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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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己を超える刃

 ある夜のこと、大鏡の前で老人が刀を正眼に構えていた。吊るした提灯の薄明かりの中、鏡に映る自身と刀を交えるかのように。誰かが見ていたなら、そのあまりの異様さに、稀代の剣豪、藤郷光良ふじさと みつよしも、ついに狂ったかと思うだろう。


 藤郷光良。剣の道を行かんとする者ならば、彼を知らぬものはいない。数多の剣豪を打ち破り、国士無双と呼ばれた彼の名を。


 藤郷は物心つく前から剣を執り、その類まれなる才能を開花させた。あまりの飲み込みの早さに驚いた 父親は、自身の手に余る才能を持つと判断し、つてをたどり、さる高名な剣士のもとに弟子入りさせた。


 藤郷はまさに怪物であった。一年とかからずに教えのすべてを飲み込んで、兄弟子たちを打ち破って、師すら追い越し道場を去り、剣を究める旅に出た。


 何処其処に国一番と言われる剣士がいると聞けばそこへ行き試合をし、これこれに見たことのない剣術を使うものがいると聞けば、自ら出向き剣を交えその技を盗みとった。


 このような生活を続けているうちに、気が付くと自身は国士無双と呼ばれるようになっていた。藤郷に弟子入りをしようとしたものは数多くいたが、全て断ってきた。彼は他者の強さなど興味はなく、己が強くなることにのみ興味を持っていたからだ。


 藤郷はさらなる本気の勝負を望んだが、既にそれはできなくなっていた。


 藤郷光良の名はあまりに有名になりすぎていた。国士無双と呼ばれて久しくなってからも、多くのものと剣を交えたが、誰も彼も心の奥底では真剣ではなかった。藤郷に勝てるわけ無いと端から思い込んでいたのである。


 藤郷はどうすればかつてのような本気の勝負ができるかを考えた。自身と互角以上の者をどうすれば見つけられるか、心を巡らせていた。そしてある時、はたと気がつく。自身が勝てていない者、それは自分自身だということに。これが、大鏡の前に剣を執ることとなる経緯である。


 藤郷は鏡の前に剣を構える。同じく、鏡に映る自分自身も剣を構えた。隙は、見えない。

 剣を振れば、相手も同じように振る。自身が動けば、相手も同じ速度で動く。とても勝負がつきそうにない。しかし、目の前の自分に勝ちたい。鏡に映る自分よりも早く動きたい。

 藤郷はその一心で鏡の前に剣を振り続けた。


 誰が考えても、鏡の自分より早く動くことはできない。やはりこの時、藤郷は狂っていたのかもしれない。


 常識など構わず、藤郷は鏡に向かって剣を振る。ひたすらに、ただひたすらに。


 夜が明けようかという頃になっても、藤郷はまだ剣を振っていた。疲れていても、その一振り一振りに、甘さはみられない。


 藤郷が一文字に剣を振ったある時、それは起こった。剣の切っ先が鏡の前を横切った瞬間、鏡の向こうに剣はなかった。横から僅かに遅れて鏡の剣がついてくる。藤郷は驚きで目を見開いた。それと同時の体の底から喜びが込み上がってきた。


 ついに、己の剣は自身をも超えた。自然と笑みがこぼれた。剣を振りきると、藤郷は膝をつき倒れた。



 後日、藤郷の遺体は、通りすがりの旅人により発見される。その腹は一文字に切り裂かれていた。

世の剣士たちは、藤郷を斬ったものを探しまわった。当然のことである。藤郷と正面から斬り合って勝てるものがいるとは、彼らはつゆほどにも思わなかったからである。しかしとうとう見つけることはできなかった。


 藤郷の死に顔は穏やかに微笑み、とても満足そうであったという。


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