巣立ち
巣立ち
別れは突然やってくる。デミーの声が変わった。生理が始まったのだ。デミーの関心は新しい命である。これは子育ての終わりを意味する。雛たちを遠ざける為突き廻すのだ。雛たちは恐れて逃げ惑う。自然の掟は無情である。何の予告もなくやさしかった母は夜叉となったのだ。雛たちは訳も分からずこの現実を受け容れるしかない。
しかしライオンの子に比べるとまだましである。子連れの雌ライオンが雄に遭遇した。雄は子を次々と噛み殺して行った。ところが雌は我が子を殺した雄にお種頂戴と媚を売るのだ。自然界の掟は人間の常識では理解しえない。
デミーは産卵場所を求めて室内を物色する。冗談じゃない、糞だらけ泥だらけで室内に入ることは厳禁してある。鶏の事ゆえ三歩で忘れる。気に入った場所を占拠するのがフィリピンスタイルだ。退去命令に応じないので2階の洗濯場に強制収容した。ここは鉄格子で隔離されているからまるでプリズンだ。
やがて高らかに出産を宣言する。段ボールに小さな卵があった。無精卵だから毎日食すのかと思いきや嫁は
「デミーが勘定しているから10個以上になって泥棒する」
「古くなったら美味くないぞ」
「大丈夫、問題ない」そうだ。
どうやって古い順に泥棒してゆくのか疑問だが。因みに泥棒はフィリピンでもっとも有名な日本語で普通名詞化しているとか。
「デミーと子供たちを外に出さないように」
「どうしてだ」
「なぜなら彼らは美男美女だからゲットドローボーされる」盗まれるの意。「女は近所で評判の器量良し、男は闘鶏のチャンピオンになるとの評判よ」嫁は自分の孫のような力の入れようである。
「1年半前鶏を飼うと言ったら変な顔をしたのは誰だ」
「気が変わったの」
ようやくデミーたちが我々にどれだけの癒しをもたらすかに気づいたようだ。鶏をペットに飼うことは日本でも珍しいだろう。鶏は鶏卵、鶏肉、闘鶏と言う概念に風穴を空けたと自負している。鶏を外に出すことは近所に迷惑を掛けないか、誘拐、盗難にあわないか心配されたが今のところ危惧に終わっている。暴走族もデミー一家には道を譲る。朝晩草の上砂の上に連れ出すと嬉々として何かを啄む。遊び疲れると戻ってきて餌をねだる。
「デミーたちに手を出すなと近所で言われている」
「ほう、どうしてだ」
「なぜなら。オーナーの日本人はやくざかも知れないとうわさされている」「それは光栄だな」
「しかし(この分譲地の)外部の人間はそのことを知らないから」
注意怠るべからずということらしい。何事もなければ何も言わないが何かあれ
ば「私が外に出すなと言ったのに」とぐちるのは女の通有性のようだ。もっとも何事につけ「言ったでしょ」という日本人男にあったことがあった。この女の腐ったような男については別の機会に述べたい(参照空気が読めない)。
さてデミーの子離れ宣言は近づく雛を突いてゆく。雛にしてみれば聖母が夜叉に変身したと思ったが、恐れて逃げ惑う。新しい命を宿したデミーは「ここから出てゆきなさい」と宣言したのである。何の説明もなくある日突然豹変したのである。これが自然界の摂理、掟であろうか。
これでデミーの子育ては終わったが、私はデミーと雛たちを別々に世話しなくてはならない。とくに困るのが散歩である。日頃は勝手に出て行って勝手に戻って来るように育てるつもりだが、買い物旅行のときなどは大変である。委ねられるメイドを見つけなくてはなるまい。子、孫を一番に考えるのは日本民族の特長であろう。次回は雛たちの嫁入り、婿取りになるだろうが当分は先の事であろうと考えている。
続デミー子育て日記 完 2014.8.8マクタン島にて