第一話 奪還
昼の暖かな日ざしが、部屋の中を明るく照らしている。
ぽかぽかと気持ちよくてつい、うたた寝をしたくなるような陽気だった。
ぼうっとする頭を振って、ルジエは目の前の難しい本に集中しようと努力した。
外から祖母の声が聞こえてくる。
祖母は裏の畑にいるはずだけれど、また村の誰かがあいさつに来たのだろう。
ルジエの後宮への輿入れを祝うために。
宮殿からルジエを請う使者が来たのは、つい昨日のことだ。
このあたりの貧しい人間には一生かかっても着ることができないような、きれいな絹の服をきた使者たち。
彼らは、ルジエの輿入れのために、たくさんの品々と莫大な支度金を置いて行った。
(それだって……)
そのたくさんの支度金の多くが、話をつけてくれた人たちに手渡されるのだということを、ルジエは知っている。
ルジエの祖母は、彼女が後宮に入るために、古いつてを使って、手をまわしたのだ。
祖母にはたくさんの知り合いがいる。
ルジエが知らないような、驚くほど身分の高い人たちとも、祖母は連絡を取り合う仲だった。
窓からふわりと入ってきた風が、壁にかけてある絹の服を揺らした。
それは昨日、ルジエが着た服。信じられないほど、柔らかな生地でできた、伝統的な衣裳だ。
今の生活では、絹の服を買ったりするなんて、到底考えられない。
しかし、祖母が管理している蔵にはそういったものが、たくさんあった。蔵にある品々はどれも古いけれど、中には高価な宝飾品もいくつかある。
町でそれを売れば、かなりのお金が手に入って生活は楽になるけれど、ルジエの祖母は絶対にそんなことはしないのだった。
ルジエが手にしている本だって……。
「ルジエ、そろそろ昼餉の支度をするよ」
祖母は音もなく、いつの間にか家に戻っていた。
泥のついた手を念入りに洗い、昼餉の支度にとりかかる。支度といっても、畑の野菜を煮たものぐらいしかない。
お肉はまだきらしているから。もう何日も前からだけれど。
慣れた手つきで、祖母は野菜を切っていた。
その様子を見てもルジエは手伝わない――、いや、手伝えないのだ。
祖母はルジエの手が荒れたりしないよう、畑仕事も、食事の支度も、一切手伝わせなかった。
それもこれも、すべては後宮にあがるための入念な準備だったのだ。
食事の支度を祖母がしている間に、目の前の本を読んでしまわなければ。
それがルジエに与えられた仕事だから。
本は色あせてもうボロボロだったけれど、大事なことがたくさん書いてある。
古典、天文学、算術。
それに宮廷作法。
ルジエは家に伝わっているたくさんの本と祖母から、これらのことをみっちり仕込まれていた。
祖母のアダは、何でも良く知っている。知らないことなどないのではないかと思うほどに。
この家ではそんな学など、何の役もたたないというのに。
だけど、後宮にあがれば全てが報われる。
そんな祖母の期待を、ルジエは一身に背負っているのだった。
「ルジエ、昨日渡した本は全部目を通したかい?」
お汁の入ったお椀を運びながら、祖母が言った。
「一通りは。だけど、まだ全部頭に入ってはいないわ。今、もう一度読み返しているところよ」
ルジエは二度ほども読めば、大体その内容を覚えることができる。
「五日後には、町から使いが来る。そうしたら、お前はダイアスの屋敷に行って、支度をしなければならないからね。あまり日がないから、今のうちに覚えられることを覚えておきなさい」
「はい」
小さなころから食べ慣れている祖母の汁の味を確かめるように、ルジエはゆっくりと食事をした。
そして、食べ終わると、ずっと胸にひっかかっていた言葉を、とうとう口にした。
「――私が行ってしまったら、おばあさまは一人になるわね」
祖母はふと顔をあげた。
しわくちゃの顔。でも、どこか気品の漂う顔。
祖母が弱音を吐くところなど、一度も見たことがない。祖母はいつも強い人だった。
「私のことなど、気にしなくてかまわないよ。お前の父も母も早くに亡くなってしまったけれど、私にはお前がいたから、ここまでやってこれた。お前が希望だったのだよ。ルジエ。後宮に入って、私の――我ら一族の、長年の望みを叶えておくれ。そうしたら、私は安心してご先祖様に会いに行けるのだから」
静かにルジエはうなずいた。
それは、生まれてからずっと、何度も、何度も、繰り返し言い含められてきたこと。
(――私が、この国を支配する)
先祖に代わって、奪われたものを再び取り返す。
それは、ルジエの存在意義そのものだった。