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涙を集めた魔法の絵本

作者: 宮川依子

気が付いたときには、わたしはそのお姉さんのあとをぴこぴこついて歩いていました。


お姉さんは帽子と眼鏡と長いカーキのポンチョで全部を隠すように町中を歩きます。


「疲れたかい?」


毎日ほぼ同じタイミングでお姉さんはわたしのことを心配してくれました。言葉使いは女の人にしては少し乱暴なものだけど、ちゃんとわたしの目に合わせてお話をしてくれるから怖いなんて思わなかった。


「疲れたらちゃんと僕に言うんだよ。」


女の人なのに自分を僕と呼ぶのが不思議でした


でも不思議なのはそれだけで、あとはわたしにおいしいチョコレートケーキやチーズをほんのり溶かした野菜スープを作ってくれる優しい人です。


「お姉さんは魔法使いでしょ!」


わたしは凄いな、という意味で言ったのですがお姉さんはちょっと困った顔をしながらわたしの頭を撫でて


「僕が魔法使いなら君みたいな小さな子供を悪魔の薬を作る材料にするかもしれないぞ。魔法使いは悪い奴らばっかりさ。」


「そうなの?」


「魔法使いは大人になると自分のことしか考えられなくなるんだ。わがままで意地悪で、ひとつ間違えたら取り返しのつかないような悪ふざけをする。」


「………」


「ただひとつだけ、大人になる手前の子供の魔法使いが……悪い魔法使いにならないおまじないがあるんだ。」


「おまじない?」


「そう。そのおまじないはただ言葉にするだけじゃダメらしくて、おまじないに力を与えないといけない。」


「んー?なんだろう……」


「いつも側に居てくれる人を愛してあげるんだって。」


愛?それってキスしてあげたらいいの?


と大真面目に聞いたら、お姉さんの笑顔が……半分複雑そうな顔にも見えて、わたしははずかしくなって口を閉じました。


「キスで伝わる愛なら世界はもっと綺麗になっただろうね。」


「?」


「なら言葉なんか必要ないよね」


「………わかんない、」


「むつかしく考えると悪い方に考えちゃうよ。こればっかりは自分で歩いて勉強するしかないね。」


お姉さんはいろんなことを知っていました


おいしいお菓子の作り方、綺麗なアクセサリーの作り方、怒ってもいいこと、我慢するべきこと、辛いこと、悲しいこと、自分達ではどうしようも出来ないこと


助けられない人が居ること、自分のすることが誰かから見ればひどく無意味なこと。


難しい言葉のこと、愛すること


わたしがねだれば教えてくれたこと。


「いつからわたしはお姉さんと旅をしていたの?」


「どうしたよ、いきなり」


「わたしのお家はどこなの?」


お姉さんはわたしの言いたいことをすぐに悟ったようです。ですが、すぐには言えなかったのか口が淀んで立ち上がりかけた腰を落としました


「まず、あんたのお母さんについて話さなきゃいけないことがある。」


お姉さんはわたしのマフラーを直してくれながら、どこかそわそわしていましたが……やがて大きく深呼吸をして、息と一緒に言葉のつっかえを吐き出しました。


「あんたのお母さんは悪い魔法使いだった」


「……だった?」


最近教えて貰った『過去形』という言い方でお姉さんはわたしのお母さんのことを表現しました。


「でも、あんたのお母さんは、そのお母さんやお父さんが悪い魔法使いだっただけだ。あんたのお母さんは、仲間外れにされていた僕に勉強を教えてくれたり一緒に遊んだりした。


勉強の道具が足りなくなった時、あんたのお母さんと町で買い物をしてたとき……僕と人混みではぐれてしまったあんたのお母さんは……あんたのお父さんになる人と出会ったんだ。」


「それって……?」


「そう、あんたのお母さんは魔法を捨てた。愛することを知った悪い魔法使いは魔法の力を捨てなきゃいけない。」


でも、捨てたままの魔法の力を放っておくと悪い魔法使いに取られて彼らの悪い魔法の力が強くなるので、わたしのお母さんはお姉さんにお願いしたそうです。


「本を作るように言われたんだ。捨てられた魔法の力が、愛する力に変わる魔法の本を。」


でも普通の本の材料では魔法の本は作れないそうで、お姉さんは世界を回って表紙に使う皮や、本の中身である紙、しおりに使うリボンに角を守る金具、中身の紙を表紙とくっつけるのり、一番大事な中身の紙に文字を記すための筆とインク。


これらがないと魔法の本は作れません。


お姉さんはまだリボンしか手に入れていなかったとも聞きました。


「そのことを知った、あんたのお母さんのお父さん達………つまりあんたのお祖父さん達はひどく腹を立てて怒りだした。」


悪い魔法使いをやめることは自分達の娘なんかじゃない、とかんしゃくを起こした子供のようにわめきながらわたしのお父さんの故郷の町を焼き払ったそうです。


「あんたのお父さんへの仕打ちはそれ以上に…………酷かった。暴力を受けたとかそんなもんじゃない。今のあんたにはこれぐらいでしか表現出来ないのを許してほしい。」


わたしはこの時から数年も歳を重ねたあと、わたしのお父さんは喉だけを石にされて何も食べられない魔法をお祖父さんに、空腹や喉が渇ききっても死ねない魔法をお祖母さんにかけられて苦しめられたことを知りました。


「魔法を捨てたお母さんは普通の人間になったから、あんたのお母さんのことを妬んでいたお母さんのお姉さんや妹に魔法をかけられた。」


わたしの顔は、その言葉に嫌な結果しか考えられなくて青ざめていたそうです。


「……魔法をかけられて人の言葉を失う直前、あんたのお母さんは僕にあんたを託した。自分の魔法の力をあんたの中に移して」


「そう、なんだ……。」


「お祖父さん達から逃れるために僕はあんたを連れて、本の材料を手にいれる旅を続けているのさ。」


もう少し大きくなったら、事実をちゃんと受け入れられるくらい心が育ったら……もう少し詳しい話をしてあげる、とお姉さんは言いましたがわたしはかまわず


「お、しえて……」


「でも、顔が真っ青だ。」


「お母さん、どうなったの……?」


「………ごめん、まずは僕にその話をするための落ち着きをくれないか?」


僕はあんたのお母さんより気丈(心が強い)ではないから、僕は本当は泣き虫だからとお姉さんはまた大きく深呼吸をして凍みる夜空を見上げました。


その目にはうっすら透明な膜が出来ています。


心なしか鼻の頭も赤くなっていました。


「あんたのお母さんは悪魔の薬にされた。」


悪魔の薬と言っても、お酒のようなものだそうです。


心と魂が材料で、それらが澄んでいれば澄んでいるほど出来がいいとされています。


そして心と魂を材料にされてしまった人は、その脱け殻が誕生石になってしまい、装飾品としてその脱け殻をどんどん削られていく運命を辿ることになるのだそうです。


これもしかるのちに知った真実でした。


悪魔の薬の材料から誕生石にされるのは、やはりお姉さんの言った通りこの時のわたしくらいの子供が多かったのです。


お姉さんは決して子供を戒めるための方便や冗談を使ったわけではないのです。


お姉さんは真剣なわたしに同じように真摯に接してくれたのです……普通の大人はこのお姉さんの態度が「子供相手になにをマジになっているんだ」とバカにするそうです。


「子供に教えなくても良いことがある。」ということをお姉さんは勿論知っていましたが、敢えてわたしにその辛い真実を教えてくれたのは……わたしがこれからどうしたいのかを尊重してくれる不器用な優しさでした。


お姉さんは真面目過ぎるから故郷の人々に煙たがられていたそうです。


出会う全てに真剣に向き合い過ぎて、その真っ直ぐさをバカにされていたのです……わたしのお母さんを除いて。


でも、出会ったもの全部に真剣になれるって……見方を変えれば『それだけ向き合うもののことを考えられる』ことじゃないかな


それを伝えるにはわたしは幼すぎました。


言葉と感情が纏まらない子供だったわたしには


正直者はバカを見る……という言葉の悪意を子供心に許せずにいました。


話は悪魔の薬のことに戻ります。


お姉さんは酒のようなものだと改めて説明し、材料の他にどういうことに使われるものなのかを分かるように言葉を探りながら口を動かしました。


「捨てられた魔法を他の悪い魔法使いが自分のものにして魔法の力を強める………悪魔の薬は捨てられた魔法を探す面倒をなくすために発明されたものなんだよ。」


「……そんな」


「その材料となった心と魂が澄んでいれば……飲んだ魔法使いの悪い魔法の力は強くなる。ただの人間が飲めば……運が良ければ悪い魔法使いになる。」


「……運が、悪かったら……?」


「魔物になる。どちらにせよ、悪いことしかもたらさないから……悪魔の薬と呼ばれるんだ。」


わたしが悪い魔法使いの血を引いているから、お姉さんは話してくれた。


「あんたには、いつか……悪い魔法使いになる日が来るかもしれない。その時にちゃんと選べるように僕はあえてキツい現実を突き付けた。


悪い魔法使いになるなら、あんたのお母さんから渡されたその魔法の力を使って……自分に不都合になるものを壊していけばいい。


普通の人間になりたいなら、自分の分の魔法の力とお母さんの分の魔法の力を本に封じ込めるか


または、それ以外の生き方をするか。」


わかんないよ、とわたしは頭をふった。


お姉さんはまだそれでもいいさ、とわたしに言いました。


「10歳の子供にこんな重い話をするなんて、自分でもどうかしてるってことは分かってるよ。でも……人間の僕と違って悪い魔法使いが大人とされるのは12歳からなんだ。あと2年あるか、もう2年しかないか……それも判断するのは」


「わたし自身、なんですね」


ごめんよ、とお姉さんは謝りました。


「まだ……聞いてもいいですか?」


「何だい?」


「悪魔の薬のせいで悪い魔法使いも魔物も増えているんですよね?………わたしは、まだ世界には普通の人が多いと思ってるんですけど」


「……創作者のおかげだよ。」


「創作者?」


「芸術品や美術品、工芸品や楽譜……とにかく自分の力だけで一から作ったものの中に魔法の力を封印できる人のことだよ。職人とも呼ばれている。」


わたしはその時、ようやくすっきりしました


「……お姉さんは創作者なんですね。」


「そうだよ。僕は物語の本に魔法に関する全てを封印する職人だ。」


いつかわたしを傷付けることになる人間になる…とお姉さんはとても辛そうに言い切りました。




それから、短いのですが長いように感じた三年が過ぎました。


広い広い平原を、わたしはスカートを風に遊ばせながら踊るようにその先を踏み出します。


その後ろをわたしの旅の仲間がゆっくりとあとをついてくることが分かっていながらわたしは鼻歌を歌いながら花畑で一度、綺麗なターンを決めて、青空に向けて思い切り腕を伸ばしました。


「それで、その姉ちゃんはそのあとどうしたんだ?」


「それだけを伝えたあと、日が昇る前にはもういなくなっていたんです。」


「よく、それでそんな明るいな…」


「それで良かったんですよ。」


わたしは仲間に一冊の本を開いてみせました。


「お姉さんの夢だった本はとっくに出来ていたんです。」


「リボンしか手に入れてなかったんじゃ……?」


「その理由も含めてこの本に書かれていました。」


お姉さんもわたしのお祖父さんやお祖母さんに呪いともされる魔法をかけられていたのです。


お姉さんにかけられていた魔法はお姉さんが愛してしまった人に必ずとてつもない不幸と底のしれない深い眠りを与えるという………とても残酷な魔法。


もし、わたしが人になればそのことを恐れたのでしょう………同時にわたしが人になれると信じてくれたと思ったとき、わたしは生まれてはじめて大声で泣きました。


その時、わたしの涙と悪い魔法の力はお母さんのそれと一緒に混じって、お姉さんが一生懸命作った本の中に消えていきました。


愛するとは、そういうことでした。


わたしはあのお姉さんに惜しみ無く愛されていたから、優しいこともキツいことも嘘をつかないで話してくれたのでしょう。


わたしのお母さんのことを、お母さんが愛したお父さんのことを思い出しながら泣いていたのも……きっと。


「さあ、お仕事しないと。これから色々大変になりますよー!!」


「え?なあ、一体何が書いてあるんだよー!!」


「お仕事のあいまのお茶の時にまたお話します。」


わたしは脱け殻である誕生石が、さらに欠片になってしまった石を集めています。


わたしがお姉さんのようになりたいと専門につくり始めた悪い魔法を封じる人形の目のパーツに試しに嵌め込んでみたら、その人形は命をもって動き出したのが世紀の大発見だとして原理の研究のためにお仕事とおうちを手に入れました。


今では仲間も友達も居ます。


仲良くなるまでは大変だったけどね。


そしてお仕事に行くときは必ずお姉さんが涙を流しながらも、わたし達への愛をこめて作ってくれた本のタイトルを書かないままにしました。


いつかお姉さんにまた会える日まで


お姉さんにかけられた魔法を解く方法を見付けるまで。


絶対に、残酷な結末になんてさせない。



END



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