7 キミのとなりで死亡中。
「ただいま帰りました」
「……あ、おかえりなさい」
まどろみから目覚める藤井。
目をこすりながら、尋ねる。
「俺、眠っちゃってました?」
「いえ、死んでました」
「案の定……」
「案の定」
うなずき合う。
わかりあえている的な感じでちょっと幸せだったりする。
「それにしても、ずいぶん早いお帰りで」
「もう夕方ですよ」
「割と最初のほうで死んでいたのか……」
「そのようです」
「じゃあずいぶんかかっちゃいましたね」
「ええまあ、きっと死んでいるものと思いましたので」
「ナチュラルにつめたい」
「冗談です。会社に立ち寄ったり、
やることがちょっと立て込んでいましたもので。
すみません、きょうはあまりサポートすることができなくて」
「あ、いえいえ、お気遣いなく」
しゅんと耳を傾けるミミニに、
誰が冷たい言葉を言えるだろうか。
言えるはずがない(反語)。
藤井は例によってリビングに横たわっていた。
なんだかんだで、この態勢が一番楽なのだ。
ミミニが荷物をテーブルに降ろしてソファに腰掛ける。
惜しい。
あと少しで見えるところだったのに。
なにがとは言わないが。
「それでありましたか、魔王を楽々退治する本は」
「なかったのです……」
「まあ仕方ないですね」
「本屋を27件も回ったのに……」
「もうちょっと手前で諦めましょうよ」
「どこもかしこも品ぞろえが悪いのです。
本当は売っているはずなんです。
万物の英知が集う場所、それが本屋さんなんですから……」
「ひょっとして俺の知っている本屋と違うのかな……」
控えめにつぶやいてみるが、彼女は小さく首を振るだけだ。
どことなく気落ちして見える彼女に、努めて明るく尋ねる。
「それにしても俺、
今回はどうして死んじゃったんでしょうね」
「うーん、どうしてでしょう。
帰ってきたら死んでいたわけですからね。
ちょっと原因わからないです」
「わからないですね」
「なので死因には『怪死』って書いておきますね」
「なにそれこわい」
懐から取り出した手帳にメモり出すミミニ。
「えと、他になにかありませんかね」
「じゃあ、『ねぶそく』……と」
「あ、そんなんでもいいんだ」
おかしいな。
昨日はたっぷりと睡眠を取ったはずなんだけども。
そもそも寝不足ならば、
死ぬ前にまず眠るのではないだろうか。
とかくこの世は謎だらけ、である。
藤井は軽口を叩いてみる。
「あ、もしかして俺、
寂しくて死んじゃったのかもしれませんね」
「は?」
「ミミニさんとしばらく離れ離れになっていたから……
……な、なんちゃって……」
やべえ、と思った。
「え?」でも「はい?」でもない。
「は?」が出ちゃったよ。
しかもただの「は?」じゃない。
とても冷たくて、突き放すような「は?」だ。
ていうか「は?(威圧)」だ。
慌ててごまかすが、時すでに遅かった。
「今なんて言いました?」
「ミミニさんと離れていたから……」
「じゃなくてその前」
「……その、すみません……」
「謝るんじゃなくて」
「……さみしくて、その、死んじゃった、って」
「なんですかそのデマ」
「いえ、その……」
「わたしがウサギ族だからってバカにしています?」
「そ、そんなことはないです」
「……」
「ごめんなさい……」
重苦しい空気が漂う。
そんな、そんなつもりではなかったのだ。
藤井は非常に後悔した。
安易なジョークが彼女を傷つけたのだ。
罪悪感で死んでしまいそうだった。
というか何度か意識が飛びかけた。
ほぼ死にかけました、的な。
「……」
「……ごめんなさい……」
藤井は思わず涙ぐむ。
それを見て、ミミニは我に返ったようだ。
途端にあたふたと頭を下げてきた。
「……あ、いえ、こちらこそ。
すみません、カッとなって言い過ぎてしまいました」
「いえ……すみません……」
「もしかして、今までフミヤさんにもそう思われていたのかと思うと、
ちょっと、その、歯止めが利かなくなっちゃって……」
「ごめんなさい……」
「わたしのほうこそ、ごめんなさい。
でも、その……
誰にでも触れられたくないことは、
ひとつやふたつぐらい、あると思うんです。
これからは……その、
なるべく言わないでもらえると、助かります」
「もう二度と言いません」
藤井はきっぱりと言い切った。
そうだ。藤井は知っているはずだ。
ウサギはとてもデリケートな生き物なのだ。
もう彼女を困らせるようなことはしない。
藤井は固く心に誓うのだ。
「そうですよね、ミミニさんはずっと一人暮らしですもんね」
「はい。ウサギは自分の縄張り意識が強いもので」
「存じております」
粛々とうなずく。
ミミニはしたり顔で付け加えてくる。
「ちなみに繁殖力も強く、
春先から秋までたいてい発情しているんですよ」
「え、ええ」
より自分を深く理解してもらおうとしているのだろう。
藤井とミミニの言い争いは、不幸なディスコミュニケーションから起こったのだから。
ミミニは学習するウサギだった。
実に素晴らしい。
……だが、彼女のそれはなんというか、その。
美少女から口に出されると、すごく生々しい。
季節は夏真っ盛りである。
つまり、発情しているのだ。
今のミミニは、発情しているのだ。
目の前の美少女は、
なんと発情している……のだ!
藤井の動揺にも気づかず、
ミミニはさらに衝撃の言葉を放つ。
「あ、ちなみにお尻を撫でられると妊娠します」
「えっ」
「違います。妊娠しちゃったような気分になります」
「なんと」
「それだけじゃなくて、
もしかしたら見つめられるだけで妊娠しちゃうかもしれません」
「まじでか」
「あ、そんな気分に、ってことですよ?
だから……その、あんまり見つめないでくださいね」
ちなみに全て、実際にウサギに起きることである。
ウサたんはとても簡単に偽妊娠してしまうのだ。
一方、ツッコミの職務を放棄し、藤井は固まっていた。
こんなに可愛い子が、
見つめるだけで妊娠したような気分になるの?
子供を?
俺との子供を?
やばい。
さっきとは違った意味ですごくやばい。
はちきれてしまいそうだ。
なんかもう、色々と。
だってやばいだろマジでどう考えてもこれ。
夢が広がりすぎでしょう。
「うわああ……」
「ど、どうかしましたか?」
「なんか、すごいですね、異世界って。
俺、こっちの世界に来て本当に良かったです」
「あ、そ、そうですか?
それは嬉しいですけれど」
「しばらくミミニさんをじっと見つめていたいんですけどよろしいですかね」
「えっと」
「ああ、かわいいなあ。
ミミニさんかわいいなあ」
「なんですか急に」
「あ、ちょっとお尻を触ってもいいですかね」
「ふつうにセクハラですからね、それ。
なんですか、わたしのことを偽妊娠させたいんですか」
「想像するだけで、
鼻血が出ちゃいそうです」
「わかりました。
ちょっと記憶を失わせるお薬か、
それでなければチェーンソーを取ってきますね」
「すみませんごめんなさい調子に乗りすぎましたごめんなさい」
ミミニはしっかりとセクハラにも対処できる強い女の子だった。
藤井は必死に謝った。
これほど謝ったのは、いつ以来かというほどに謝った。
むしろ先ほどミミニを怒らせたときより謝った。
こんな素敵な虹色の思い出を消されては、たまらない。
ミミニはしばらく頬を膨らませていたが、
すぐに許してくれた。
慈愛に満ちた苦笑だ。
「もう、フミヤさんはしょうがないですね」と。
本当に優しい子だ。
藤井は感謝した。
呼び出してくれたミミニに。
この世界と、健康に育ててくれた元の世界に。
天に。地に。大いなる創造神に。
そして……自分を生んでくれた両親に。
父さん、母さん、俺、この世界でやっていくよ。
可愛いお嫁さんをもらうからさ、ふたりとも元気で長生きしてくれよな。
だから……
藤井は静かに目を閉じる。
天使の羽に包まれているような気分だった。
そして藤井は死んだ。
その顔はとても安らいでいたのだった……
十一回目。
死因:寝不足(暫定)。
一二回目。
死因:大往生。