慌てて言った。その視線は少女の表情を窺っているようだった。
「気にしないで、どうせ有って無いようなものだもの」
女が視線を落とし、自分の腕を見て言った。その腕は上腕の中ほどまで包帯が巻かれていて、力無く布団の上に置かれている。
女の言葉に内心安堵した男は続けて尋ねた。
「それで、雀を見てどうしたの?」
「とても嬉しかったわ。そう、とても」
女はかみ締めるようにゆっくりと言った。
「何故、嬉しかったんだい?」
女はそういわれて少し押し黙った。そして、どこか記憶を懐かしむように天井を仰いだ。
「昨日からずっとそれを考えていたの。なんで嬉しかったんだろうって」
女は上目で男を見ながら答えた。みられた男は気恥ずかしそうに視線を逸らして尋ねる。
「答えは出た?」
「ええ。今日、あなたを見ていて分かったわ」
「教えて欲しいな」
「うん、あのね、私はずっと前からこの両腕が使えないでしょ、そしてその雀も両方の翼が使えない」
「うん」
「そう思ったら私は気兼ねなく雀を信じれるような気がしたの。あなたや、他の私を見た人間は、腕の使えない私に、虫唾が走るような憐憫や同情を寄越すけど、その雀はそんな事しないわ。私と同じように腕を失ったのだから、私の苦しみや喜びや願いを素直に受け止めてくれる。そう信じれるから、嬉しかったんだわ」
女は言い終わった後、にこやかな表情で男を見つめた。男もそれを見つめ返す。
「そっか」
男が穏やかな声で言った。
「ね?つまらなかったでしょ」
女が言った。お腹の掛け布団がまたずり落ちた。男はそれを見て、目を閉じて言った。
「ああ、とてもくだらない話だ。そう、とても」
女はなぜか満足そうな顔をした。そして、男はずり落ちた掛け布団へ手を伸ばす。
(Fin.)
『続・私と雀』に続く