第四話 報復
皇帝のお気に入りの娘、ルジエが倒れた――。
その報はすぐに、皇帝へと伝えられた。
最初に駆け付けた後宮の医師がさらに毒を盛ろうとしたところを、女官リウルが取り押さえ、居合わせた衛兵が連行していった。
菓子を持ってきた女官の少女は既に医師の手によって葬られており、少女がどこの手の者なのかは判然としなかった。
「あらかじめ解毒作用のあるお薬を服用されているのを知っておりましても、今回は、本当にひやひや致しましたわ」
意識は取り戻したものの、まだベッドの中で安静にしているルジエを介抱しながら、リウルが言った。
解毒作用のある薬もリウルが手配してくれたのだが、それでも、ルジエは毒のせいで、ルジエは三日三晩うなされた。
その間何度も吐き、リウルを心配させたが、今朝になってようやくそれも落ち着いてきた。
後宮の医師が捕えられたので、今は皇帝から命じられた皇帝の医師団の一人が、彼女の治療にあたっている。
ルジエの顔色はまだ悪かったが、口元に軽い笑みを浮かべた。
「でも、助かったわ。――後宮の医師までがグルだとは思わなかったけれど」
「他は計画通りに行きましたね。控えさせておいた衛兵もうまく動いてくれましたし」
リウルの言葉に、ルジエもうなずいた。
でも、あの少女には可哀そうなことをしてしまった。
彼女のあの時の顔――。
菓子に毒が仕込まれているとは、彼女も知らなかったのだろう。
リウルから、ルジエの毒殺が計画されていると聞いた時、ルジエは「ついにきたか」と思った。
皇帝の寵愛を一身に受けるルジエを殺そうとする者が、いつかは現れるとルジエはあらかじめ覚悟していたのだ。
「さあ、本番はこれからよ」
口元に頬笑みを浮かべ、ルジエは時計を見た。
まもなく皇帝がルジエの部屋を訪問することになっている。
すべてはこの時の為に。
そうでなければ、三日三晩、苦しい思いをしたのが、全て無駄になってしまう。
しばらく時計を眺めていたルジエだったが、いつの間にかうとうとしてしまっていたようだ。
頬を撫でられる感覚と、聞きなれた声に、はっと目を覚ました。
「陛下……」
「起こしてしまったか。すまぬ。今朝ようやく目を覚ましたと聞いてな……。そなたが死んでしまうのではないかと、わしは本気で心配したのだぞ」
そういうと皇帝はルジエをかき抱いた。
「早くよくなっておくれ。そうでなければ心配で、大臣どもの言葉も耳に入らぬ」
そこで、ルジエは静かに涙を流した。
「陛下……。私はここで死ぬのでしょうか?」
「なっ、何を申しておるのだ! そのようなことがあるわけがなかろう。わしの医師団は優秀だからな。すぐによくなる」
ルジエの顔を覗き込むようにして、皇帝は彼女に言い聞かせるようにした。
ふるふるとルジエは力なく首を横に振る。
「私は殺されかけたのです。後宮の医師までもが……、私にとどめをさそうとしたのです。お聞きになりましたでしょう?」
「ああ。不届き者がこのようなところにおったとはな。奴はすぐに死刑だ」
「それだけではありません。後宮の誰かが女官に命じて、私に毒の入った菓子を届けさせたのです。その女官は口封じのために殺されてしまいました。次に殺されるのは、私です……!」
何か寒気がするというように、ルジエは身を震わせた。
「案ずることはない。これからはそなたにも我が親衛隊を遣わそう。それでどうじゃ? 首謀者もいずれ分かろう。そうしたら、そやつはすぐに死刑じゃ」
機嫌を取ろうと、皇帝は瞳を覗き込むが、ルジエはうつむいたままだった。
「私は……、私は陛下のことを本当にお慕いしておりますのに……。陛下の私に対するお気持ちは、その程度なのですね? 毎夜体を重ねようとも、私は所詮、陛下の妾……」
ついに皇帝は眉をひそめた。
「そなたは、わしに何を求めておるのだ? 正直に申してみよ。そなたに対するわしの気持ちがこれほどであるというのに、それを疑うなど――。どうすればわしは、わしの気持ちをそなたに証明することができるのじゃ?」
「そのようなこと――」
「良い。怒りはせぬ。わしの気持は本当なのだからな。良いから申してみよ」
ルジエは首を傾け、皇帝の目をまっすぐに見、訴えた。
「後宮をなくしてください。私を陛下のたったひとりの妻に――、たったひとりの女にしてくださいませ。そうすれば、私は命を脅かされることなく、陛下にお仕えすることができます。陛下のお気持ちを信じることができます」
皇帝は黙った。
ルジエは皇帝を見つめ、辛抱強く返事を待った。
「良かろう。わしの気持ちを証明するたったひとつの方法がそれであるのならば、そうしよう。わしにはそなた意外に見えている女などおらぬのだ。もはや後宮は必要あるまい。わしにはそなたがおればよい」
「陛下……!」
ひしとルジエは皇帝の体に抱きついた。
そんなルジエを愛おしそうに抱き、皇帝は彼女の艶やかな髪を何度も撫でた。
後宮を廃し、数多くいた妾たちを里に返し、夫人四人全員と離縁する――。
皇帝のその決定は、家臣たちに大きな衝撃を与えた。
後宮に娘を入れることで甘い汁を吸っていた者、権威に近づこうとしていた者たちは揃って宰相に嘆願したが、宰相は「皇帝陛下のご命令ですから」の一言で、それを却下した。
もともと皇帝の後宮遊びには莫大な費用がかかっていたし、それがなくなるとなれば、多くの資金が浮くだろう。
皇帝の意思は固く、ルジエ一人を後妻に迎えるというのだから、宰相は文句の言いようがなかった。
宰相にとっては、皇帝が全てを自分に任せてくれればそれでいいのだ。
いい歳をして、恋に狂ってしまった皇帝に口出しをして、皇帝の怒りを買うつもりなど、さらさらない。
こうしてルジエは、ついに皇帝の正妃の座を手に入れたのだった。