殺めてみたい <背中>
病室のベッドの上で眠り続ける男に死神は言った。お前の一番愛するものを殺めたくはないか。命の灯をその手で握り消したいとは思わぬか。
【real?】
智也は隣で寝ている麻未の顔を見つめていた。色白で薄っすらと紅がさした頬、少し上向きの鼻、長い睫毛。小さな口を少し開けて微笑んでいるように見えた。スースーと微かな寝息を立てている。智也は麻未の華奢な首を両手でそっと締めてみた。
【dream?】
麻未は莉菜の背中をじっと見つめていた。莉菜とは幼稚園から大学生になった今もずっと一緒。優しく美人で非の打ち所がない彼女。悲しみも喜びも分かち合ってきた無二の親友。ホームで二人電車を待っているとき、ふと麻未は莉菜の背中を押したい衝動に駆られた。
【real?】
麻未はカッと目を見開いた。智也はギョッとして麻未の首から手を離した。麻未は智也の顔をじっと見つめながら呟いた。
「私、莉菜を殺そうとしたの」
「夢を見たのか……」
智也は麻未の頭を撫でながら言った。
「…………」
麻未は怯えたように少し震えていたが、しばらく智也にしがみつき安堵したのか、また目を閉じた。
【dream?】
電車がホームに入ってくる。あれ? 莉菜がいない。まさか……私が、私が殺ってしまったの? 麻未の顔がみるみる青ざめた。
その時
ドン!!!!
背中を強く誰かに押された。
え?!
バイバイ……
莉菜?
【real?】
智也はゆっくりと麻未の首から手を離した。
「ふざけんなっ! いくら愛してるからって麻未を殺せるわけないだろっ」
智也はそう言って部屋を出て行った。
莉菜は半年前、大学のゼミの合宿からバスで帰る途中、逆走してきた大型トラックに巻き込まれて亡くなった。麻未は莉菜がいなくなったことを現実に受け止めることが出来なかった。それから、麻未は事あるごとに智也に自分を殺してくれと無心するようになった。
【??】
麻未! あんたはそっち。まだこっちに来ちゃダメ。バイバイ麻未、愛してる。
莉菜?
麻未は部屋を飛び出して、智也の後を追いかけるように無我夢中で走った。やがて二十メートル程先の外灯が照らす中にぼんやりと智也の背中が浮かび上がった。
「智也!!」
麻未は大声で叫んだ。しかし智也は立ち止まらない。
「智也!!」
麻未はもう一度名前を呼んだ。ただ彼の背中に抱きつきたかった。
「待って、行かないで」
麻未は涙声になっていた。すると智也がふと動きを止めた。そして振り返らずに言った。
「来るな! お前はこっちに来ちゃダメなんだ」
麻未は泣きながらその場に崩れるように座り込んだ。
「私を置いてかないで」
「バイバイ、麻未。愛してる」
智也もあの日、バスに乗っていた。重体で運び込まれた病院で、頼りなく動かされていた心臓が今、停止した。
すーっと二つの光のボールが空中で弾けて消えてしまった。