第六話 奪取
ルジエは夢を見ていた。
幼い彼女の背中を、優しくなでてくれる母の手。
頭を撫でて、笑いながら冗談を言う父のおぼろげな姿。
ゆらゆらと優しく体を揺すってくれる母……。
そこで、ルジエはハッと目を覚ました。寝台がぐらぐらと揺れている。
そう思った瞬間。
ドンッと激しく、下から突き上げるような感覚が彼女の体を襲った。
家具が大きな音を立てて倒れる。
ルジエは寝具を頭からかぶり、寝台にしがみついた。
ぞくぞくと背中を恐怖が走りぬける。
(陛下は無事だろうか?)
このところ体調を崩しがちな皇帝は、今夜も別室で休んでいる。
ほどなく揺れはおさまった。
(良かった……。生きている)
ルジエは布団から這いだし、ぎゅっと拳を握った。
体中の血がわきたっているような、奇妙な高揚感に包まれる。
(やはりあの予言の書は、間違っていなかった)
星の巡り。大地の胎動。
ルジエの家に伝わる書籍の中には、予言の書が存在した。
それは細かいことまでは記述されていなかったが、この時代に大きな大地の災害が起こることが予言されていた。
既に頭の中に入っている天文学の知識と、その予言書を何度も照らし合わせ、ルジエはこの地揺れが起きることを、あらかじめ知っていたのだ。
これまでに何度も頭の中で繰り返し想像した通り、ルジエはすばやく起きだした。
家具がそこらじゅうに散らばっていて、まともに歩けるような状況ではないが、それでもなんとか散らばった衣服の中から、適当な物を引っ張り出した。
「皇后陛下! ご無事でしょうか!」
部屋の外から皇后付きの親衛隊の声がする。
「大事ない。当初の計画通り、使える人間を集めておきなさい。日が昇る前には、宮殿前に集まるように」
「はっ! 了解いたしました、皇后陛下!」
足音が去ると、次は隣の控えの間からリウルの声がした。
「陛下。失礼いたします」
リウルはまだ寝衣のままだった。
「お怪我はありませんか? これほどの地揺れとは……」
「遅いわよ、リウル。さっさと支度をしなくては」
するとリウルはあきれたように肩をすくめた。
「ルジエ様の胆力には、本当に驚かされますわ。今や麗しき皇后であらせられるのに、この地揺れを経験しても顔色一つお変えにならないなんて。いっそ、将軍にでもなられたら、稀代の英雄にでもなられることでしょう」
驚いて、ルジエはリウルを見た。これほど饒舌なリウルは見たことがない。
「珍しくよくしゃべるわね?」
「――私、少し気が動転しているのですわ。今の発言は、聞かなかったことになさってください」
こんな時だというのに、ルジエに笑いがこみ上げる。
「今までの功績に免じて、許してあげるわ。さあ、支度を手伝ってちょうだい」
今度こそ、リウルは黙ってうなずいた。
それからのルジエの行動は素早かった。
“小さな政府”として活動していた皇后付きの家臣たちを引き連れ、軍部に乗り込んだのだ。
まだ早朝のこと、しかもあれほどの地揺れの後だったので、人もまばらだった。
「責任者はどこかしら? 将軍は?」
「は、まだこちらに来られていませんが……」
詰め所に残っていた兵士たちが戸惑い気味に応える。
「この災害時に不在とは。役に立たない将軍ですこと。こちらに宰相と皇帝陛下との誓約書があります」
ルジエがそう言うと、家臣の一人がその場にいた者たちに誓約書をちらつかせる。
そこには、“小さな政府”に対する数々の制限事項が設けられていたが、その中に重要な一文があった。
『但し、大きな災害が起こった場合においては、この限りではないとし、仮政府が裁可を執ることを許可する』
たったこれだけの、短い一文だった。
長々と趣向を凝らして考えた誓約文の本質は、すべてここに集約されていると言って良い。
他の文章を複雑にし、気になる文面を他に多く用いて、宰相の気をそらさせることで、ルジエはこの一文を目立たなくした。
そして、宰相はこれを見過ごしたのだ。
ルジエは、現将軍を除籍とし、自らの“小さな政府”での将軍をその役職に就けた。
そして体制を整え、軍を率いて宮殿に乗り込み、同じやり方で次々と大臣の首を挿げ替える。
それを聞いた宰相がやってきたのは、一日も終わろうかという頃だった。
「皇后陛下! 何をなさっておいでなのです!?」
厳しい表情で宰相はルジエに詰め寄った。
「あら、宰相。私は約束を果たしているだけですわ」
ルジエは涼しい顔で、誓約書を宰相に見せた。
「なん……。これはどういうことですか!? この災害時に、何をしておられるんです? 身重のあなたが!」
怒鳴る宰相をルジエは一転、冷やかな顔で睨みつけた。
「この災害時に私が何をしているかですって? 国を守ろうとしているのですよ。あなたはこの時間まで、一体何をしていたのですか? 既に軍は市中に出動しました。備えてあった食糧庫を解放し、民に分け与えております。家を失った多くの者たちの為に、私が陛下に増設をお願いしておいた教会の解放も既に指示済み。さらに体制が整えば、がれきの撤去も明日から始まるでしょう。それで? 宰相。あなたはこの災害時に、国の為に何をしましたか?」
ぐぐぐっと宰相は拳をにぎった。
「――そういうことではございません、陛下。これは……、これは暴挙ですぞ? 皇帝陛下がこのようなことを、お赦しになるとでも?」
ルジエは憎しみにたぎった宰相の目を正面から見返した。
「民を救うことを、慈悲深い皇帝陛下がお赦しにならないと、宰相はお考えなのかしら?」
二人はにらみ合っていたが、やがて、宰相が目をそらした。
「皇帝陛下のご指示を仰がせていただく」
「どうぞ、ご自由に」
宰相は数人の部下をつれ、足音高く去っていった。
「さて。無駄な時間を過ごしてしまったわ」
そう呟くと、ルジエは家臣たちの輪の中に戻った。
市中の被害は大きい。
そして、やるべきことはまだ、山ほどあるのだ。