引っ越し
引っ越し
三年過ごしたアパートを出ることにした。引っ越し先は2DKで玄関口に20㎡ほどの庭がある。ここで鶏を飼ってもいいとのことで契約した。ヴィリッジと呼ばれる分譲宅地でここではハイクラスの住民とされる。引っ越しは嫁に任せて私はデミー家族を運ぶことにした。シカッドと呼ばれるサイドカー付自転車をチャーターして800mを移動する。でこぼこ道に雛たちが悲鳴を上げる。「ゆっくりやってくれ」運転手に言うと鶏の客は初めてと言う顔をする。道行く人も珍しそうに振り返る。時間にして7分ぐらいだが長く感じられた。
さっそく鉄格子の門扉に金網を張る。雛たちが外へ出ないようにするためだ。前面道路は車バイクが疾走するので危険がいっぱい。半日掛で金網を張り終えた。やっと60センチ角の鶏小屋から出した。長時間の拘束によく耐えたと思うのだが、嫁に言わせると30センチ角の小屋に年中閉じ込められている鶏に比べればどうということはないそうだ。フィリピン人は心身ともに不自由をあまり気にしないからそうなのだろう。
そう言えばバイクの3人4人乗りは珍しくない。Vハイヤーと呼ばれる8人乗りのバンに20人乗りだ。フェリー転覆原因の多くが定員オーバー2倍3倍によるもの。台風シーズン、帰省ラッシュでの乗船は控えるよう日本領事館が邦人に注意を呼び掛けている。この国の飛行機は脚がのばせない、リクライニングもない。座席を詰めて売り上げを増やそうとの見え見えの魂胆。
1521年マゼランは世界一周の途中ここマクタン島が終焉の地となるが以降300年間スペインのコロニーとされ100年間は米国のコロニーとされ、戦後は華僑に支配されているから独立国とは言い難いのもフィリピン人の事由に対する鈍感さが原因の一つであろう。日本人が戦国時代か今日まで異国に支配されていたらと思うとぞっとする。その前の元寇の来襲に神風が吹かなかったら。
そんなことを考えているとデミーが足をつつく。2週間の雛も真似をする。
「自動給食機でないぞ」
「貴男の娘と孫でしょ」
「うるさい」
「貴男がやったことは鶏だけでしょ」
それは事実であるからあまり強くも言えない。月3000ペソ6000円の生活から5万ペソ生活ができるようになったのは誰のおかげだ、と言いたいところを堪える。嫁の鯉の吹流しが気に入っているところでもある。
外国人をものにしたピーナは家族とは疎遠になり着飾り塗りたくるのが多いが嫁はそれがない。しっかり臍食って実家に送金しているようだ。孝行娘と言うべきだろう。両親に家を建て兄たちにも入院費その他の援助をしているから“へそくり”と言うには多過ぎるがまあ嫁の甲斐性としておこう。