第二話 謁見
王宮から使者が来て、五日。
ルジエは、ダイアスという廷臣の邸宅に向かった。
祖母との別れは思っていたよりもあっけなく、むしろ村人たちの方が、涙ながらに見送ってくれた。
山奥の粗末な家で生まれ育ったルジエは、知識こそ豊富だったが、町の生活についてはあまり詳しくない。
何度か祖母のアダに連れられて、町に降りてきたことはあるが、それも数えるほどだ。
ルジエは以前使者が来た時と同じ、伝統的な絹の衣装を身にまとっていたが、それでも少し気後れしそうになった。
「ようこそ。我が邸宅へ」
ダイアスは、白髪交じりの壮年の男だった。
一見優しそうに見えるが、どこかしたたかさも感じられる。
ダイアスより一歩下がってルジエを出迎えたのは、ダイアスの妻、イヴェーレ。
「短い間だけれど、私のことを母だと思って。なんでも言ってちょうだいね」
イヴェーレは、見た目通りの人柄のようだった。
これから一か月、後宮に輿入れするまで、ルジエは、このダイアスの遠縁の娘として暮らす。
山奥の田舎娘として後宮入りするのでは、さすがに体裁が悪いからと、これも祖母のアダとダイアスが話し合って決めたことだ。
ここで過ごす間に、町の様子を見聞きしたり、ダイアスから宮殿の様子や皇帝について教えを受ける。
「妻に部屋を案内させる。今日はもう休みなさい。明日から、皇帝陛下について、いろいろと教えてあげよう」
そう言って、ダイアスはルジエをそっと促した。
「お世話になります。よろしくお願いいたします」
ルジエはそう言って、習った宮廷式のあいさつをした。
ダイアスとイヴェーレが顔を見合わせる。
「さすがアダさんのお孫さんだな。よく躾けられている」
ダイアスが感心したように言った。
イヴェーレもうなずく。
「きっと皇帝陛下もすぐに、貴女のことを好きになるわ」
ルジエは黙って微笑んだ。
しゃべりすぎず。しとやかに。ひかえめに。
しかし、動くべき時に動き、相手の気をひく。
今もまだ祖母の声が、ルジエの耳元で聞こえるようだった。
(大丈夫。私はうまくやっていける。皇帝陛下の一番のお気に入りになって見せるわ)
気後れしていた気持ちはもうどこにもなかった。
自分の身につけているものが、ここでも十分通用すると確信したからだ。
明日から、皇帝陛下について詳しく学ばなければ。
そうして、これからの戦いに備えるのだ。後宮で待っているであろう、戦いに。
ひと月は、あっという間にすぎた。
ルジエの輿入れは、盛大ではなかったが、豪華ではあった。
支度金で整えられた衣装に身を包み、イヴェーレによって施された薄化粧で、ルジエは驚くほど美しくなった。
透けるような白い肌。
真っ黒で艶やかにのびる長い髪。
華奢な体。
整った小さな顔に、印象的な切れ長の目。
色とりどりの豪華な装飾品で飾り立てられ、衣裳は、真新しい絹の華やかなドレスだ。
その姿に、イヴェーレもダイアスも、しばらく見惚れたほどだ。
ダイアスは、ルジエの下女として、リウルという女性をつけてくれた。
リウルは、さほど美人でもなく、かといって不細工なわけでもなく――。どこにでもいるような凡庸とした女性だった。
歳はおそらくルジエよりもかなり上――、三十才前後だろうか。
口数も多くはなく、リウルは静かにルジエに従ったのだった。
街道をやって来た、迎えの大きな輿に乗り、ルジエはダイアスの邸宅をあとにした。
ルジエの輿入れは、あらかじめ決まっていたことなのにもかかわらず、ルジエと同伴したダイアスは、控えの間で長く待たされた。
下女のリウルも大人しく部屋の隅で控えたままだ。
ようやく別の部屋に案内された時には、緊張していたルジエの気持ちも、落ち着きを取り戻していた。
そこはそれほど広くはない部屋だった。
もちろん、宮殿の他の場所に比べれば、という意味だが。
「待たせたの」
長らく頭を下げていたルジエは、侍従の合図でようやく頭をあげた。
皇帝は、ルジエが想像していたのとは、まったく違った。
腹が出て、かなり肥えている。そして、少し神経質そうな眼鼻立ち。
ルジエからすれば、自分の父親といってもいいような年齢の男だ。
「そなたが……。なるほど、のう」
皇帝は、思わせぶりな口調でそう言って、にやりと笑った。
「後宮の女たちも随分増えたし、今さら新しい妾を娶るつもりなどなかったが、ダイアスがどうしてもというので、会ってみたが……」
皇帝はじろじろとルジエを品定めするように、眺めまわした。
ダイアスはルジエの後方に控えたまま、「恐れ入ります」と言った。
「そなたの言葉を半信半疑で聞いておったが、確かに、この娘はそうなのであろうな。そなた、名を何と言う?」
「恐れ入ります、皇帝陛下。ルジエと申します」
ルジエは大きくもなく、かと言って小さくもない声で、控えめに言った。
「ルジエ、か。良い名じゃな。そうか……」
皇帝は何度もうなずきながら、思案気な顔をした。
「陛下。では、地の宮に準備を整えておりますので」
「うむ……、いや、待て。新しく作るよう命じておった、光の宮はどうなっておる?」
「は、完成しております。ですが、お披露目がまだですので……」
「良い。ルジエの宮はそこにしよう。急ぎ、そちらに支度せよ」
皇帝の言葉に、侍従は心底驚いた顔をした。
「お、お待ちください。光の宮は、第一夫人、ターニア様が移られる御予定で造られたもの。ターニア様がお気を悪くなさいます」
しかし、そんなことに頓着する皇帝ではなかった。
「かまわぬ。ターニアには、わしから話しておく。ルジエを光の宮へ案内するのだ。よいな?」
「は、はあ……」
ルジエは内心、厄介なことになったと思った。
皇帝に気に入られたのは、間違いない。それは喜ぶべきことだ。
でも、第一夫人が移るはずだった宮に、新参者の自分が入るということは、後宮全てを敵に回すということだ。
ルジエは本心とは裏腹に、にっこりとほほ笑み、恭しくお辞儀をした。
「お心遣い感謝いたします。陛下」
こうなったら腹を据えるしかない。
皇帝に気に入られれば、遅かれ早かれ、後宮の女たちからは敵視されるのだ。
すると、皇帝はゆったりとルジエに歩み寄り、彼女のほおをなでた。
「聡い娘だ。わしはそなたに会うために、これまで多くの女たちを囲ってきたのかもしれぬ」
ルジエは、ほおをなでられる嫌な感触を、必死にこらえた。
こういうことにも、早く慣れなければならない。
例え自分が、この男を気持ち悪いと思っていたとしても。