8 恋がヘタなので生きてません
「……着替えました」
「あら、いいですね」
ついに藤井はひとりでも、
お着替えができるようになったのだ。
これは革命だった。
まさにお着替え革命だ。
具体的には床にパジャマを広げてもらって、
ごろごろと寝返りを打ちながら、巻き付けるようにして腕を通す。
それを左右繰り返した後、ズボンに片足ずつを通す、といった方法だ。
……協力者は、いまだ必要だったが。
「でも、えと、あの……」
「なんですかフミヤさん。
大丈夫ですよ、似合ってますよ」
「ええ、デザインは意外とまともでビックリしました。
でもこれ、色がメタリックシルバーですごいラメっているんですけど」
「ちょっと地味めにしておきました」
「袖の下にも、なんかロックスターみたいなひらひらがついているんですけど」
「オシャレ心です」
「オシャレ心か……」
藤井にはオシャレがよくわからない。
ミミニが言うならそうなのかもしれない、と思ってしまった。
というわけで、藤井の装備が更新された。
>ふつうのトランクス E
↓から
>ふつうのトランクス E
>ラメラメの薄手パジャマ E
>オシャレな飾り E
に。
新たに装備枠がふたつも埋まった。
飾りはアクセサリー枠だ。
これなら魔王にもきっと……
「倒せるかーっ」
「ぴょっ」
「あ、す、すみません」
「突然大きな声を出されてしまうと、
その、びっくりしちゃいますよ?」
「ついノリツッコミをしてしまいました」
多少顔を赤らめながら、
ミミニは手をビシっとこちらに突きつけてくる。
「で、では我が家ではノリツッコミは禁止の方向で」
「お望みとあれば」
藤井はうなずいた。
しかし、驚いた言葉が「ぴょっ」て。
なんだそれ可愛い過ぎだろうチクショウ。
100万回ぐらい驚かしてやりたい。
思っているだけで、口には出さないが。
するとミミニは手を打ち合わせる。
「それでは、これから戦闘訓練行ないます」
「お、おお。なんかすごい。
ファンタジーっぽいですね」
「はい。では今からお風呂でモンスターを作ってきますので、
しばらくお待ちください」
「お、おお?」
「あ、その前に今回の武器を渡しておこうと思います。
魔法デパートで購入してきたものです」
「なんかもう、なんでも魔法ってつければいいと思っている感ありますよね」
ミミニは紙袋をガサガサと漁ると、
ぱんぱかぱーんと効果音が鳴りそうな勢いで武器を取り出した。
勇者藤井が初めて使う武器。
それは『吹き矢』だった。
「……なるほど」
思わず納得してしまう。
今の藤井が自由に使えるのは口ぐらいなものだ。
多少見かけは悪いが、仕方ないだろう。
「じゃあ、これで戦うんだね」
「はい。色々と矢も用意しておきましたので、
好きなのを選んでセットしてやってください」
「わかりました」
ミミニは藤井の前に、吹き矢の筒と矢を並べる。
それから胸に手を当てて、さらに違う紙袋を抱えた。
「では藤井さん。しばらくしたら呼びますので、
それまで吹き矢の練習でもしていてください。
標的も用意しておきましたので」
彼女が指さす先には……
等身大に引き延ばされた、ミミニの写真が飾ってあった。
顎を引いて、わずかに頬を染めながら、控えめに胸の辺りでピースをしている。
学生時代のものだろうか。今より多少若く、ブレザー姿だった。
こんなものいつの間に。
「なにこれほしい」
「え?」
「すみませんちょっと願望が」
「よく知らない人をターゲットにするのも悪いと思ったので、
どうぞあれを蜂の巣にしてやっててください。
ではまた後ほど」
「あ、はい」
実物のミミニを見送った後、リビングにひとり残されて。
藤井は写真――というよりもはや等身大パネルだ――のミミニをじっと見つめる。
……かわいい。
あまり写真で撮られることに慣れていないのだろう。
しっかりと突きつけられたピースではなく、
こう、居心地悪そうな、それで窮屈気味のピースがまたいじらしい。
表情もすごくいい。
今にもパネルが、
「ちょっと、恥ずかしいですよ藤井さん……
こんなところで、もう……そんなにわたしのことを撮って、どうするんですか……」
とか言い出しそうな感じだ。
やばい、脳がとろけてしまう。
トリップ死とかありそうだ。
前回それやったからな、と思い出す。
同じ手は二度は食わないというものだ。
凄まじいほどの視線の引力だが、藤井は抗った。
このままじゃいけない。
「だめだだめだ……
吹き矢の練習、しておかないと……」
そうだ、頑張ると決めたのだ。
魔王を倒し、勇者派遣会社ミナゴロシに就職するのだ。
手元には吹き矢があった。
矢の種類は三つ。
黒と赤と黄色だ。
それぞれの矢に、付箋が張り付けられている。
ミミニの小さいけれど繊細な文字は可愛らしかった。
すごい。筆跡まで愛してしまえそうだ。
ちなみに黒は『普通』。
赤は『爆裂』。そして黄色は『雷撃』と描かれている。
赤と黄色を使うのは怖かったので、
黒を吹き矢の筒にセットしようと試みる。
藤井は一旦、うつ伏せになり、
両手を伸ばして筒を掴み、そーっと矢を入れる。
あまり急な動きをすると、死んでしまう。
ここは慎重さが大事だ。
その後、筒を転がしながら持ってきて、
それを口元に添えて、ゆっくりと咥えた。
ここでようやく体を起こす。
まるでスフィンクスのようにどっしりとした構えだ。
よし、これはモード:スフィンクスと名付けよう。
ならばこの吹き矢はスフィンクスブレスだ。
テンションがあがってきた。
藤井は顎を持ち上げて、標的を見つめる。
片手を持ち上げて筒に添えることもできた。
完璧だ。これで完璧な射出態勢が整った。
モード:スフィンクスの本領発揮だ。
昨日、この世界に召還されて、
たった一日で藤井はここまで強くなることができた。
モード:スフィンクスまで完成させることができたのだ。
もはや藤井の才能を疑うものはどこにもいないだろう。
今の藤井は狩人だ。
あらゆる生物を狩る側の人間であった。
ついに、という実感が胸から沸き上がる。
11度、12度か? とにかくそれぐらい死んで、
藤井は戦うだけの力を身につけたのだ。
これから藤井はもっともっと強くなる。
そしていずれは魔王を倒すだろう。
そのスタートラインに、今、藤井は立っているのだ。
「……すぅぅぅ……」
大きく息を吸い、藤井は標的を見据え、
――力を放つのだ。
「フッ!」
勢いよく吹いた筒から打ち出された矢は、
まっすぐに飛び、ミミニの胸に突き刺さった。
見事、命中だ。矢は写真を揺らす。
なんとその直後、ミミニパネルの胸から血が滴ってゆく。
「う、うおお……」
思わず筒を口からこぼし、うめいてしまう。
フローリングの床に血だまりができてゆく。
なんだこの仕掛け。
こわい。
それだけではない。
マリア像の目が血の涙を流すように、
ミミニがその可愛いお目目から紅涙を流し出したのだ。
なんだこの仕掛け……
こわい……
ミミニなら恐らく「このほうが殺した感があると思いまして」だの、
なんだの、サラッと告げてくるのだろうけれど。
凝りすぎ、である。
サクッと刺さった矢を見つめて、藤井は胸に痛みを覚えた。
ミミニはこちらを見て、訴えかけてきているようだ。
いたいよういたいよう、と。
「うう……で、でも俺は、
俺は……」
そうだ。
藤井はなんのためにこの力を手に入れたのか。
それは魔王を倒すためのものなのか?
いや、違う……
このパワーは、殺戮のためのものではないはずだ。
藤井はミミニを守るために強くなったのだ。
そう、全ては彼女と暮らすために……だ!
愚かなことをした。
藤井は頭を抱え、自戒のポーズを取った。
「そう、か、ミミニさん……
俺は強くなりすぎて、
いつしか初心を忘れてしまっていました……」
藤井はぐったりとその場に崩れ落ちた。
その体は、少しずつ冷たくなってゆく。
偉大なる勇者の瞳からは、
一筋の涙がこぼれ落ちていたという……
13回目。
死因:罪悪感。