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太后  作者: ヨクイ
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第七話 印璽

 国内は未だ地揺れの被害を多く残していたが、それでも、ルジエの周到な準備と迅速な対応によって、徐々に立ち直りつつあった。

 復興支援策のすべては皇后ルジエの名で行われ、彼女の人気は庶民の間で飛躍的に上がった。

 それだけでなく、“小さな政府”に属していなかった家臣たちの多くも、 彼女の手腕をほめたたえるようになった。

 ルジエが第一子を産んだのは、ちょうどそんな頃だった。

 皇帝には既に前妻との間にできた子どもが数多くいたが、ことのほか愛するルジエとの子どもの誕生を、皇帝は手放しで喜んだ。

「そなたに似た、美しい赤児じゃ」

 眼を細めて皇帝は、生まれたばかりの我が子に見入っていた。

「陛下に似たのですわ。ほら、この眉のあたりなど、陛下にそっくり」

 ルジエは出産してなお一層、光輝くような美しさを放っていた。

 そんなルジエをまぶしそうに見て、皇帝は笑う。

「そなたが言うのなら、そうなのであろうな」

 しばらく穏やかな表情で子どもを見つめていた皇帝だったが、不意に難しい顔になった。

「――時に、ルジエ。そろそろ政権を宰相に戻さぬか?」

 ルジエはついに来た、と身構えた。

 今回の出産で、ルジエ自身は政権から離れているが、政権は未だ彼女の意思を汲んだ家臣たちによって運営されている。

 宰相は権力の中枢で孤立し、やりたいことはまるでできないでいる。

 ルジエはそれを承知で、宰相を放置していた。

 宰相は俗物だが、皇帝の信任は厚い。さすがに宰相を無下に扱うわけにはいかなかったのだ。

「私は政権が取りたいのではありません。国民が救いたいだけなのです。それは分かっていただけますか?」

 まるで少女に戻ったかのようなか弱さをのぞかせながら、ルジエは皇帝に訴える。

「確かに、そなたのやっていることは、国民たちの支持を得ているようだが、それは急場しのぎにすぎぬ。宰相は経験豊かで、これまでの伝統にも詳しい。そなたはわしの妃じゃ。何も好き好んで政に首をつっこまずとも、よいではないか」

 そこでルジエはしばし黙った。

 皇帝は全くと言っていいほど、政に興味を示さない。

 しかし立場上、それは許されないし、自ら皇帝の地位を返上する気もさらさらない。

 だから、これまで宰相に政権を丸投げしてきたのだ。

 宰相もそんな皇帝を理解した上で、良いようにそれを利用してきた。

 皇帝は日々遊興にふけり、後宮を廃止して女性たちはいなくなったものの、国費を使って好き放題に暮らしている。 

 そんな皇帝にとって、宰相とルジエが取って代わったところで、大した違いはあるまい。

 それでも皇帝が宰相に気を使うのは、これまでの持ちつ持たれつの関係があるからであろう。

 ここは潔く引くべきか。それとも強行するべきか。

 いずれこの時が来るのは覚悟していた。

 宰相から矢のような催促が、皇帝にあるのに違いない。

 今や宰相の息のかかった者たちは、要職から外されてしまっている。

 ここで皇帝の同意を得て、彼らを復職させ、自分の権力を回復したいという宰相の心情は目に見えている。

 だが、今やルジエの人気は無視できないほどになっているし、家臣たちの信任も厚い。

 皇帝としては、どちらの機嫌を取るべきか考え、そして、さしずめルジエの方が言いくるめやすいと踏んだにちがいない。

「陛下は宰相のやり方でよいとお思いですか? 国民の声をお聞きになりましたか? それとも、家臣たちの声を。皆不満を持っていたのです」

「確かに、今回の復興は、そなたの功績と言っても良いであろう。しかし、宰相はどうする? あの男はこれではならぬと申しておるのだが」

「宰相など放っておけばよいのです。国がうまく回りさえすればよいのでしょう? 私からも、陛下にお願いがございます」

「そなたの願いか……。なんじゃ、言うてみよ」

「はい。――陛下の印璽を私にお預けくださいませ」

 皇帝は目を見開いた。

「そなた――! そなた、それが何を意味するのか、わかっておるのか!?」

「陛下。どうか、お聞きください。私が陛下の印璽を請うのは、この子のためなのです」

「この子の――? それはどういう意味じゃ?」

「陛下にはたくさんの御子がおありになられます。今は宮殿にはおりませんが、もしも陛下になにかあれば、宰相たち一派はすぐにその御子たちを担ぎあげ、私とこの子はここを追われることになるでしょう。私が死ぬのならば、陛下がこの子を守ってくださることでしょう。でも、私が陛下の後ろ盾を失ってしまったら、この子は一体誰が守るというのです?」

「ううむ」

 皇帝はうなった。

 過日の大きな地揺れを経験した後、この国では誰もが「自分がいつ災害に巻き込まれて、死ぬともわからない」という危機感を抱くようになっている。

 それは皇帝においても同じ。

 先日、そのことについて皇帝と言葉を交わしたことをルジエは覚えていた。

 宰相にとってはそうではないだろうが。

「わかった。では印璽はそなたに託そう。しかし、わしが生きている間は、わしの意思に背くようなことをしてはならぬぞ?」

「ああ、陛下。ありがとうございます。もちろん、陛下の意思に背くようなことなど、私にどうしてできましょう? 私の心は常に陛下とともにあります」

 こうしてついに、ルジエは皇帝の印璽を手に入れた。

 皇帝はルジエに情けをかけたつもりであろう。

 しかし、ルジエが印璽を手にするというのは、皇帝の権力を手に入れたも同然。

 その気さえあれば、皇帝に変わって勅命を下すこともできるのだ。

 ルジエは目を細めて、眠っている赤児の額を優しく撫でた。

 この子はいずれ、正統な王としてこの国に君臨する。――ルジエは、その為の道筋をつけてやらなければならない。

 祖母のアダが両親亡き後、自分をそうやって育ててくれたように。

 一族の悲願まで、あともう少しだ。


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